7.敵


※回想シーンに人が死ぬシーンあり。

 嫌いな人は「主人公は昔、悪い怪人に家族を殺されてミツさんに救われた」という点だけ踏まえ読み飛ばしてください。


 ───────




 東翔太朗にとってヒーローとは改造人間でもメタルな戦士でもなく父親だった。

 会社勤めのサラリーマン。毎日家族のために頑張って、偶の休みには公園でキャッチボールをした。

 誰かを倒すのではなく誰に賞賛されるわけでもない。

 地道に働く父の背中こそが翔太朗の憧れるヒーローの姿だった。


 母は専業主婦。

 厳しいけれど理不尽には怒らないし、料理上手な人だ。

 甘いものが好きなのは、きっと母お手製のお菓子が今も思い出の中にあるから。


 特別なことはないけれど、穏やかで優しい家庭。

 幼い翔太朗は確かに幸せだった。

 けれど十三歳の誕生日、幸せは唐突に終わる。


『キミノミぃ……これが、今日ぉのオヤツぅ……?』

『ニクススリ、独り一匹だ』


 ただ日常生活を送っていただけ。 

 それなのに“奴ら”に目を付けられた。

 いや、その表現には語弊がある。奴らは翔太朗にもその家族にも特別なナニカを見出してはいなかった。

 単にちょっと小腹がすいたから。その程度の理由で、幸せな家は踏み荒らされた。

 目の前に現れたのは喋る三匹の異形だ。


身体啜にくすすり”。

精神食こころくい”。

存在呑きみのみ”。


 会話を聞く限り、それが名称らしい。

 奴らは箸休め程度の気安さで、翔太朗たちを一人一匹食べると宣言した。


「おっ……おぉ…………」


 身体啜にくすすりは、ムカデの胴体に蚊の頭部、蜂の腹を掛け合わせたような醜悪な虫だ。

 しかし人間よりも二回り以上大きく、グネグネと長い身体をうねらせて、父に絡みつく。

 虫の足の一本一本に尋常ではない力が籠っているらしい。皮膚を這えば裂けて血は滲み、肉が削げて骨も砕けた。

 細い腕や足はぐしゃぐしゃに潰れ、逃げることも叶わない。

 胴体と頭部だけになった父。身体啜にくすすりはムカデの足で横腹の肉を食い破り、ろっ骨を掴んで固定した。

 そして長いストローのような口器をゆっくりと父の頭部に突き刺す。

 

