5-5 ドロシー、首謀者の手がかりを掴む



「――知らないにゃ」


 猫の笑みを携えながら、オリエッタはあっけらかんと言った。


「はあ?!」

「だから、知らないにゃ」

「おい、ふざけっ……」

「静かに。金髪野郎はうるさくて困るにゃ。うちが目覚めてるってこと、バレると面倒なことになるんじゃないの~?」


 オリエッタの言葉にフィンが閉口する。

 じっと口を噤むと、ポーチからメモと筆記用具を取り出し、オリエッタを睨む。


「誰からの依頼かは知らない。でも、依頼主からの手紙は持ってるにゃ。今は、最後の依頼――魔石の回収についての手紙にゃあ」


 そう言って、オリエッタは法衣の胸元をはだけると、豊かな谷間に手を突っ込んでは、一枚のよれた紙を取り出した。


 彼女はそのままドロシーにその手紙を渡して来た。


 オリエッタの人肌ほどに温められた一通の手紙。くしゃくしゃになった紙を広げて行けば、実に几帳面な整然とした文字で書かれた指示が姿を見せる。


 法衣の隠し場所、眠剤の隠し場所、潜入に適した人気のない場所、厨房の人がいない時間帯、ドロシーを襲う時間に至るまでが子細に書かれた指示書。


 最終目的は、ドロシーに【菫大教会】内部で魔獣を召喚させ、その魔獣が持つという魔石を奪うこと。


 依頼者は必ず魔石を取り戻すようにオリエッタに訴えていた。


「今回の依頼主は随分と用意周到な人でね、基本、筆談でやり取りするんだよん。最初にやりとりしたのは、うちが泊まってた宿場のドアを介して。次も同じような感じだったにゃ。それか連絡用の魔法使いを筆談で介して会話してたって感じ、だからうちはそいつがどんなヤツなのかはまったく知らないってこと」


 オリエッタは続ける。


「聖者の暗殺の依頼について言えば、報酬は前金三割。依頼が成功したら残り七割が支払われることになってたにゃ。聖者の暗殺失敗については、今回の依頼が成功すれば不問にして、金額をそのまま支払うってまで言ってくれたのよん。だったらやるしかないでしょ?」

「その金額は、いくらぐらいだったんですか?」

「前金で三〇〇万レラ。成功したら後から七〇〇万レラ貰える約束だったにゃ」

「……い、いっせんまんレラ?」


 ――一千万!


 ドロシーには人生をかけても手にすることが難しいような金額だ。


「と、とんでもねえ額じゃねえか。いや、聖者を殺すってなったら、それぐらい払わねえとやれる相手はいねえか……」


 あまりの金額に愕然とするフィン。

 長らく地上の世界を知らなかったエトアルだけが、その金額の恐ろしさを理解出来ないというように首を傾げていた。


「それで、オリエッタさん。エミリーやセドリックの暗殺依頼も、こんな風に事細かに書かれていたんですか? かなり詳細に書かれていますが……」

「そ。あの二人については、殺し方も指定されてたにゃ。二人を同時に殺すのは駄目で、まず片方を目の前で殺してから、もう片方を半殺しにするにゃ。残った方は、そのままさらって依頼主に引き渡す予定だったんだよん。あの魔石は、聖獣を封じ込めるのに使えって言われて渡されたものにゃ。流石のうちでも聖獣を二体相手するのは難しいだろうからってね」


(混沌の魔石……魔族の魔力が込められた石)


 ドロシーはエトアルから受け取り、ポーチの中にしまったあの魔石の気配を感じた。

 悍ましいまでの悪意に肌が粟立つ。


「……その依頼はいつから受けていたんです? 旅の途中で、その人物が貴方に接触を図ったということです?」

「いんや。最初からだにゃ。巡礼の旅の護衛を受けて、しばらくしてからのことにゃ」

「最初、って。……聖者候補の内に殺せ、ってことじゃなくて、聖者に任命された後に殺すように言われたってことですか?」


 オリエッタは一年もの間エミリーたちの護衛を務めていた。

 神皇国に着く前に、ではなく、聖獣を従える聖者となってから殺す必要があった。


 それも片方だけ。

 相手はボロ雑巾のようになった聖者の片割れを引き渡すように命令していたようだ。


(依頼主にとって、二人が聖者である必要があった……ってこと?)


