第21話 カタルのこれから(エレナ編)
裏庭、秘密の部屋へと続く扉の前。
そこでエレナが木にもたれかかり、雪うさぎのように小さく丸まって眠っていた。
(はは~ん、侍女たちが言ってた裏庭の幽霊ってのはエレナのことだな)
寒そうに体を丸めながら器用にスヤスヤと眠っているエレナを見ていると、ムクムクといたずら心が湧き上がってきた。
むにっ。
ほっぺたをつまんでみる。
柔らかい。
そして冷たい。
つい数分前まで体を重ねていたトワの熱く、高い体温を思い出す。
「ふぁ……? あ、カタルしゃま……あ、すみましぇん、
寝ぼけ
「ふぁ……カタルしゃま……?」
「そんなところで寝ていると風邪を引くぞ、さっさと中に入れ」
「ひゃ? ひゃいっ……!」
エレナはじゅるりと垂れたよだれをローブで拭くと、よろけながら立ち上がった。
なんだか従順で面白い。
一見すると、純真無垢な美少女修道女。
しかし、オレは知っている。
彼女の中に秘められた野蛮で暴力的な内面を。
野蛮で暴力的──という言葉で、先程のトワとの交わりが思い出された。
あれもある意味、野蛮で暴力的か。
そんなことを思いながら扉に鍵を差し込んでいると、エレナがオレの首筋に顔を近づけてきた。
「スンスン、スンスン……んん? なんか変な匂いが……。カタル様、夕食にイカを食べられましたか?」
「え?」
思ったのは三つ。
イカ臭いっていう概念、本当にあるんだ。
イカって、この世界にもあるんだ。
そして。
エレナってもしかして、そういう知識ない?
やっぱり修道女だから、そういうことには疎いのかな?
いや、でもキチゲ解☆放の時は随分スレた感じだったし……。
でも、この美少女っぷりだぞ? 誰にも手を付けられてないってことは……。
いやいや、逆に美少女過ぎて誰も手を出せないってことも……しかもほら、修道女だし。この世界の人からしたら恐れ多いのかも。
と、気がつくと七つくらいの考えが頭を巡っていた。
「あ、ああ……イカは食べていないが、似たようなものは食べたかな……。まぁ、食べたというか食べられたと言うか……」
「たべられた?」
「こほん、ま、まぁ! そんなことより、早く中に入るがいい! 体も冷えただろう!」
「え? あ、ちょっと? カタル様?」
オレは強引に話を打ち切ると、アライグマのように首を左右にかしげてるエレナを中へと押し込んだ。
ガチャリ。
内から鍵をかける。
「ふぅ……」
この瞬間。
マイ防音室の中に入り、中から鍵を閉める瞬間。
この時が、一番心が落ち着く瞬間かもしれない。
完全なる外界からの隔離。
誰も入ってこれない。
オレだけの空間。
オレだけの時間。
まぁ、なぜか毎回エレナもいるんだけどね……。
二つ目の扉を開け、中に入る。
鍵を開ける時に、先に押し込んでしまったエレナの背後から手を伸ばして抱擁するかのような態勢になってしまった。
エレナがなにか艶めかしい声を上げてた気がするが、きっと窮屈だったからだろう。
まぁ、せっかくオレの秘密の防音室に入れてやるわけなんだから、どうかその程度は我慢願いたいものだ。
冷えた空気が染み渡る地下室。
暖炉もないので温かいお茶を淹れることも出来ない。
それでも寒風吹きすさぶ外よりはマシとばかりに体を揺らして体温を上げようとするエレナ。
「お前、もしかして昨夜も来てたのか?」
「はい」
「ハァ……オレは昨日、舘にいなかったんだぞ? いつ頃まで待ってたんだ?」
「大丈夫です、朝には帰りましたから」
「朝ってお前……」
キチゲ解☆放の一体なにが彼女をそこまでさせるのか。
いや、オレならわかるはずだ。
そこまでキチゲを溜めなければならないような環境。
そこに彼女は身を置いているのだろう。
いわばここは彼女にとっての逃げ場、救いの場なのかもしれない。
神でも救うことの出来なかった彼女の心を、オレのキチゲ解☆放が救ったとするならば……。
ちゃんと向き合ってあげないと失礼だよな、オレも。
今朝、絶体絶命の状態になった時、エレナのことが頭をよぎった。
どうやら彼女は、いつの間にかオレにとってのこの世界での気がかりなものになっていたらしい。
「エレナ」
「はい?」
「キチゲ教……じゃなかった。え~っと、ブルリベ……教、だっけか? 広めるんだよな?」
「はい! こんな素晴らしいものを独占しておくだなんてもったいなさすぎます!」
「それな、オレも本格的に広めていこうと思う」
「ほんとですか!」
「ああ」
ダラズ領の領主ドボル。
ああいう鬱屈を溜め込んだやつを相手にするにはうってつけじゃないか、このキチゲ教……いや、ブルリベ教は。
やってやろう、オレの手で。
この世界で守るべきものは、まずオレの命。
それからトワの安全と、エレナの将来。
抱え込んじまったんだからしょうがねぇ。
二人も一緒に抱え込んでいく。
それを守るために、オレはなんだってやるぜ。
教祖にだってなってやろうじゃねぇか。
そして、多すぎる敵を全部塗りつぶしてやる。
待ってろよ、異世…………いぃ……?
