第25話妄想と絵画教室

私は離婚を言い渡されてから、主人から気持ちが離れて行った。

妄想の中で再び前田さんに惹かれるようになっていた。

幻聴が聴こえてきて、私を励ますのだった。

一人で家にいると絶えず幻聴が聴こえてくる。

薬でも治まらないのだった。

A社にいたころの様々なことがフラッシュバックしてきて、思い出に浸っていた。

日常生活がおろそかになり、息子のことも学校に任せきりになった。

今は自分を休めるときだと思い、最低限の家事しかしなかった。

絶え間なく続くフラッシュバックと幻聴のために一人で家にいると頭が空っぽになったような気がする。

近所のママ友は出来たが、病気のことは言えなかった。


息子は近所の年下の男の子たちと外遊びをするようになった。

私が主人と揉めなくなって、安心した様子だった。

でも、私は主人を避けるようになっていった。

車で送り迎えはするものの、会話は減っていったのだった。

主人は私が病気を再発していることを気にかけていて、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていたが、私は幻想の中にいて、主人のことを無視するようになっていた。

私は主人以外の相談相手が欲しかった。


そんな中、中学時代の仲の良かった友人と会う機会があった。

その子のお父さんはカルチャーセンターでパステル画を教えていた。

私も絵が好きだったので習うことにした。

絵に集中している時だけ、幻聴は治まった。

そして、土曜日には息子を連れて絵画教室に通った。

先生に主人とのことを相談しながら絵を描いた。

こうして先生に相談できるようになり、絵画教室に来ている人にも話を聞いてもらえるようになった。

教室は実家の近くだったが母のところには決して立ち寄らなかった。

私は母との同居を勧めた主人を恨む気持ちが消えないと悩んでいた。

それくらい、母とは相性が合わなかったのだ。

私は母ともうまくやろうと努力したし、妊娠もした。

主人の望むように行動したのに、母とは決別し、流産した。

それは主人のせいではないと頭ではわかっているのに、冷たくしてしまっていた。


先生はそれらの愚痴を冷静に聞いてくれた。

病人としてではなく、一人の生徒として扱ってくれた。

描いた絵を直してもらいながら、私の傷ついた心は少しずつ癒されていった。

絵画教室は、私にとってはカウンセリングの場となった。

夫婦仲をもう一度再構築するために、主人と離れている時間が必要だった。

この病気は何の関係もない人に相談することで、ようやく本音が言えるものだった。

主人に頼ろうとすると、どうしても主人に遠慮してしまう。

だから、第三者の立場で話を聞いてくれる人が必要だったのだ。


一方の主人は一人きりの土曜日を所在なく過ごしていたようだ。

息子も連れて行ってしまうので、一人ぼっちだった。

私は主人に負担をかけないように、息子を連れだしていたのだが主人にとっては孤独に苛まれるようになったようだ。

今から考えるとかわいそうなことをしたと思うが、その頃の私は自分の事で精いっぱいだった。


そして、ある日突然発病した時の最初のフラッシュバックが襲ってきた。

車の中で前田さんとけんかになった場面だ。

今度は部長ではなく、前田さんとのけんかの場面になっていた。

するとちょうどおなかの中から怒りの塊のようなものがこみ上げてきて、頭のてっぺんまで上がっていった。

そしてそれはそのまま天に消えて行った。

そうして、A社へのこだわりが消えて、今の生活に心の比重を置けるようになった。

幻聴が止み、妄想もなくなった。

その日から主人と普通に会話できるようになった。

そして息子に勉強を教えることを再開したのだった。


立ち直った私に、また試練が襲ってきた。

無言電話ではじまり、ついには姿を現した。

ある日、布団を干していると向かい側の裏山から大声で私を呼ぶ人影があった。

「おーい。恵美子、立派な家建てたなぁ。」

「俺、お前を尊敬する。誰も見ていなくてもちゃんと家事やっててさ。」

「俺も俺で今ちょっと大変なんだ。だからお別れを言いに来たんだ。」

「元気でなぁ。恵美子、さようなら・・。」

裏山の人影はオペラグラスを持っていた。

そして、こだまするように聞こえる声は幻聴ではないようだった。

新興住宅地にこだまする声が止み、人影は山を下りて行った。

そして私は、息子を迎えに外へ出て行ったのだった。


引っ越しのお知らせはA社の同僚だった女の子たちにも送っていた。

年賀状でも新たな住所で知らせていた。

だから、それらから漏れてここがわかったのだろう。

私ははじめ、幻覚かと思ったがそうではなかった。

後にわかるのだが、主人と前田さんは近所で対面していたのだった。






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