15.一区切り
身体啜りとの戦いが終わり、俺は事務所に涼野さんを呼びだした。
あの後すぐに魔法少女シズネさんが治療してくれたおかげで、彼女の骨や筋肉は元通り。皮膚も奇麗に再生し、染み一つない白く眩しい肌が戻った。見てない、報告を受けただけです。
ただ、涼野さんも思い知ってしまった筈だ。
正義の味方への憧れだけではどうにもならない現状というヤツを。
「すみませんでした、東さん。……じゃない、東支部長」
あえて言い直したのは“気安い上司さん”ではなく“異災所の責任者”に対する態度だと明確に示すためだろう。
「私、本当を言うと東支部長は頼りないって思っていました。いつもユルいし、すぐに逃げろとか、市民を守る強い気持ちがないんだって。でも違った。本当に、私たちのことを心配してくれていた。私の命ぐらいじゃ届かない化物がいるなんて考えもしてませんでした」
彼女は申し訳なさそうに俯きながら謝罪を絞り出す。
ならおっけー、いいよいいよ。……なんて言ってはやれない。
ここは涼野さんにとって分水嶺だ。これからどうしていくかを、よく考えないといけない。
「涼野さん。敢えて、イヤなことを言わせてもらうね。今回君が生き残ったのはただの運だ。身体啜りが腹いっぱいだったから。意志を持つから、嬲ることを愉しむ趣味があったから、俺でもどうにかできた」
「はい。東支部長がいなかったら、私は……」
「んー、そうでなく。俺がアレを上回れたことも運だよねって話。ちょっとタイミングがズレてたら、二人して殺されていたかもしれない」
俺の戦闘可能時間は極端に短い。
多少強くとも下手を打てば誰にでも負けてしまう可能性がある。
なので、支部長がいれば大丈夫みたいな認識を持たれると困るのだ。
「支部長、でもですか?」
「そらそうだよ。そもそも俺は旧式の実験用改造人間、基本は物理一辺倒だからね。魔力を帯びた攻撃もできるはできるけど、敵によっては全く敵わない、って場合もある」
涼野さんの顔が青くなった。
ひどい怪我だったし、また次も同じ目に合うのでは……なんて想像したのだろう。
「だから、まぁ……嫌になったなら、辞めてもいいよ。もし、自分から言い出しにくいようならクビにする。結局はバイトだから君には何の責任もないし、正義なんて命張ってまで貫くようなもんじゃないさね」
以前の彼女ならきっと反発しただろうが、今ならもう少し素直に耳を傾けてもらえると思う。
「……支部長は、なんていうか。もしかして、あんまりヒーロー好きじゃないんですか?」
「いいや。めっちゃ好き」
だって、ミツさんがいなかったら死んでたし。
加えて、誰かのために生きるなんて出来なかった身なもんで、憧れさえ抱いてる。
「たださぁ、俺は救われた側だから、思っちゃうわけよ。自分を助けてくれた人たちが、なんにもしないで守られるだけの側に文句を言われるのは控え目に言ってクソだなって」
「それは……」
「賛否両論のレスキュアー制度だけど俺は大賛成。いいじゃん、正義の味方が正月休んだって。人気者になってお金がっぽがっぽも当然だし、プライベートは好きに遊ぶべき。頑張った人が相応に報われるって、そんなに変なことなのかなぁ」
辛ければ泣いて、怖かったら逃げていい。
それでは市民が犠牲になる? じゃあ正義の味方が犠牲になるのはいいのか。
力を持つ者には義務がある? 付随する権利はどこ行った。
だからって、市民を見捨てていいとも思わない。
俺が支部長をやっているのは、可能な限りうまくバランスをとる調整役をやりたいと考えたからだ。
「……あの、もう一つ質問が。ああいう化物のこと、世間には知らされないんですか?」
「うん。異災機構の規約として、MDは正職員の中でも実績ある人にのみ伝えられる機密情報なんだ」
どうしてって、人に化けて社会に潜り込むのとか、精神を操るのとか。下手に広めると、社会に影響がデカすぎるヤツもいるから。
今回はT市に潜伏してる可能性があるから本部に無理言って情報共有の形で伝えたけど、わりと特例だ。