何かにぶつかった。
そう思った。
目の前が真っ暗になった。
ガチンッ!
(──った……!)
歯が当たった。
なにに?
エレナの歯に。
体に感じる重み。
ガッ、ガッ──!
続けざまに何度も歯がぶつかってくる。
なんだこれ、新手の攻撃か!?
見れば、エレナはオレにしがみついて目をぎゅっと閉じている。
おいおい、目を閉じてそんなことしてきたらそりゃ歯もぶつかるはずさ。
子供みたいなキス。
トワと交わした情熱的なものとは違う。
幼稚で、でも純粋なキス。
以前のオレだとこれだけでパニックになっていただろうが、幸か不幸かオレは今こういったことに少しだけ耐性が出来ている。
「カタル様……カタル様が悪いんですからね……! 私の体も心も救っていただいたうえに、こんなに優しくされたら……もう無理です……」
体と心?
心はキチゲ解☆放でってことだろうが、体はわからん。覚えがない。
……もしかしてカタルが前に救ってたのか?
でも二人は面識がないらしいが……。
「あの……しかもその……女の人の匂いをそんなにさせて……嫉妬しちゃいますよ!」
あ~、ちゃんとわかってるんじゃん、イカの匂い。
バレてんじゃん、オレが一戦交えてきたこと。
一戦というか、完全に完膚なきまでに叩き潰された一方的な敗戦だったが。
顔を伏せてオレの胸に埋めるエレナ。
冷たかった彼女の体温が、オレの余韻を帯びた熱と混じり合い、二人の境界線を曖昧にしていく。
エレナの小さな頭を見ながらオレは思う。
(そうか……そういうことだったんだ)
擦り寄ってくる女性たちをオレが抱こうとしなかった理由。
もちろん、オレ自身にそういう経験がなかったからというのもある。
だが、一番の理由は。
彼女たちは「カタル」に抱かれようとしてたからだ。
そこにオレ、殿沢風太の存在は一ミリも影響していない。
だから嫌だった。
避け続けてきた。
先送りにしてきた。
元のカタルと比べられてオレの正体がバレるのも困る、といった理由もあった。
だが、そんなのはただの言い訳に過ぎない。
根底のところで、オレは許せなかっただけだ。
オレ──殿沢風太の存在が無視されているということに。
「エレナ」
「はい……」
「今後、オレは子爵の息子カタルとしての顔と、ブルリベ教会の教祖としての顔を使い分けるぞ」
「はい……!」
「そして、その両方が同一人物だとは世間に悟らせぬ方がよいだろう。よってブルベリ教会教祖としての私は、今後『エフ』と名乗ることとする」
エフ。
風太のF。
表では悪役貴族のカタルとして過ごしながら。
裏では元のオレ、殿沢風太として過ごす。
カタルと殿沢風太。
その両輪をもって、オレはこの世界を生き延びてやる!
「エフ……エフ様……あぁ、なんとお美しい……なんと尊いオーラに包まれたお名前……! 私、エレナは、エフ様の従順なる
恍惚とした表情でオレを見上げるエレナ。
その体は、興奮から小刻みに震えている。
「エレナ、オレの名を呼べ!」
「エフ様!」
「もう一度!」
「エフ様!」
「オレは誰だぁ!?」
「至高の
腕の中の小さく柔らかいエレナは、息も荒く瞳孔も開ききっている。
もう、引き返せない。
エレナを巻き込んで、今から走り出すブルリベ教会。
「最初の教会の目標は、ダラズ領領主ドボル・ハマル・ダラズの洗礼とする!」
オレとトワを襲ったボブとドブのナバ一味。
そのナバ一味の巣食うダラズ領。
そのダラズ領の領主ドボル。
ナバ一味を叩き潰すために、まずはこの領主ドボルをこちら側に引き入れる。
成功する可能性は高いはずだ、あれほど鬱憤を溜め込んで世を憎んでいるのならば。
世を……っていうかカタルを、なんだけどな。
「エフ様、さすがです! もうすでに王国の国教となることを見据えてらっしゃるのですねっ!」
「ああ、止まらんぞ、ついてこいエレナ。オレの、いやオレたちのキチゲ解☆放を、世界に広げるぞ」
オレたちが生き延びるためにな。
「はいっ!」
「だが、その前にお前に一つ教えておくことがある」
「はいっ、なんでしょうかエフさ……んんっ……!」
オレは頭を下げてエレナの口を優しく塞ぐ。
「キスは、こうするんだ」
トワにされたことを、エレナにしかえす。
カタルとしてではなく、エフ──殿沢風太として。
「あぁ……カタ……エフ様……」
こうしてオレはこの後。
本日二度目の童貞を捨てた。
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