37.大好き、私のヒーロー



 クララさんから受けた連絡を俺は考える。

 ひとまず彼女達には一度戻ってもらって、傷を癒した方がいいだろう。

 話を聞くに一般人の被害は出ていない。うちのレスキュアーも怪我こそあるが重傷者はおらず、特に問題ないように思える。


「……マジで綾乃ちゃんって淫魔女神かも」


 だけど、それに違和感を抱くきっかけをくれた女の子がいる。

 いや、疑いはずっと持っていた。だからこそ色々と準備はしてきた。

 だけど確信を持てたのは白百合さんとの関わりがあり、存在呑みの犠牲になった者の情報が得られたからだ。

 俺は趣味のレスキュアーカードファイルをぺらぺらとめくる。うん、カッコいいし可愛いしで多種多様なカードが並んでいる。

 あとはロッカーも確認。

 

「はぁ」


 ため息が出る。

 ああ、やっぱり俺ってクズだなぁ……なんて思ってしまった。




 ◆




 聖光神姫リヴィエールは存在呑みの胃の中で静かに抵抗を続けていた。

 周囲の死骸を見ていればわかる。あれを受ければ、体を溶かされ存在を呑まれる。

 だから自らを包む光の防御壁を張った。長時間維持するため魔力は絞る。最低限、胃液に耐えられる程度の耐久力があればいい。

 暴れたらその分体力を消耗する。

 今、リヴィエールにできることは助けが来るまでしぶとく生にしがみ付くだけだった。


『私の胃液を防ぐバリアー……。それは、寝ていても使えるのか?』


 取り合うな、あれは心を折るための手管だ。

 しかし耳を塞ぐことはできず、煩わしい言葉に苛まれる。


『魔力が尽きれば終わり。疲れて集中力が途切れても終わり。どれだけ耐えても睡眠をとらなければもたないだろう。そして存在しないものを助ける者はいない。無意味なことだ』


 反論もしない。

 だが、代わりに悲鳴を上げる。


「きゃー、たすけてー」


 抑揚のない、完全な棒読みだった。

 助けを求めながらもその目には怯えも焦りもない。それが存在呑みには気に入らなかったのかもしれない。


『助けなど、来ないと言っている』

「やぁん、ゆるしてー。……でも、お約束だから」


 意味の分からない返答に、胃液の量が増した。

 光の防護壁が削られる。さらに魔力を籠めて胃液を遮断するが、負担は大きくなった。


「わーん、わーん。たすけてー」


 泣き真似もしてみせる。

 間近に迫った死を前にしても、存在の消失を悟ってもリヴィエールは屈しない。

 脳裏には、いつか見た正義の味方の姿が映し出されている。

 

