第2話 カタルと二人の兄弟
ふとっちょのちょび髭が、あたふたと部屋の中を左右に動き回っている。
見ればふとっちょ、なんだか馬鹿みたいな格好をしている。
エリマキトカゲみたいなビラビラ。
それを首に付け、しかもぎゅうぎゅうとアゴに食い込みんでいる。
そのうえ鼻の下には、ちょろんと伸びたちょび髭だ。
(なんだ……? キチゲ解放しすぎて、ついに幻でも見えるようになっちゃったか?)
だが、すぐにそれが幻ではないことに気づく。
ふとっちょの後ろに控えた何人もの人々。
貴族、貴婦人、侍女。
全員の格好が中世ヨーロッパ。
しかも、彼らがオレに向けている目線。
そこに込められた感情は──。
敵意。
一同が、みな眉間にしわを寄せ、オレを睨みつけている。
(え……なにこれ? なんでこんな目で見られてんの?)
金髪を後ろで結んだ長身の男が声を震わす。
「よ、よくやったチャム……。我が弟を救ってくれたそなたの手腕、まことに見事である」
「そ、そんなっ! あのっ! 私は別に、あの、その、ほんとになんにも……!」
ん? 弟?
もしかしてそれ、オレのことを言ってる?
「ええい、
貴婦人がふとっちょを一喝する。
「ひぃっ! すみませんヴェロニカ様……!」
ヴェロニカと呼ばれた女性──顔の上半分は仮面舞踏会で付けるようなマスクで覆われ、下半分はど派手な扇子で覆われている──が続けざまにまくしたてる。
「あぁ、もうっ! まったくっ! 本当に腹が立つッ!」
「おい、ヴェロニカ……せっかく弟が助かったというのにその言い方は……」
「ええ、そうですわね、ヘンリー様! みんなの嫌われ者、謀略に長けて周囲を疑心暗鬼に陥れる悪魔のような男、カタル様の命が助かって本当に喜ばしいことっ!」
ヴェロニカが喋るたびに、香水のきつい匂いが漂ってくる。
「この男が死ななかったのであれば、この場に留まる必要はございません! さぁ、あなた! さっさとこの薄気味悪い部屋からおいとまいたしましょう! まったく、こんな悪趣味な部屋にいたら、こっちの寿命が先に縮みそうですわ……!」
「おい、ちょっと……!」
オレの兄と名乗った男ヘンリーは、ヴェロニカの後を追って部屋から出ていく。
(えぇ……? なにこれ……? っていうかオレ、なんか「悪魔のような男」とか言われてたよな?)
状況についていけず戸惑っていると、突如艶めかしい声が部屋に響いた。
「あ、あぁん……! もう、ダメです……アレク様、あっ……んんんっ……!」
壁際に一列に並ぶ侍女たち。
その最奥にいた侍女が、膝から床に崩れ落ちる。
ガバッ。
侍女のスカートの中から金髪のマッシュルームカットの小柄な男が出てくる。
「へへ~! 今日の日課クリアー! っと、こっちに夢中でお兄ちゃんが生き返ったことに全然気付かなかったよ!」
貴族風の装いをしたその男の口の周りはビチャビチャに濡れている。
(お、お兄ちゃん? ってことは今度はオレの弟ってこと? っていうか、こいつ……! メイドのスカートの中から出てくるとは……! しかもなにその液体……なんともうらやま……いや、けしからんやつだ……!)
アレクと呼ばれたオレの弟を自称する男はズカズカと近づいてくると、オレの顔を無遠慮に覗き込んだ。
「んん~? でもなんか、オーラなくなった感じぃ? 覇気がないっていうか? ま、死にかけてたんだから当然っちゃ当然か! でもあと三ヶ月は死なないでね~!」
は?
三ヶ月?
なんで?
「三ヶ月後の子爵位の継承者正式決定まではお兄ちゃんに生きててもらわないと、ボクに矛先が向いてきちゃうからね~」
三ヶ月後の子爵位の継承者正式決定?
なにそれ?
っていうかオレ、子爵の息子なの?
え、なにそれ、転生ってこと?
で、その転生先の貴族の継承者争いに巻き込まれて殺されかけたってこと?
「じゃ、ボクは戻るけど、みんなも早く出たほうがいいよ~! でないと、鬼畜のお兄ちゃんに取って食われちゃうぞぉ~!」
アレクの言葉を聞いて急にし始める侍女たち。
「じゃあね~! お兄ちゃん、お大事に~!」
陽気に手を振って部屋からアレクが出ていくと、その後に続き七、八人ばかりいた侍女達も早足で退室していった。
「そ、それではお水とお薬、ここに置いてますので! わ、私もこれで失礼しま……あぶっ!」
専属医と呼ばれていたふとっちょ(たしかチャムと呼ばれてた気がする)が、すっ転びながら部屋から転げ出ていく。
(…………)
部屋に残ったのは、ベッドの上で呆然としてるオレと侍女一人だけ。
侍女は、目を伏せたままじっと気配を消して部屋の端に立っている。
黙ってても埒が明かないのでオレは侍女に話しかけてみることにした。
「あの……」
予想外に低い声。
え、オレってこんなに声低かったっけ?
「はい。なんでしょうか、カタル様」
かすかに目線を上げて侍女は答える。
カタル様?
たしかヴェロニカもさっきそう呼んでたよな。
「ちょっと記憶が曖昧なんだけどさ、オレって悪魔って呼ばれてるの?」
「はい」
「鬼畜とも?」
「はい」
「もしかして女癖も悪い?」
「はい」
「ひょっとしてめちゃくちゃ恨みを買ってたりする?」
「はい」
「キミも、オレを恨んでたりするのか?」
「…………」
ずっと伏し目で答えていた侍女は、はっと目を開き「どうだろう?」みたいに小首をかしげる。
その時、初めてちゃんとその侍女の顔がはっきりと見えた。
かわいい。
口が半開きだ。
「えっと……オレの名前ってカタルなんだよね?」
「はい、カタル・ドラクモア・ラインハルト様で、ブラックスパイン領を治めるラインハルト子爵の次男でいらっしゃいます」
「ブラックスパイン領? えと、オレって……
「……意識を戻されたばかりで混乱されているのですね。ほら、暇さえあればいつもしてらっしゃったように、どうかこの鏡を見て思い出されてください」
メイドから鏡が差し出される。
デカい、重い、そして趣味が悪い。
アンティーク?
オレは、そのゴテゴテとした装飾の鏡を手に持って中を覗き込んだ。
すると。
そこに映っていたのは。
見ただけで鬼畜! 性悪! という印象を受ける。
銀髪の。
冷酷そうな──美男子だった。
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