「ミツさんは悪の組織と戦ってたヒーローだし、若いけどレオンくんも色々ある子だからね。甘原さんは魔法少女時代、つまり十歳くらいの頃にはMDと戦ってた。氷川さんも、知識としては知ってる。でも一般人はもとより、まだ覚悟の決まらない若手には、とてもね」
それぞれ理由はあれど、ウチの正職員はああいう悪辣な奴らと戦うと覚悟した人たちだ。
だから余計に正規のレスキュアーは報われるべきだし、バイトさんが無理をすることはないとも思う。
でもしばらく考え込んだ涼野さんは、強い決意を瞳に宿して、まっすぐに俺を見た。
「支部長……私、辞めません。ご迷惑でなければ、これからもよろしくお願いします」
「……いいの? 次は」
「次は、ないかもしれない。死ぬかもだし、私がバカをやって誰かを……。分かってます。でも、わ、私はかつて見たヒーローに憧れて、一歩を踏み出したんです。なら、やっぱり責任はあるし、ここで投げ出すのはなんか違う気がするんです」
「“なんか違う”で賭けるほど命って安くないと思うんだけどなぁ」
「それを言ったら、支部長だって」
「いや、俺の場合八つ当たりオンリーなんでまた事情が違うというか」
こちらの事情を突っ込まれるとどうしても歯切れが悪くなってしまう。
でも、最後の悪あがき的に言い含めておく。
「またひどい目に遭うかもよ」
「逆です。ひどい目に遭ったから、他の誰かにこういう思いをしてほしくないんです」
どうやら、もう決めてしまったようだ。
だけど硬いだけの意思ではないらしく、ふんわりと少女は柔らかく微笑む。
「私、辞めないです。でも、硬いばっかりじゃダメだと分かったから。もっと強くなるし、逃げることを覚えて、普段は気を抜いて、プライベートも楽しみます。昔のヒーローじゃなくて、支部長の言うレスキュアーになってみたいんです」
そうまで言われては俺の負けだ。
両手を上げて降参の意を示す。
「分かった。じゃあ、これからもよろしく」
涼野さんは、今度は満面の笑みをみせてくれた。
◆
と、マジメな会話を終えた翌日、俺はパティスリー・ララで大量にスイーツ的なサムシングを買い込んだ。
俺は確かに強力なんだけど稼働時間が短く消耗も激しいので定期的なカロリーと糖分とタンパク質の摂取が必要なのだ。
あと性格的にあんまりシリアスを維持できない系のイケメンなので、普段は気を抜かないとやってられない。
スイーツはすごい。
カロリー+卵のタンパク質+炭水化物+糖分を一気に補給できて、さらに美味しいとか世界を制するレベルの有能食品だ。しかも心の栄養なのでいくら食べても太らない気がする。
ぶっちゃけ栄養だけを考えたらカロリーブロックの方がいいんだけど、甘いものの方が好きだし舌にがつんとくるのでこっちばっか食べています。
事務所の端で「マジかよ、見てるだけで口ん中が甘くなりやがる……」みたいな目でミツさんが眺めているけど気にしない方向で。
タルトは季節ごとの果物が楽しめるので外せないし、NYチーズケーキのなにがニューヨークなのかは分からないけど気分はロサンゼルス。
生クリームは心の栄養だから必須成分だって偉い先生が言っていたような気がするから、皆さんも罪悪感を持たずに沢山取り入れましょう。
けどラムレーズンだけは苦手。本格的であればあるほどお酒の風味が強いので、アルコール全般がダメな俺には辛い。
お酒に関しては改造人間の機能の問題でなく単純に趣味嗜好。ただしパウンドケーキにはコアントローの風味がないと寂しい、わりと注文の多いタイプでもある。
「東支部長、紅茶のおかわり入りましたよ」
「ありがとう、高遠副支部長」
「いいえ。無事に帰ってきてくださって、嬉しいです」
今日ばかりは事務所でケーキパーティーをしていても怒られない。
ていうか、普段から怒られた覚えないや。せいぜい甘いものを食べ過ぎないように注意されるくらいだ。
どうせカロリーを取るなら普通の食事、または機能補助食品を摂取するべき、が高遠副支部長の考えだからね。俺は良子ちゃんに未だに心配されているのだ。
「自分ではあんま買わないけど、やっぱお高いとこのは美味いっスね」