 氷川玲にとって東翔太朗は命の恩人だ。

 彼が化物を普通の人間にしてくれた。生きる術を教えてくれた。

 翔太朗にとってのヒーロー像は家族のために働く父親だったが、玲にとっては翔太朗こそがヒーローだった。


 感じているのは恩義だけではない。

 玲は翔太朗に異性としての愛情を向けている。

 しかしその理由は「恩人だから」でも「私のヒーローだから」でもなかった。


 人間として見た時、翔太朗は決して完璧とは言えない、むしろ欠点の多い人間だ。

 抱えた憎悪を見透かされないよう殊更に軽い振る舞いをしたり、独りよがりな善意で多くの負担を背負い込もうともする。

 無茶をするなと言うクセに、自分は当たり前のように無謀な行動をとる。

 そもそも彼は親バカというよりもバカ親な過保護さを、玲どころかクラッシャーマンや自信より強いアステレグルスにさえ向けている。

 目的を達成するために非道に手を染めて、それを後悔しては俯いてしまう。 

 それでいて軽妙洒脱を気取って、誰にも弱音を吐こうとしない。

 総合すれば東翔太朗は「弱いくせにかっこつけのバカ」なのだ。


 そして、それがいいのだと氷川玲は思う。

 弱さを隠して必死に強がって前を向く。

 抱えた憎しみを忘れられなくても、今あるものの価値を見失わず大切にする。

 彼の矛盾を、至らないところを知った時にこそ彼女は恋慕を抱いた。

 足りないものの多い彼だから、いっしょ歩み補ってあげたいと思った。

 けれど、同時に東翔太朗がヒーローであることも、また疑ってはいない。


「いつだって、翔さんは私のヒーローだから……」


 だから助けを求めないといけない。

 それが“お約束”というものだろう。


『くだらない真似を』


 存在呑みの言葉に意味はない。

 耳にはちゃんと、彼の声が残っていた。




 ◆




 どれくらいの時間が経ったろうか。

 常時魔力を放出しているのだ、さすがに負担が大きく魔力の残りも心許ない。

 肉体的な疲労も相当溜まっている。酸素が少ないせいか頭も朦朧としてきた。

 リヴィエールはじっと動かないことで可能な限り消耗を抑えてきたが、それでも限界は近付いてきている。


『なのに、何故諦めようとしない』


 それでも彼女は生存に勤める。

 存在呑みはこれまでも踊り食いを楽しんできた。腹の中で惨めにみっともなく助けを請う人間を幾度となく味わってきたのだろう。

 だからこそリヴィエールのように、気力を失わず助けを求める言葉だけを吐く奇妙な餌を理解できずにいる。


「だって、そういうもの、だし」


 少女は何気なく答える。

 喉が渇いて、声もかすれている。けれど自慢するような響きがあった。


「私は、たすけてーって、何度も言う。お約束、だから」


 限界間近で、単に意識がはっきりしていないだけだったのかもしれない。

 うわ言のようにリヴィエールは内心を晒す。

 絶望的な状況でも胸にあるのは彼のことだった。


「いつだって、彼は私のヒーローだから……」


 世間様に負けてレスキュアーに改名された。いや、そもそもの話彼はレスキュアーにはなれなかった。

 今の彼を表す称号は、自称怪人くらいだろう。

 それでもリヴィエールは……氷川玲は叫ぶ。


「たす、けて……」


 恐怖や焦燥から助けを求めたのではない。

 これは単なる様式美というものだ。

 だってそうだろう。

 ヒーローが、助けを求める声を聞き逃すはずがない。


『がぎぅ……!?』


 瞬間、肉壁の牢が揺れた。

 ああ、やっぱり来てくれた。

 玲は静かに微笑み、改めてお約束のセリフを口にする。


「助けて、私のヒーロー……!」


 ヒーローは、子どもたちの「たすけてー!」の声で登場する。

 子どもたちの応援があれば絶体絶命のピンチからでも、大逆転で勝利をつかみ取る。

 理屈や理論ではない。端からそういうものだと決まり切っているのだ。


『ごかぁあ……!?』


 そうして、黒いプロテクターに覆われた腕が伸びてきて、リヴィエールを掴み。


「返してもらうぞ、存在呑み……! きっと、そこにいるのは俺にとって大切なものだ、てめえなんぞに奪わせてなるかよ!」


 俺のもの……!? その表現に胸を高鳴らせる。

 相変わらずの迂闊な言葉と共に、囚われた少女を肉の檻から引きずり出した。




 ◆




 場所は身体啜りを葬った廃工場。

 奴らは揃いも揃ってここを根城にしていたらしい。

 存在呑みの口に腕を突っ込み、指に触れた誰かを掴み引きずり出す。

 そして腹から出た瞬間、パズルのピースがかっちりハマるように記憶が蘇る。

 

「玲ちゃん……! よかった、ほん、とうに……!」


 彼女の無事に感極まり、思わず抱きしめてしまう。

 存在を消される前に彼女を取り戻せた。

 おそらくバリア系の魔法で抗っていたのだろう。そのおかげで救出することができた。もしも少しでも動くのが遅かったら、玲ちゃんのことを忘れ去っていた。その恐ろしさに体が震え、遅れて怒りがわいてくる。


