第8話 不肖エレナの手記

 私はふしだらな女でございます。

 私は神にお仕えする身であります。

 しかしその実、私は信心というものを一切持ち合わせていないのです。

 そんな私が修道女として過ごしている理由。

 それは、今日寝るベッドと雨露をしのげる天井、それに簡素な食事があるから。

 ただそれだけなのでございます。


 そもそも、私のような穢れた女が神に仕えること自体が間違いなのです。

 だって私は、奴隷商に子供を売り飛ばす人さらいの娘なのですから。

 クズと呼ぶにもあたいしない強欲な豚畜生。

 それが私の父でした。

 母も知らぬ私にとって、その男が唯一の家族。

 唯一の頼ることの出来る相手。

 ああ、こんな不幸ありますでしょうか。

 私は、その豚にすがって子供時代を生きてきたのです。


 少女だった私は教育はおろか、まともな生活すら送れていませんでした。

 たまに家に帰ってくる豚の気まぐれに買ってきた酒のつまみの干し肉。

 それだけを食べて生きていました。

 どこかで買った女を連れ帰ってくることもありました。

 そんな時、私は息を殺して一人でジッと地面を見つめて座っていたものです。

 

「早くいい値段がつく年に育たねぇかなぁ」


 いつも豚は私を見て忌まわしげにそう口癖のように言っていました。

 豚からは「外に出るな」と言われていたので、言いつけを守って家から外に出たことはありません。

 出ると叩かれるのが目に見えてましたから。

 時折、穴の空いた壁の外から聞こえてくる同世代の子どもたちの遊び声。

 それは私にとって恐怖の対象、まるで悪魔の鳴き声かのように聞こえていました。


 そんな日々も、突如終わりを迎えます。

 ブラックスパイン領で奴隷が禁止されたのです。

 人攫いしか出来ない愚かな父は、それからも人を攫い続けていて、兵士たちに取り押さえられた際に死んだそうです。

 私が家でお腹をすかせて死にそうになっていた時。

 扉を開けて一人の男が現れました。

 その男は神父と名乗りました。


「もう大丈夫だよ」


 その男の言葉を聞いて、私はこう思ったものです。


 なにを今さら、と。

 貴様らは今まで私のことを見て見ぬふりをしてきたのだろう?

 ならば、せめてこのまま最後まで放っておいてほしかった、と。


 後から知ったのですが、奴隷禁止を決めたのはカタル・ドラクモア・ラインハルトという領主の息子とのことでした。

 なんでも彼は血の通わない鬼畜だとか。

 なんのことはない。

 ただ、鬼畜に豚畜生が淘汰された。

 それだけのことなんだ。

 そう思って、私はそのことはそれ以来ずっと忘れていました。


 十八歳。

 引き取られた修道院で私は修道女として育ちました。

 修道女としての生活は、とてもつまらないものでした。

 なかでも一番の苦痛だったのは、他人の懺悔を聞いている時でした。

 本当にくだらない、本当にどうでもいい悩み。

 何を盗んだとか。

 誰と姦通したとか。

 誰を裏切ったとか。

 誰を殺したとか。

 だから何? としか言えないようなことを、さも大事かのように切実に話す彼らは、私からするとあまりにもぬるま湯で人間ごっこをしているようにしか見えませんでした。


 つまらない修道女生活。

 でも、そんな修道女生活の中にもひとつだけ好きな点がありました。

 それは、清潔です。

 清潔にしていると気持ちがいい。

 ゴミ屋敷で過ごしてきた私にとって、それは衝撃の新概念でした。

 それから私は、事あるごとに目についたところを綺麗に拭き上げていくようになったのでした。

 そうしていると、まるで私の汚れた心が綺麗になったかのような、そんな心持ちになったものです。


 そんなある日、私の寝具に一片のメモ書きが残されていました。


『三百四十年ノクトリス月サンディウム週アウラ日鴉の刻 ラインハルト家裏庭の大樹の裏にある建物の扉を開け、中に入り待つこと カタル・ドラクモア・ラインハルト』


 カタル・ドラクモア・ラインハルト。

 奴隷を禁止し、間接的に私の父を殺したと言ってもいい人物。

 反面、私を豚畜生から救い出した原因を作った人物とも言えます。

 そんな人物が、なぜ私に?

