第21話育児ノイローゼと育児カウンセリング

息子を育てるのは大変だった。

私は母乳が出にくい方で、その分ミルクを多めにあげていた。

すると夜中に飲みすぎたミルクを吐き戻すことが多かった。

ゲホゲホという咳込みの後にそれは起きた。

それも1度ではなく2度3度起きることもあった。

主人と一緒に飛び起きて、ベビー布団やタオルケットなどを洗い、着替えさせた。

それでまたしても昼夜が逆転してしまった。

夜泣きもあり、落ち着いて寝られない。

それは病気を再燃させるものだった。幻聴が聴こえるようになったのだ。

「お前は母親にふさわしくない。ろくでなしだ。」

「生きている価値はない。」などと頭の中に響いた。


息子が1歳になるころには、断乳をしたので、私は再び病院に行くことになった。

幻聴のことを伝えてとても辛いと相談した。

「これで3度目の再発なので、薬を増やしましょう。」と言われて飲むことになった。

子育ての悩みに関しては、聞いてはもらえなかった。

追体験が辛いと訴えたが、医師は母が通院時に介在していたこともあり、信じてもらえなかった。

私が病気が一番ひどかった時には病院へは母に代わりに行ってもらっていたのでネグレクトなどするはずがないと思っていたようだった。

私は医師の言うことを聞かず、薬を止めたのが原因の一つだと思っていたので今度は指定された量をきちんと飲むようにした。

すると幻聴は治まったが、薬が効きすぎて起き上がれなくなった。

なんとかおむつを取り替えたり食事を与えたりは出来たが、それが終わると倒れるように横になってしまう。

満足な子育てが出来なくて、自分のふがいなさに涙がこぼれた。

そして保健センターに電話して、助けを求めたのだった。


保健婦さんは育児支援センターを紹介してくれた。

そこは子連れで行けるところで、子供を遊ばせながら育児の悩みを聞いてくれる場所だった。

そこにはカウンセラーの方が常駐していて、予約をすれば育児カウンセリングをしてくれた。

「子育ては自分の育ちを追体験するので、辛いと感じるのは当たり前なんですよ。」

「親のありがたみが身にしみる人もいれば、恵美子さんのようにトラウマになってしまう人もいます。」

私はようやく、自分の悩みに理解を示してくれる人に出会えて感激していた。

こうして毎週通ってカウンセリングを重ね、アドバイスをもらった。

そして、私が消えてしまいたい気持ちが抑えられないことを話すと薬が効きすぎているのではないかと指摘してくれた。


そこで、次の診察の時に医師に「減薬してほしい。」と申し出た。

「薬を減らすのは危険です。」

「体が動かなくて、自分が情けなくて消えてしまいたくなるのは副作用じゃないんですか?」

「うちのマンションの17階のベランダに何度も立ってるんですけど。」

すると医師は顔色を変えた。

「どうしてもっと早くそれを言ってくれなかったのですか?あなたの場合は薬が劇的に効きすぎてしまうようですね。」と言って減薬してくれた。

すると、低空飛行ながら育児が出来るようになってきた。

次に来院した時に「だいぶ楽になりました。」と言うと医師は「あなたのようにリスパダール(薬)が少量で効く人は珍しいんですよ。論文に書きたいんですがいいですか?」と言われた。

「私が医療の役に立つなら構いません。」私で役に立つことがあるのならなんだってやりたかった。

こんな思いをする人が少しでも減るのなら本望だ。

こうして薄紙をはがすようにゆっくりと症状が治まっていった。


次の育児カウンセリングの時、母親が病気と言う理由で保育園に入ることが出来ると聞いた。

「恵美子さんは育児に熱心すぎるので少し親子が離れられる時間を取った方がいいでしょう。」

「息子君も社会性が身につきますし、区役所に申請してみてはいかがですか。」

そう提案されて、申し込んでみることにした。

既に1歳になっていたので、ラッキーなことに空きがあり、入園が許可された。

それからは、朝息子を保育園に連れてゆき、夕方迎えに行くまでの間自由な時間が取れるようになった。

すると、閉塞感が緩和されて大分元気になることが出来た。

私はこの経験を育児に悩んでいる人と分かち合いたいと思うようになった。

絵本の読み聞かせは続けていたので、絵本の紹介のメルマガを作り、配信するようになった。

読者は日に日に増えてゆき、1000人を超すようになった。

マンションの下に図書館があるので、絵本には事欠かなかった。


こうして、病気を乗り越えたころ、賃貸だったマンションから櫛の歯が抜けるように引っ越していくママ友が増えて行った。

育児支援センターと保育園のほかに私を孤独から救ってくれたのはママ友たちだった。

皆がマンションの更新のたびに家賃が上がるのを気にして分譲マンションや戸建てに住まいを移していった。

その頃、主人が転職を果たして給料が上がったので私も足が地に着いた生活をしたくなっていた。

更に、カウンセラーの人が育児支援センターから退職することになった。


こうして私は郊外の分譲マンションに引っ越すことを強く希望するようになった。

一人取り残されるようになるのは嫌だった。

主人は家を買うことには難色を示した。

「自宅を買うことも不動産投資なんだよ。今は時期があまりよくないと思うんだ。」

「自分たちで住むんだから家賃分のローンで済むなら問題ないんじゃない?」

話し合いは平行線を辿っていたが、最終的には主人が折れた。

女性には落ち着いた住まいが必要なのだと思いなおしてくれたのだ。

しかし、引っ越しを前に義母が体調を崩し始めた。

最初は絶え間ない頭痛に悩まされ、そのうち言葉が出てこなくなってきた。

後に、主人と妹さんたち3人でお義母さんの介護をすることになった。

お義母さんはアルツハイマー型認知症になってしまっていた。













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