「ララのクリームはしっかり甘くて舌触りもなめらかなのに、重たくないからね。ここら近辺では一押しだよ」
今日はクラッシャーマンの岩本くんもお茶会の席に参加してくれた。
彼はミツさんほど甘いものに拒否感がなく、シュークリームを頬張っている。シュークリームは他のケーキと違ってお値段安めだが、クリーム勝負のためその店の腕がダイレクトに出る。シュークリームを軽んじている店が高位のスイーツ使いだった試しは俺の経験上ない。
「でもケーキ一つ八百円は、なかなか手が出ないっスよ」
「岩本くん、グッズ売り上げでの収入は少ないけど、別に稼ぎが悪いってわけじゃないよね?」
「稼ぎどうこうでなく、なんかこう、これ一つで牛丼特盛食えるのかぁ……って思うと勿体ないというか。俺の場合、コンビニのプリンとかでもわりかし満足できるもんで」
「あぁ、感覚的には分からないでもないわ」
そこを気にしていたらスイーツなんて買えないので意図的に無視してるけど。
「というか、最近のコンビニスイーツレベル高いよね。全体的に物価が高くなってきたせいで、なんならお値段的にも割安まである。俺とレオンくんが加入するコンビニグルメ推奨協会にも認められている逸品が数多く存在している」
「やべえ、なにその団体。冷やしぶっかけ蕎麦に、コンビニチキンとコロッケを突っ込んでその上からツユをかけて食べるの好きなんスけど加入資格あるっスかね?」
「ようこそ、協会に。オムライスにレトルトビーフシチューをかけてちょっとリッチなデミグラスを気取る副会長が君を歓迎しよう」
「あ、会長はマルティネス先輩の方なんスね」
ちょっと呆れた感じだった。
失礼なバンドマンである。
「バナナヨーグルトムース美味しい」
「氷川さん、ヨーグルト系好きだよね」
「はい。酸味と甘さのバランスが最高」
普段はクールな氷川さん甘いものには頬が緩む。
時々俺がいないうちに隠したオヤツを食べているけど、代わりに新しいのを入れてくれるのが彼女だ。自分だと選ばない種類のお菓子が入るので、けっこう楽しみだったりする。
氷川さんは酸味ある爽やかなクリーム系がお好み。俺はこってり甘いのが好きだ。なんなら外国製の歯が溶けるくらい砂糖入れたやろっていう粗雑な甘い菓子も全然食べられる。若干味覚が鈍いので、むしろそれくらいの方が美味しい。
「俺はやはり濃厚チョコ系。ケーキもいいがドーナツも素晴らしい。揚げた後に砂糖液に浸してさらにクリームやチョコをごってり乗せた罪深きドーナツが大好きです」
「氷川液は?」
「
キョトンとした顔で何を言っているのか。あと氷川液ってなんぞや?
質問した時に危険な答えが返ってきたら俺がクビになる可能性があるので口をつぐむスタイル。
今のご時世、職場での下手な発言は○○ハラトラップの起動トリガーなのです。
そんな和やかなお茶会の途中、涼野さんがドンっとテーブルを叩いた。
「納得いきません!」
決意を新たにした彼女は今日も元気に出勤している。
まだ心の傷は癒え切ってないだろうに、以前と変わらない振る舞いを見せていた。
「あれ、好みのヤツなかった? なんとかイーツで宅配してもらう?」
「そうじゃなく! なんで東さんの功績が本部のものになってるんですか⁉」
今日、各異災所に報告があった。
残された皮だけの死骸から、優に百人を超える被害者を出したと推測される悪辣なる災害。その具象化たるマリシャス・ディザスター……
音頭を取った三岳常務は表彰されて、次期トップは彼しかいないと目されているらしい。
そこにミルメコレオの旧式改造人間の名は入り込む余地がない。
「しゃーない。だって、俺レスキュアー登録されてないし。というか、登録できない違法技術の塊だからね」
「それがおかしいんですよ! 特例でレスキュアーだって認めたっていいじゃないですか! ……そうじゃないと、あんまりです」
涼野さんは悔しそうに唇を噛む。
それに反論したのは、高遠副支部長だった。
「秩序側が特例を認めれば、現状の“とりあえずの平穏”は崩れ、違法行為がまかり通るようになります。まだ権利擁護運動に端を発する改革から十年しか経っていません。レスキュアーの今後を考えるなら、“成果を上げれば違法の改造人間でも認められる”などという前例を作ることはできません」
