5、転移者、調子に乗る



※※※



「……死んでない? マジで?」

「は、はい。森の周囲を探しましたが、奴の死体は見つからず」

「本当? ちゃんと探したわけ?」

「出来る限りの捜索は行いましたが、なにぶん森周辺は魔物が多く……」


 膝を付いた騎士がそう口にした瞬間、少女の態度が一変した。野営地の中、上機嫌で菓子類を摘まんでいた彼女は机の上の木皿を引っ掴むと、騎士に向って乱暴に投げつける。兜を脱いでいた女騎士の額に木皿がぶつかり、衝撃で切れた部分から血が滴った。


「あたし、そういう言い訳みたいなの聞きたくないんだけど」

「もっ、申し訳ございません、エリゼ様!」

「でも、そっか。見つからないんだ」


 狂った予定に少女は爪を噛む。いい案も思いついたし、このくらい楽勝だとウキウキしながら帰り支度を進めていた彼女にとって、この状況は想定外であった。彼女の予定では今頃は城に戻り、女神から仕事の速さを褒めたたえられながら初めての「祝福」を貰っているはずだったのだ。


 最近やってきたばかりの彼女にとって、この大仕事は重要な意味を持つ。命令を素早くこなすことができたなら、女神に謁見できると言われたからだ。


「ったく、ガネット様の横でちょろちょろしてるあいつを抜くチャンスだったってのに」


 異世界に転移した時、彼女は特別な力に喜び、これからもっとちやほやされる人生が待っていると胸を高鳴らせていた。


 しかし、いざ蓋を開けてみれば自分はその他大勢の一人。新参者だからと自分を呼んだ女神に会うことができたのは一瞬だけ。待っていたのは他の転移者と変わらない仕事。言うこと聞かない獣への罰やら報告やら。


 そして一番我慢ならないのは、女神は最初に呼んだ転移者を寵愛し、いつも横にいさせているらしいことだった。こちらは会うのも許されないのに、初めてというだけでもてはやされている転移者がいるのだ。


 何もかもが自分優先でないと満足できない少女は、自分以外に優遇されている転移者が存在するという状況に不満を抱いていた。だから他転移者より有能であることを女神にアピールして認知してもらうために、誰もやりたがらない危険な戦争跡地での仕事に立候補したというのに。


「ねぇー、あんたのとこの兄貴? あんたのこといらないって」

「……っ」

「マジウケんね。あんな怒ってたくせに、やっぱ自分のことが可愛いんだ」


 少女がテントの隅で丸まっている子供に言えば、顔を腫らしたそれは鈍く反応する。連れてきた際に泣いて騒いだので、ストレス発散も兼ねて彼女が何度か叩いた子供はいつの間にか随分と物静かになっていた。


「ちょーっとだけイケメンかなって思ったのに、クソダサくってがっかりって感じ。やっぱ動物は動物よね」

「……ちがう」

「は? 何がちがうってんのよ。あの男は死ななかった。なら、あんたは我が身可愛さに見捨てられた。そうでしょ?」

「……兄貴は、強くて、ちょっと、優しすぎるくらい、優しいんだ。だから、きっと必死に考えてる。僕も森の仲間も、みんな守れる道を」

「はぁ? その兄貴が死ねば森の大事な仲間たちは助けてあげるって言ってんのよ?」

「……あそこは魔物がいっぱいいる、から。兄貴が守らなきゃ、みんな死んじゃう。……どうせ、わかってたんだろ。僕らは、放っておいても死ぬから」

「……何よ。あの化け物をヒーローとか言うつもり?」


 少女はきつい眼差しで転がった子供を睨みつけるが、人質の少年は目を逸らすどころかじっとこちらを見上げてきて、少女のこめかみがピクピクと引き攣る。


「怖いくせに」

「は?」

「兄貴のことが怖いんだろ! 強いから! 誰よりも強いから!」

「っ、何意味わかんないこと騒いでんの? キモイんですけど」

「だから僕を捕まえてっ真っ向から戦わないでこそこそ隠れてるんだ! そうじゃないと勝てないもんな! 隠れないと怖いもんな!」


 体は傷だらけだった。けれど、その目の光は徐々に強さを増していく。


「卑怯者! 化け物なのはお前の方だクソババァ!」

「――――うるさぁいっ!」


 そして少年の声が最高潮へと達した瞬間、少女のイライラも最高潮へと達した。

 彼女はヒステリックな叫び声をあげ、どしどしと少年へ近づいたかと思うと、その腹を思いっきり蹴り上げた。


「――――っがふ⁈」

「うるさいうるさい! 何よ、言わせておけばガキのくせにえらそうに説教して! 立場わかってんの⁈」


 痩せた少年の体がボールのようにバウンドし、野営テントの壁へとぶつかる。騒音を聞きつけた騎士たちが何事かと顔を覗かせるが、少女の手は止まらない。彼女は目の前に転がる子供が人質であることも忘れ、胸倉を掴み上げて手を振り上げる。