 エミリーの聖獣も、セドリックの聖獣も、いずれもただの魔女の手には負えない聖者の守護者だ。


 いくら魔族の魔力を込めた魔石を渡したと言っても、聖獣は手強い相手だ。


 それでも聖者任命後の殺害を要求したということは、やはり、聖者であることが何より重要だったということだろう。


(より菫司教にダメージを与えるため? でも、残った聖者はどうするつもりだったんだろう)


 片方を殺すところを見せつけなくてはいけないとは、なんとも残酷な。

 相当、彼らに恨みを持っている人物だと窺える。


 いや、あれだけの憎悪を込めた魔石を生み出せる相手だ、きっとそれ相応の憎しみを抱いていたに違いない。


 そんな人物にスヴァトスラフ司教やレジーナが協力するはずもない。


(やっぱりわたしの考えすぎだったのかな)


 そもそも、あの二人をむごたらしい目に遭わせて、特をする道理がない。


 エミリーとセドリックは、枢機卿の近道だ。二人とも出世欲のある人物には見えないが、実力相応に評価を受けることを嫌がるような跳ねっ返りでもないだろう。


「護衛の依頼は一年もかかるのに報酬は五〇〇万レラ。護衛の仕事は前金で一〇〇万貰ってて、さらに殺したついでに一〇〇〇万レラ貰えるってなったら、そりゃ殺すにゃ。ダチと綿密に連絡とって、上手い具合にヒトト山で片っぽ殺せると思ったら、赤毛ちゃんと鉢合わせるなんてね。運がないにゃ」


 はあ、と溜息を吐いてから、オリエッタは続ける。


「で、そっから一度依頼主の方に連絡したにゃ。うちはちゃんとした凄腕の傭兵だからね。失敗の時の連絡だってちゃんとするのよん。万が一の時は報告しろって話だったし? 《山彦》つかって、連絡用のダチ使ってやりとりして。リキノトまでの道のりで殺せそうなら殺すって提案したけど……」


 そこで猫の魔女の目が怪しく輝く。

 彼女の目は真っ直ぐにドロシーを見据えていた。


「そいつに、ドロシーちゃんに邪魔されたって話を伝えたら、リキノトまで様子見しろって。で、うちは引き上げ。山で世話になったダチともそこでおさらばにゃ」


 オリエッタは肩を竦めてみせた。


「んで、リキノトで待機してたら、昨日の夕方頃だったかな? 連絡が来たんだよ。うちが取った宿場のドアにこの手紙が入ってて。そりゃちゃんとやるよね? 残りの七〇〇万レラ貰える最後のチャンスだもん」


(……夕方頃、菫司教と謁見を終えたあたりの時間帯かな。やっぱり……)


 ドロシーは確信した。


(依頼者には教会内部の人間が情報を渡しているんだ。つまり、協力者がここに……)


 オリエッタが受け取ったという手紙には、内部情報が事細かに記されていた。

 撮影機の侵入をあれだけ拒むこの教会の内部構造を詳しく知ることは難しい。


(早くエミリーたちにも伝えないと)


 今、依頼者が何を企んでいるのかは不明だ。

 分からない分、今後どのような行動にでるかも分からない。


「うちの話はこれで終わりだよん。他に聞きたいことはあるかにゃ? 無かったら、うちをここから逃がしてほしいんだけど?」

「最後に、オリエッタさんは不審なものを見かけませんでしたか?」


 ドロシーの問いに、オリエッタは「不審者のうちが?」と笑った。

 だが、ドロシーの真っ直ぐな視線に、その問いが冗談でも何でもないと理解したのだろう。

 記憶を呼び覚ますように頭を捻るオリエッタ。


「不審もくそもないけど、ちゃんと指示通りにやった割には……あの眼鏡のハンサムさんが出歩いててびっくりしたんだにゃ。司教の食事が別だってこと、指示署に書いてなかったし。赤毛ちゃんの分の食事に薬を盛らないのは、魔獣を召喚させたいからって理由で分かるけどね。おかげで時間がずれ込んだんだにゃ」


 じっと、オリエッタは紙にメモを続けるフィンを睨んだ。

 時間がずれ込まなければ、お前に撃たれることもなかったんだ、と言わんばかりに。


 フィンの手が一度止まるが、彼は再び筆記用具を紙に走らせていく。

 それから再びオリエッタが「まだある?」と訊ねて来る。

 ドロシーは首を左右させた。


 エトアルもフィンも、これ以上訊きたいことはないようだ。


「じゃ、話すもん話したし、さっさとここから出るのを手伝って欲しいにゃ。魔法装備もない魔法使いなんてね。ミスティルテインの杖がなければただの一般人同然。ちょっとした魔法を使おうにも、結界が邪魔で上手く使えないし」

「助けたい気持ちは山々ですが、日中は無理です。目立ちすぎますから。日が落ちてからでないと」


 おい、とオリエッタの語気が強まる。


「話が違うだろ。アンタも薄々勘づいていると思うけど、今回の依頼は教会関係者の可能性がめっちゃ高いんだ。こんな無防備な状態で寝てたら、いつグサッとやられちまうか……」