そうなれば、後に続く者が出てくるかもしれないからね。
個人的にはこの技術が失われていくのは悲しいけれど、これが時代の流れなのだろう。
「でも、東さんもミツさんも、改造人間の力を正しく使ってるじゃないですか!」
「いや、ミツさんはともかく俺はあんまり正しくない気が」
「個人の善性を信じて人体改造を是としては、いずれ破滅的な技術が生み出されるかもしれません。強化改造手術の名目なら、人体実験が自由になるということですから」
「俺、支部長。軽く無視されてるの」
言い争う涼野さんと高遠副支部長。俺の立場が軽い軽い。
でも岩本くんは無視せず俺に声をかけてくれる。
「支部長、支部長」
「どうしたんだい、岩本くん」
「そもそも、なんで旧式改造人間だけそんな槍玉にあげられてるんスか? 魔法少女や異能者だって犯罪者になるし、新式改造人間だって同じ。そもそも話、金と技術さえあれば成立する装甲戦士の方がヤバイっスよね?」
「あー、これは規律とか法とかじゃなく、“お気持ち”の話だから」
ルールを逸脱したかが論点ではない。
一般にどう見られてしまうかが問題になる。
「人間に手を加えるなんて非道だ。手術を受けた改造人間はかわいそう。かわいそうな彼らを駒として使う企業なんて信用ならない。そんな企業は認めちゃいけない、そうなると困るから前もって手を打つ、って論法なわけよ」
「認められないといけないんスか? 俺らが町を守ってんのに?」
岩本くんはしきりに首を傾げている。
「大衆に認められない正義の味方って、本質的には化物と変わらないんだ。支持を得られず力を行使し続けると、“あいつら危険だ!”って一般人との間に溝ができて、今度は異能を生まれもった岩本くんみたいなタイプが差別の対象になるかもしれない。下手すると国が討伐か管理に乗り出すまである。そうすれば元の木阿弥でしょ?」
「納得いかねぇス……」
「そりゃ俺もだよ。でもね、正義の味方はじゃんけん方式。悪にはめっぽう強いけど、市民には必ず負けるようになってるのよ」
だから、レスキュアーのタレント化に繋がる。
人気者になるっていうのは、俺らみたいな商売には自衛の一つでもあるのだ。
「東さんすごかったのに、一番頑張ったのに……」
「いいじゃないの。人知れず悪を倒すのは、正義の味方の基本でしょうて」
まだ納得いっていないのか、涼野さんは頬を膨らませている。
そんな彼女に笑みを落として、俺はシャインマスカットのミルクレープを一口頬張る。
美味しいケーキを皆で食べる時間が何よりの報酬だ……なんて物言いは、さすがに気取り過ぎているだろうか?
「ま、本人が気にしてねえんだから別にいいだろ」
今まで黙って様子を眺めていたミツさんが口を開く。
「もし、支部長が評価されてほしいってんなら、涼野の嬢ちゃんが目立てばいい。大人気のマイティ・フレイムって具合に世間が騒げば、本部もさすがは東支部長だってなるさ」
実際マイティ・フレイムはアイドルになれる素養が普通にあると思う。
どっちかというと、その方向で進んでくれた方が事務所のためだし俺も嬉しい。
「わ、分かりました。じゃあ、ちょっと苦手だけど。そっちの方も、頑張ります」
「そう? なら俺も気合入れて営業かけて、仕事をとってくるな」
「はい、よろしくお願いします東支部長!」
まだタレント活動の方には意欲的には慣れないようだが、それでも一応の努力はしてくれるらしい。
これからは好きにマイティ・フレイムを売り出していける。
グラビアとか。写真集とか。フィギュアとか。リヴィ&マイティのデュエットとか。
週刊誌の表紙にマイティ・フレイムとかやってみたい。
もちろん本人が嫌がることは極力避けるつもりだが、あんがい氷川さんに次ぐ稼ぎ手になれるかも。
地味に一番の収穫は、この言質だったりするかもしれなかった。
第一部・おしまい。
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