「ぇぁ……」


 頭蓋骨に刺さるそれは、まさしく蚊の口器だ。

 しかし吸うのは血だけではない。

 ちゅるちゅると、脳が吸い出される。他の臓器も、眼球も筋肉も血も、どろどろに溶かされ、わざとかと思うほどゆっくりと美味しく味合われている。

 肉を啜る。父は、シェイクのように肉を飲み干され、皮だけが残った。




「あへ、あひぃあはへへへ…………」


 すぐ傍では母が白目を剝いて、涎を垂らしたまま天井を見上げていた。

 隣に立つ異形は精神食こころくい。真っ青な肌の、赤黒い目をした人型。爛れた肌はゾンビが近いだろうか。一見すれば女のような形をしている。


『美味しい、わ。貴女の、想い。夫への愛。子供達・・・への慈しみ。家族を守ろうという気概。勇気も、怯えも、みんなみぃんな極上の、味』


 たどたどしくも歌うように、精神食こころくいは母の耳元で囁く。

 なんとなく、分かってしまった。もう母の中には何も残っていない。

 心を食う。母が大切にしてきた思いも感情も、異形の舌を楽しませる嗜好品でしかなかった。




 東家は三人家族。

 独り一匹というのなら、存在呑きみのみが食べるのは翔太朗だ。

 喋り方は一番理性的に聞こえるが、その容姿はでっぷりと肥えた三メートルはある巨漢だ。

 眼だけが異常にぎょろついていて、睨まれればそれだけで魂が凍える。

 怯えに動くことすらできない少年は腰を抜かしたまま異形を見る。


『ごちそうさま。ああ、まだ腹の中で動いている。身体啜りも精神食いも分かっていない。一番粋な食べ方は、踊り食いだというのに』


 存在呑きみのみは満足そうに腹をさすっている。

 しかし翔太朗に気付くとにたりといやらしい笑みを浮かべた。


『だが、“お残し”は行儀が悪いなぁ』


 そう言って、ぶくぶくに膨れた芋虫のような指を翔太朗に伸ばす。

 まだ子供の彼にも分かる。触れられた時点で、人生が終わる。

 けれどその瞬間は訪れなかった。

 最後の最後、死の直前に乱入者が現れたからだ。


「待ちやがれっ!」


 改造人間ガシンギ。

 若かりし頃の南城光茂が、町の異変を察知して東家に飛び込んできたのだ。

 しかし彼は異形と対峙したかと思えば、翔太朗を抱えて一目散に逃げ出す。


「坊や、逃げるぞ! 俺は、あいつらに勝てないっ!」


 彼我の戦力差を一瞬で判断して逃げの一手。

 家族の仇を前に戦いもしない。ヒーローにあるまじきその行動を、翔太朗は責められない。

 それだけ存在呑きみのみ達は恐ろしかった。

 

 逃げる際、リビングに女の子向けの着せ替え人形が転がっているのを見た。

 ウチは三人家族なのに、何故そんなものがあるのか。翔太朗には最後まで分からなかった。


 改造人間ガシンギに抱えられたまま、少年は遠く離れていく我が家を眺める。

 憎い。

 平穏を、幸せを、家族を踏み躙った異形共が。

 憧れた父さんを、大好きな母さんを食われたことが。 

 なにより、怯えて何もできなかった自分が、憎くて憎くてたまらない。

 そこで彼の生き方は決定する。




 ────いつか、報いを。必ず奴らを皆殺しにしてやる。







 そうして十六年が経ち、あの時の子供もどうにか大人になった。

 今では自分を助けてくれた改造人間ガシンギのいる異災所の支部長である。

 目下の考え事は涼野さんについてだ。 


「東支部長、涼野さんのことですが」

「うん、歓迎会の話だろ? どうしようかね」


 書類仕事を片付けながら、レスキュアーが待機部屋で休んでいるのをいいことに、高遠副支部長とご相談中。

 マイティ・フレイムさんも馴染んできたし、そろそろ歓迎会的なサムシングをやりたいというのは俺も同意見だ。

 が、今の若い子は会社での飲み会を嫌うという。まだ高校一年生だし、酒の席にも誘えないし、これがどうして中々の難題だ。


「個人的には経費で美味しいもの食べたいんだけど、涼野さんの勤務を考えると20:30から連れ回すことになるしなぁ。かといって休日に呼び出す真似もしたくない」

「たぶん彼女からしたら、休みにわざわざ職場の人と顔を合わせたくないですよねぇ」

「となると土日、涼野さんが昼勤務の時、多めに人員を配置。そんで異災所にピザとかお寿司とか頼んで好きに食べてね方式がいいんでない?」


 飲み会に誘うだけでパワハラになる時代、歓迎の仕方にも気を遣う。

 何もしないってのも選択の一つではあるんだけど、それも寂しいんだよね。


「それが無難ですか。私からすると、会社のお金で飲んで飲んで飲んで出来るなら休日でも飛んでいくのですが」

「“うわばみ”の良子ちゃんからしたらそりゃあね」

「あ、久しぶりですね良子ちゃん呼び。あの頃は、余計な装飾はありませんでしたが」


 普段の生真面目そうな顔を崩し、悪戯っぽく目を細める。

 実は昔、高遠副支部長のお父さんにお世話になったことがある。なので娘さんの良子ちゃんとも交流があったのだ。


「当時の良子ちゃんは、そりゃぁもう可愛かったなぁ。純真で無邪気で、優しい女の子。“翔お兄ちゃんにプリンあげる!”とか、“お父さんと結婚するの!”とか言ってたっけ」

「そういう東支部長も変わりましたよ。あの頃は“憎い”、“許せない”、“殺してやる”だけで構成されていましたから」

「……お互い、昔のことを掘り返すのは止めとこうか?」

「……ですね」


 まだ両親の死から立ち直れていなかった頃だ。

 一時期は高遠パパのところに身を寄せていたけど、良子ちゃん的には俺くんは鬱陶しいやつだったろう。

 それでも傷心の俺に優しく接してくれた。

 俺には兄弟はいないけれど、もし妹がいたらこんな感じかなぁと、妙に穏やかな心地になったのを覚えている。

 彼女の方も、甘えっ子だった幼い頃の話はダメージがデカそうだ。


「ま、でも良子ちゃんパゥワーのおかげで、荒んだ翔太朗くんもこうして更生したわけですよ」

「それは、どうなんでしょうね」


 困ったように、ちょっとだけ寂しそうに高遠副支部長は苦笑いをした。

 