「だから、です」


 ドロシーは肩の夜鷹に視線を向けた。


 法衣に身を包み、武器の短剣も取り上げられては、彼女の言うとおりオリエッタは丸腰だ。歴戦の傭兵だけあって、身体能力は高い。


 だが、相手は魔族を従えているかもしれない手練れと、その内通者。

 どこで寝首を掻かれるか分からない。


「主よ、……この者を護衛しろなどとは言うまいな」

「お願いします、エトアルさん。エトアルさんがいれば、きっとオリエッタさんも大丈夫。幸か不幸か、結界は弱まっています。エトアルさんも自由に動けるくらいには。誰かが、オリエッタさんを襲っても、エトアルさんならきっと守ってくれるはずです」


 エトアルが吐き出した長い吐息が、ドロシーの耳朶を掠めていった。

 彼の気分は盛り下がっているが、逆に、法衣を纏う猫の魔女は盛り上がっているようだった。


「にゃ~ん♡ まさか、ハンサムさんが側にいてくれるっての?」

「主……まあ、主の命であるなら仕方あるまい」

「ほら、いっしょにおねんねするにゃ。可愛い小鳥ちゃん。うちの胸に飛び込んでおいで。ハンサムさんの格好のまま飛び込んでもいいよん」


 ばっと、大きくはだけた胸元をさらにはだけさせて、オリエッタは誘惑するように体をくねらせた。

 もちろん、そんな彼女の胸に使い魔王が飛び込むはずもなく。


 エトアルは開いた棚の隙間に身を忍ばせると、そこでじっと動かなくなった。

 丁度ドアとベッドを見渡せる良い場所だ。窓から夜鷹の姿を確認することも出来ない、死角。


「あん、冷たい」


 オリエッタはそう言って笑うと、そのままベッドに戻って行った。


(ごめんなさい、エトアルさん。しばらくの辛抱です)


「日付が変わる頃に、もう一度ここに来ます。脱出はその時に」


 ベッドに潜り込んだ彼女は、シーツの隙間から手を出してひらひらと振った。

 それが彼女の返答なのだろう。


 棚の置物同然と化した魔王の姿に謝罪の視線を送りつつ、ドロシーは踵を返した。


「フィンさん、わたしたちも一度戻りましょう」


 そう言って、長らくオリエッタの証言を書き留めることに注力していたフィンの手を引き、オリエッタの部屋を出る。


「魔女さん、何やら中で物々しい音がしていましたが……」


 ドアを潜ると、シスターが不安げに訊ねてきた。

 室内で起きていた攻防の音は、ドア一枚隔てた程度では隠しきることは出来ないようだ。


「あはは、気付け薬が強すぎたみたいで……体の方が暴れてしまって」

「あ、暴れた?」

「大丈夫です。生理的反応です。薬の刺激が強すぎたんでしょう。ただ、それだけ強い薬を使っても、彼女の意識を呼び覚ますことが出来なくて」


 ドロシーは堂々と答えた。


「菫司教にはわたしから伝えておきます。お邪魔してすみません。あ、後、部屋にはすぐに入らない方が良いと思います。万一のことを考えて、換気はしてませんから。薬が薄まる前に入るとちょっとくらっときますよ」


 すでにオリエッタが覚醒していると勘づかれても面倒なので、ドロシーは彼女が入りづらくなるような理由を適当にでっち上げることにした。

 それからそそくさと見張りの元を離れたところで「ドロシーちゃん」とフィンが名を呼んだ。


「ドロシーちゃん、中々肝が太いな。あんな嘘が吐けるなんて」

「……この旅のおかげかもしれないです。何度か酷い目に遭いましたから」


 ルクグ王立第三三魔法学校を追い出されたばかりのドロシーは、人気のない道を進むだけでもビクついていた。

 だが、これまでの旅のおかげで随分と肝が据わったようだ。


 嘘の一つや二つくらい、平気で吐ける。

 なんせ、友人の命が関わっている問題だ。


「ドロシーちゃん、次はどうするんだ?」

「……わたしは友達のところに行きます。宿舎のどこかにいるはずですから」


 ドロシーは気持ち早足に、深い菫色の絨毯が敷かれた廊下を進む。


(この手紙があれば、きっとエミリーたちも信じてくれるはず――)


「分かった。じゃあ、オレは……もう少し、色々探ってみる。オレの魔導機がどこに隠されてんのかも気になるし……一旦ここでお別れだな。色々と警戒されてるオレと一緒にいるより、ドロシーちゃん一人で行動した方が今んとこ楽だろう」


 フィンはいつものにか、と歯を見せる笑みをドロシーに向けると「さっきみたいに人質になるのはごめんだからな」と笑ったままそう小さく呟いた。


「また夜に」


 そう言い残して、彼は宿舎を出て行った。

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