「君がいなくなったら、俺はどうすればいいんだよ……」

「ああ、これはもうプロポーズと同義。ありがとうお母さん、玲は幸せになります」


 かすれた声と俺自身の余裕のなさが合わさってうまく聞き取れなかった。

 けれど力の入らない手で玲ちゃんは抱きしめ返してくれた。それでようやく、彼女がここにいると実感できた。

 けれど間髪入れず、存在呑みが襲い掛かってくる。

 敵を目前に感動の再会なんてやってる方がどうかしてる。


「させねえ」


 けれど動く必要もない。

 俺達を守るように改造人間ガシンギが割り込み、突進する存在呑みの側面に蹴りを叩き込む。

 不意を打たれた形になり巨漢が怯んだ。

 

「緊急休日出勤、手当は弾んでもらうっスよ」

「俺は、ラーメン奢りでお願いします」


 クラッシャーマンは爆発、アステレグルスは獅子星の太刀で追撃を加える。

 が、向こうの退避が早かった。

 距離が大きく開き、その間に俺も態勢を整える。


「シズネさん、任せた」

「おっけー♡」


 玲ちゃんを預けて、俺は立ち上がる。

 ミツさん達は、俺の確証のない行動に付き合ってくれた。岩本くんやレオンくんは休みなのにわざわざ駆け付けた。

 ブラック支部長で申し訳ないが、ここで決着をつけたい。 

 眼前には、長年追いかけてきた仇敵、存在呑みの姿があった。


『どうやって、気付いた……?』


 クララさんから報告を受けた俺は、ウチの異災所の誰かが存在呑みに食われたことを察し、すぐに行動に出た。

 踊り食いを好むこいつなら、食べられてからある程度の猶予はある。そんなか細い可能性を信じて、無謀な戦いを挑む。

 しかし玲ちゃんもまた俺達を信じて、生きる最大限の努力をしてくれた。そのおかげで、俺達は今ここに立っている。


「着せ替え人形が、転がっていたんだ……」


 俺は遠い昔、存在呑みどもに家族が殺された時のことを思い出す。

 あの時、三人しか住んでいないはずの家には女の子向けの着せ替え人形が転がっていた。

 そこが始まりの違和感だった。


「てめえを追うために、異災機構に入って、MDの情報に触れられるまで出世した。んで、洗い出して違和感に気付いた。お前と接したレスキュアー部隊に関する書類は、変な空白があるんだ。スリーマンセルで動いていた筈なのに、なぜか二人しか人員がいなかったり。だから、あくまでも状況証拠からだが、推測が成り立つ。お前は怪人型のMDだが、現象型に近い“ルールを捻じ曲げる”系統の異能を有している。それこそが存在を消す力、なんだろう?」


 もっとも、三岳常務やミツさんの力も借りて出した仮説なので俺一人の功績ではない。むしろ頭脳労働は常務がメインだった。

 だとしても俺たちはヤツの異能に当たりを付けた。

 洗脳や忘却ではまだ足りない。存在呑きみのみはその名の通り、君という存在を呑むのだと。


「だから、きっと、俺の家にも誰かいた。女の子かな。それとも人形好きの男の子? いや、コレクター趣味の大人だった可能性も。戸籍もなにも残っちゃいないから、今さら知りようもないが」


 俺はきっと奪われ失った。

 初めから存在していない誰かを。


「ただ、それならおかしいんだ。だって、存在そのものを消すなら、なんで俺の家に着せ替え人形が転がってるんだよ。戸籍も、記録も消えるのに人形だけが残った。つまりお前には、俺達がまだ理解しきれていないルールがある。それを浮き上がらせるためにいろいろやったぜぇ?」


 シフト表を毎日のように確認した。

 防犯ブザーを変身前に捨てるよう義務付けた。

 レスキュアーカードをファイリングして、皆へのプレゼントだって用意した。

 そうやって試行錯誤をして、少しずつ真に迫る。


「存在を消されても、残るものはあるんだよ」


「絆とか、そういう話じゃないぞ? 例えば、玲ちゃんの存在を消されたら、俺は彼女のことを忘れるだろう。その際、戸籍や記録なんかも消える。だが人形は残った。もしも俺が、彼女へのプレゼントを用意して、かつ渡していなかったとしたら。それはあくまで俺のものだから、存在の有無にかかわらず物自体は残る」