「あたしより弱いあんたが悪いのよ。弱虫は、何されたって文句言えないんだから!」


 だが少女の手が少年の顔を叩く寸前、手当を終えテントへ、戻ってきた騎士が彼女の腕を抑え付けた。額の血が乾ききっていない女騎士は、少女へ必死に叫ぶ。


「おやめくださいエリゼ様! それでは人質の意味がありません!」

「別にいいでしょ、いくら痛めつけたって。あいつは死ななかったんだから」

「お言葉ですが、朝というにはまだ時間が早いかと。せめて日が見えるのを待ってからでも――」

「もう十分待ったわ」


 少女は騎士をギロリと睨みつけると、胸倉を掴み上げていた少年をゴミでも捨てるかのように地面へと落とす。第三者に止められて冷めたのか、その目にはさっきのような興奮こそなかったが、代わりに底冷えするような冷たい光が宿っていた。


 少女は吐き捨てるように言う。


「約束通り、殺すわよ。こいつも、こいつの仲間も。全員ね」




「え、エリゼ様? ここでいったい何を……。それに、他の者は」

「いらないわ。攻め込む気なんてないもの」

「は、ではどのようにして」

「こうするのよ」


 森の近く。女騎士と少年だけをつれた少女は持たせていた壺を受け取ると、いきなりその中身を少年へとぶちまけた。ぬるりとした液体はあっという間に少年の全身を覆い、沈みかけた月の光に照らされて怪しげな光沢を放っている。


 その独特の匂いに、女騎士はハッとなって口を抑えた。


「それは、まさか」

「油よ」

「あ、ぶら?」

「そうよ。だって、火種があった方が燃えやすいじゃない」


 少女は当たり前のようにそう言うと、手のひらに炎を灯す。それはピンポン玉サイズからあっという間に成長し、ボーリングの玉ほどの大きさへと変化した。


「っひ、ぃ!」


 油と炎。それが何を意味するかは、嫌でもはっきりとわかってしまう。油にまみれた少年はゆっくりと、しかし確実に近づいてくる熱さに腰を抜かし、足をがくがくと震わせた。あれが少しでも触れた瞬間、自分は死ぬ。死の恐怖が具体的な想像を伴って、少年を蝕む。


 気が付けば少年の股の間からは油ではない液体がちょろちょろと水たまりを作っていた。


「あはははっ! 偉そうなこといってたくせに、ビビりすぎ! ダッサ!」

「……あの、エリゼ様。もしや彼ら全員に火を?」

「は? 全員始末しなきゃいけないのよ。ちまちまつけてたらキリないわ」

「で、では何故彼に油を」

「言ったでしょ。こいつには火種になってもらうの。森の中を走り回ってね」


 そう言うと少女は手を森の方へと向ける。風で舞った木の葉が火の玉に触れ、一瞬で黒く崩れ落ちた。


「こいつを逃がして、それから森に火をつけるの。火から逃げるには森の中を走り回らなきゃいけないけど、こいつは油まみれだから走れば走るだけ木とか葉っぱに油ついて火の回りは早くなんの。で、気づいた時にはもう逃げ場無しってわけ」

「そ、れは……」

「あ、もちろん森から逃げたらその時点で丸焦げ。お仲間に助けを求めてもいいけどぉ、あんたが近づいたら大事な仲間も燃えちゃうかもね?」


 止まれば火だるま。走れば火の海。助けを求めれば、油を纏った少年が近づく分だけ仲間が焼け死ぬ危険性が高まる。


 楽し気に、遊びでも提案するかのような口調で語られる悪趣味なやり方に、女騎士は言葉を失くしていたが、計画の実行に夢中な彼女はそれに気づかない。


「これなら血とかキモイの見なくて済むし簡単だし、超良いよね。やっぱあたし天才」

「ひっ、ひぐっ……」

「あいつがどこまでヒーローできるか見ものだわ。火が怖い強ーい兄貴は、火種のあんたを助けてくれるかしら?」


 少女の目にはもう結果が見えているのだろう。彼女は恍惚とした笑みを浮かべると、涙と油で顔をぐちゃぐちゃにした少年の背を乱暴に森へと蹴った。


「はーい、ゲームスタート。精々走り回って、燃えないように頑張ってねぇ?」

「う、ぁ……っ! うわぁぁぁぁぁっ!」

「あははははっ! すっげえ走り方!」


 油で足をもつれさせながら森へと走って行く少年を笑いながら、少女は目の前の木へ手を向ける。


「ま、どれだけ逃げたところで結果は変わらないんだけどね。あたしの火、何でもかんでもすぐ燃やしちゃうから」


 バイバイ、そう言いながら少女の手から巨大な火の玉が放たれる。それはあっという間に木の肌を焼き焦がす。


「見つけましたよ、燃垣もえがき江利瀬えりぜ

「……は?」


 しかし突然少女の名前を呼ばれたかと思いきや上から水の塊が降り、雨とは違うそれはピンポイントで少女の火の玉を鎮火してしまう。びしょ濡れになった目の前に一体何があったのかと少女は慌てて上を見上げ、そして固まった。


「どうも、女神です」


 その言葉の意味を理解する余裕など、彼女にはない。

 青い髪の少女を乗せた、巨大な狼男。それが白み始めた空をバックに、こちらへとまっすぐに飛びかかって来たからであった。

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