 たしか、彼は鬼畜と呼ばれていたはず。

 だとすれば、私は彼に何をされるのでしょうか?


 ある意味では恩人。

 ある意味では怨敵。

 顔も知らぬその人物に、私は期待と絶望をいだきます。 

 結局、私は畜生によって穢されてしまう運命さだめなのでしょうか。 

 それとも、なにか奇跡的に他の用事なのか。

 いえ、まともな用事であれば夜中にこっそり呼び出すなんてことはないでしょう。

 これはきっと……。


 私はベッドの下からわずかばかりの賃金を貯めて買った唯一の私物、短刀を取り出します。

 私はふしだらな女でございます。

 なぜなら私は顔も知らぬ男、カタル様によって穢されることを期待してしまっているのですから。

 そしてそれと同時に「鬼畜に振り回される地獄のような人生にまた戻るのは、もう絶対にごめんだ」とも思いました。

 だから、もし穢されるのであればふしだらな女としてそれは受け入れよう。

 そして、その後にカタル様もろとも命を絶って終わりにしよう。

 畜生の娘が、鬼畜と心中。

 私にしては立派な最期じゃないですか。

 きっと教会の連中も私を哀れんで同情してくれることでしょう。

 どのみち正教グロリセプター教会は、最近領内で勢力を増してきた邪教ナクロシア教団に押されて、もう先がありません。

 スパッと終わらせましょう。

 神に仕えるフリも、もう飽きてきていたところです。

 私は私のくだらない人生を終わりにするために、カタル様の裏庭へと忍び込みました。



 なんということでしょう!

 信じられますか!?

 カタル様は、私が不満を抱えていたことをお見通しだったのです!

 思ってることを口に出していい!

 思ってることを口に出していいんです!

 あぁ……なんという晴れやかな気持ちなのでしょう……。

 まるで生まれ変わったかのようです。

 しかも、私がカタル様の練習のご様子を盗み見てしまうという失態を犯しながらも、その罪を許してくださったのです。

 

 私は信心を一切持ち合わせていなかったのではありません。

 私は、信心を持つべき神と出会っていたなかっただけなのです!

 あぁ、カタル様! あなたは私の神でございます!


 私の父、豚畜生から救い出してくれただけでなく。

 私の心までお救いくださるだなんて!

 ここで命を終わらせようとしていた私は新たな神と出会い、生まれ変わったのです。

 これからの私は、カタル様の下僕しもべとなって素晴らしき儀式『キチゲ解☆放』を世に広めていくことでしょう。


 あ、そういえば、カタル様からいくつか注意を受けていたのでした。


 ■ 『キチゲ解☆放』は、まだ試作途中である。よって、むやみに広めてはならない。

 ■ ただし『キチゲ解☆放』は、他人に見られると効果を増す。ゆえにお試し期間的なものとして一人だけ限定で勧誘していいこととする。相手はよく選ぶこと。

 ■ 『キチゲ解☆放』は、必ずこの地下室で行うこと。


 以上の三点。

 最初の教義というわけですね。

 さすがカタル様。

 賢明かつ聡明。

 それでいて非常にわかりやすい。

 なんと素晴らしい内容なのでしょう。

 きっとカタル様にはこの世の人間がすべて馬鹿に見えてらっしゃることに違いありません。

 世間がカタル様を鬼畜と呼ぶ意味が全くわかりません。

 真逆ではないですか。

 神ですよ、カタル様は。

 きっと、カタル様の優秀さに嫉妬した連中が流した噂なのでしょうね。

 そうに違いありません。


 あぁ、カタル様。

 愛しい愛しいカタル様。

 カタル様……あぁ、私……あなた様を崇拝しております。

 私の体と心をお救いいただいた敬愛すべきお方。

 これから、もっと『キチゲ解☆放』を世界に広め、浮世を救済してまりましょうね。

 そのためには、この不肖エレナ。

 身も心も、すべてをカタル様に捧げる所存でございます。


 三百四十年ノクトリス月サンディウム週アウラ日 明け方 修道院自室にて

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る