4、女神、動きます

 嵐のような訪問者が去っても、誰も口を開かない。何も言えない重苦しい空気が漂っている。


「……アルル。オレの言うことを」

「嫌っ!」

「聞くんだアルル。お前たちが助かるためには」

「嫌嫌嫌っ! ぜーったいにいやっ! 私たちが助かるためにお兄ちゃんが死ぬなんて間違ってるもん! そんなの、絶対に嫌だもん!」


 初めに口を開いたのはライゼで、それを真っ向から否定したのはアルルだった。彼女は鼻を赤くしながら話の続きを聞くまいとぶんぶん首を振る。大きな目から涙が散った。


「ポールだって、お兄ちゃんが死んで助かったってわかったら、きっと悲しいわ! おじいちゃんおばあちゃんだって、私だって、みんなそうよ!」

「……なら、どうすればいいというんだ」

「戦うのよ! 転移者がなによ! ライゼお兄ちゃんには叶わないってわからせればいいんだわ!」

「人質はどうする気だ。それにお前たち全員を守り切れるほどオレの腕は広くない」

「っ、それは」


 彼女自身無茶を言っていることはわかっているのだろう。諭すようなライゼの声に、少女の声が途切れる。その隙を見逃さず、男は穏やかな声色で言った。


「いいんだ。あいつの狙いはそもそもオレ自身。オレが消えればあいつらも満足するだろう」

「……っ、でも!」

「アルル、これだけは覚えておけ。これはオレが勝手にやることだ。だから、お前たちは何も悪くない」


 覚悟の決まった言葉に、アルルの目からボロボロと涙が零れる。どうやら奴の中ではもうやることは決まっているらしい。

 ライゼはわんわんと泣くアルルの頭をひとしきり撫でると、俺の方を向いた。


「どうする」

「……俺?」

「お前は部外者だからな。一緒にいるのを見られているから転移者はお前をオレたちの仲間だと思い込んでいるだろうし、巻き込まれて死なれでもしたら、寝覚めが悪い」


 そう言うと、ライゼは檻の格子をへし折った。ちょうど、人一人が通れそうな穴が、俺の目の前にできる。


「死ぬくせに寝覚めなんて気にするのかよ」

「お前は、アルルと良く話してくれた。だから選ばせてやる。ここで逃げ出すか、それともひと思いに殺してほしいか」

「……」

「例え生き延びたとしても、待っているのは死ぬより辛い生き地獄だ。あいつらは女神を信じないものにはいくらでも非道になれる」


 それは慈悲に違いなかった。もしこの先逃げ続ける気力がないというのなら、今のうちに楽にしてやると彼は言っているのだ。たとえ、汚れ役を被ることになったとしても。


「どうするんだ」

「どうするも何も……答えは決まってるよ」


 俺は檻の隙間を通って外へと踏み出した。久々の外だ。まさか、こんな形で出ることになるとは思いもしなかったが。


 逃げる選択をしたと思っているのであろうライゼがアルルを引き寄せたまま、半歩下がって道を開ける。その奥には、森の外へと続く道。


 俺は笑って一歩踏み出し――――男の丸太のような腕を掴んだ。


「っ、何を」

「……『女神アオイの名において』」

「―――、お、前。まさか」

「『汝に、祝福を与えん』」


 手をかざし、マニュアル通りの言葉を呟けば書いてあったことと同じように俺の手のひらはぼうっと淡い光を放った。蛍よりも微弱なその明かりが酷い火傷を負っていたライゼの腕を照らすと、傷がみるみるその面積を縮めていく。


 説明の通りだ。女神として生まれ変わった俺には「癒しの力」とやらがあるらしい。使ってみてわかったが、効果はかなり弱いものだ。それでもないよりはマシと言えるが。


「あのさ、あんた馬鹿なの?」

「――――は」

「あんたが馬鹿正直に死んだところでさ、あいつらが律義に約束守ってくれるとは限らないじゃん。あんたが死んでからゆっくり追い詰めるだけかもしれない」


 俺は祝福を使い続けながら、目の前のことが飲み込めないといった様子のぽかんとしたアホ面に、言おうと思っていたことをぶつける。駆け出し女神の力では火傷もなかなか治らない。


「手を引くって確証がないのに死ぬとか、馬鹿がやることじゃん」

「……女神、なのか?」

「そうだよ。まあ、駆け出しだけど」


 目を瞬かせるライゼから手を引きながら、俺はマニュアルを片手で後ろからめくる。突然現れた異世界転移者の演説を聞いている最中、風でめくれた時に見えた新たなページを見るために。


 後ろからめくれば、ノート代わりに使うと思っていた白紙ページの先頭に、いつの間にか現れた文字列が目に飛び込んでくる。やはり、見間違いではなかった。


「あんな信用ない連中よりさ、一か八かこっちの女神に賭けてみねえ?」


 白紙に浮かび上がったのは、上から名前、年齢、能力。そして性格に、ついさっき見た覚えのある人物の、顔写真が一枚。


「それで何もかもうまくいったらさ、俺のこと信じてくれよ」


 その内容に目を走らせて、俺はにやりと口の端を吊り上げる。


 これなら、あの女に泡を吹かせるどころか卒倒させることができるかもしれない。この世界で盛大にイキっているとこ悪いが、あいにく今の俺は異世界転移者を家に帰すための女神なのだ。

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