「ああ、ところで。そろそろ東支部長も定期健診があるので、お願いします」

「あれ、もうそんな時期だっけ?」

「はい。年三回ですから」


 面倒だけど仕方ない。

 クリーム大好きな俺としては、中性脂肪とか悪玉コレステロール値が高くないといいなぁ、と願うばかりである。


「お疲れ様でーす!」


 と、ちょうどその時学校帰りの涼野さんが出勤してきた。

 がっつり勉強をやらされてきただろうに元気がいい。若いって羨ましい。


「涼野さんお疲れー」

「東さん、高遠さんお疲れ様です。あれ、今日はお二人だけですか?」

「待機スタッフなら休憩所にいるよ」

「あぁ、やっぱり仕事はあんまりないんですね……」

 

 いや、タイミングの問題なだけです。四時間勤務だとどうしても緊急出動の機会は少なくなるよね。

 実は、LDの出現自体は結構ある。単に新人のマイティ・フレイムさんはまだ単独で行動させられないため、働いている感が薄いのだろう。


「あのー。私、そろそろ動けるようになってきたと思いません?」

「なんの、まだまだ。LDの力量を見極めて、敵わないなら即座に逃げ出して、態勢立て直し手から攻略に当たるクレバーさを身につけなきゃ単独のお仕事は任せられません」

「む。でもレスキュアーが逃げたら、誰が皆を守るんですか」


 涼野さんは思いっ切り不満そうだ。正義感強いからね、この子。

 でもそこは支部長の方針に従ってもらわないと困る。


「そこは“レスキュアーが倒れたら”って考えるべきだと思うな、俺は」

「えー。東さんは、優しい上司ですけど。そういうゆる甘なところ、いけないんじゃないかなって思います」


 涼野さんの物言いに、ぴくりと高遠副支部長が眉を上げた。

 いや、違うな。反応したのはきっと“良子ちゃん”だ。

 でもそれを視線でたしなめて、俺はにっこり笑う。


「俺は、市民と同じくらいレスキュアーを守りたいの。無理無茶やったっていいことないよ。のんびり正義の味方くらいが、きっとちょうどいい。ってことで、次の勤務はトレーニングだからよろしくね」


 喧嘩をするつもりはないらしく、涼野さんは素直に頷いてくれた。


「はい、訓練をしっかりは私も嬉しいです。でも時給が発生するのって、微妙に心苦しいんですよね……」

「訓練も休息も仕事のうちと割り切ってもらわにゃ。それでお賃金貰えるんだからむしろ喜んでほしいね。あと、は。君に関して、昼間に重要な会議をしていたんだ」


 会議っていうか雑談だけど。

 ちょっと重苦しい感じでそう言うと、彼女は佇まいを直した。

 真剣な表情で俺と高遠副支部長を見る涼野さん。

 俺は、それに合わせてマジメな感じで口を開く。


「今度、涼野さん歓迎会として出前取ろうと思うんだけど、好きな食べ物ある?」

「それが会議の内容……⁉」

「うん。俺と副支部長の意見は、会社の金でご馳走食べようぜで一致してる。なら、ここはやっぱり真ん中に涼野さんの好物を据えるべきだよね」

「ああ、もう、なんでこんなにユルいんですかこの事務所は⁉」


 なんか涼野さんがテンション上げて叫ぶ。

 でも俺は命懸けで戦うより、いざという時に逃げられるレスキュアーを育てたい。

 それは懸命に働いて支部長にまで上り詰めた理由の一つだ。


「普段はユルくていいんだよ、それを現場に持ち込まなければ」


 だけど、へらりと笑う俺の目標は今も変わっていない。

 レスキュアーたちが安全に、のんびり仕事できる環境を整えてあげたい。

 そしてそれ以上に。



 ────いつか、報いを。必ず奴らを皆殺しにしてやる。




 握りしめた拳が、ぎしりと音を立てた。

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