 あの着せ替え人形は両親が用意し、結局渡せなかったもの。

 だから贈る対象が消えても残ってしまった。


「つまり、お前の能力が及ぶ範囲は、あくまでも喰った対象だけだ」


 毎日毎日確認したシフト表には行のズレがあった。

 完璧に整えたはずのレスキューカードのファイルにもいくつか空きが出来ている。

 俺の普段の生活は、所属レスキュアーに何かあったことを知るためのポイントを増やすためにあったと言っていい。

 ……だから俺は俺をクズだと思う。

 どんなに取り繕おうが、自分の職場の仲間を囮にしたのだ。


「まあ、場所を割り出せたのはお前が迂闊に暴れてくれたおかげだけどな」

『なるほど。そんな、制限があったとは』


 自分でも気付いていなかったのか、存在呑みは驚いた様子だった。


「逆に俺からも聞かせてくれよ。なんで、十年も経ってから俺の前に現れた?」


 帰ってきたのは醜悪な笑みだ。

 なにを馬鹿な、とでもいうような嘲りが多分に含まれている。


『自分だけが特別だとでも思っていたのか?』

「なんだと……」

『あれだ、ワインセラーだよ』


 意味が分からず眉を顰める。

 反して存在呑みは、苛立たしいくらい楽しそうだ。


『ワインを冷暗所で保存して、機を見計らって飲むだろう? それと同じ。棚に複数を並べておいて、そろそろ飲み頃かなとコルクを開けてみたのだ』


 それが今だったに過ぎない。

 奪われたのは俺だけではなく、動いた理由に大した意味もなかった。

 こいつにとって俺が歩んできた道のりは熟成期間。

お前はよりおいしく味わうために寝かせておいたワインのうちの一本だと存在呑みは語りやがったのだ。


『なぜ十年程度のことでそうも言う。お前たちは、自分が生きている間には飲めない美酒のために、平気で百年寝かせるではないか』

「ふざけた、ことを。そんな道楽のために、俺の家族を」

『いやいや、私なんでまだまだ見習いのようなものだ』


 化物のくせに教師ぶり、人差し指を立てて解説なんて真似をしてみせる。

 以前見た時よりも、振る舞いに人間味が巻いているような気がした。


『面白いことを教えてあげよう。世の中にはな、すばらしい食べ物があるのだ。ガチョウにムリヤリ餌を食わせて肥えさせ、脂肪肝となった肝臓を取り出す。世界の食通の認める美味、フォアグラだ』


『魚を活きたまま切り、まだビクピクと動いているうちに食らう。活け造り、ご馳走だな』


『極めつけは、生きたロバを縄で繋ぎ、客が食べたい部位を指定する。するとコックが目の前で小刀を用い、ロバの身を削って客に出す。こうして切り出したばかりの肉を湯通しして食べる。ロバのしゃぶしゃぶというらしい。美食のためには、あらゆる犠牲をいとわない種族がいるのだ。人間というのだが、知らないか?』


 くつくつと、完全に見下し切った態度でヤツが笑う。


『私は、よく人間に学んだ。お前たちは、美味い肉を作るために何十年とかけて交配を続けてきた。植物の遺伝子を弄るまでした。神の摂理に逆らい、生命の根本を造り替えることを平然とする。そもそもの話、踊り食いとて教えてくれたのは人間』


 そうしてとどめを刺すように、存在呑みは醜悪な笑みを浮かべた。


『お前たちが、私をグルメにしてくれたのだ』


 涼野さんに話した仮説を俺は思い返す。

 もしも異命災害が、かつてよりも凶悪になっているのだとしたら。

 それは俺達が時代と共にどうしようもなくなっている証拠なのかもしれない。

 仮設の正しさを証明するかのように、存在呑みはそのクズさを見せつける。

 

「そうかよ。なら十年以上も放置して、すっかり腐った俺を味わえ。食あたりで死ねよ悪食」

『なにを。日本人は、腐った豆を喜んで喰うだろうに』


 こいつは、生かしておけない。

 俺は殺意を籠めて強く拳を握りしめた。

 

 ようやく、てめえをぶち殺せる時がやって来たのだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る