5-4 ドロシー、猫の魔女を買収する
【菫大教会】の宿舎一階の奥にオリエッタを寝かせた部屋があった。
ドアの前には、菫の法衣を纏う女聖職者が一人立っていた。スヴァトスラフ司教かレジーナが呼んだ思しき見張りだろう。
「これは、ドロシーさんと……ミデロ・メールの記者ですか? 何用ですか?」
「なんかオレにだけ態度が冷たくない?」
「勝手に魔導機を持ち込んだ不法侵入者にはまだまだ温い対応だと思いますが」
見張りの女性はぎろりとフィンを睨んだ。
ドロシーはそんな彼女とフィンの間に割って入ると、手短に用件を伝える。
「ちょっと、オリエッタさんの様子を確認したくて、こっちに。彼女はどうですか?」
「オリエッタ・サッキならまだ意識が戻らず……眠ったままです。先ほど確認をしたばかりでして」
「えっと、……彼女とお会いしたくって。入ることは出来ませんか?」
「何故ですか? スヴァトスラフ司教の言いつけで、理由なしにここを通すことは出来ません」
彼女は言いつけを守り通す気概で満ちている。
その横顔はセドリックのものとよく似ている。
「……主、我がコイツを締めてやろうか」
「エトアルさん、駄目です」
隣で物騒な物言いをする夜鷹に小さく制止の声をかけると、ドロシーはかけていた丸眼鏡を押し上げて言った。
実に明るく、誠実そうな物言いで。
「実を言うと、菫司教から許可は戴いているんです。わたしなら起こせるかもしれないってことで。魔女特製の気付け薬があります。ただ寝入っているだけなら、すぐにでも飛び起きる優れものですよ。ヒトア教の方にはちょっと刺激が強いかもしれませんが……嗅いでみます?」
ドロシーはポーチからクリームポットを取り出すと、その口を綴じていた紐を解いた。
途端に、見張りの女性聖職者は顔色を変えると「それは結構です」と口を開く。
「分かりました。貴方は私の弟妹を救った魔女と聞きますし、さぞ効能のある薬なのだとお見受けします。スヴァトスラフ司教がお許しになったということですし……」
ドロシーがセドリックとエミリーを救った、という肩書きが上手く働いてくれたのだろうし、こんな気弱そうな小娘が堂々と司教から許可を取ったと嘘を吐けるとも思わなかったのだろう。
思いの他あっさりとドロシーは入室許可を得てしまった。
女聖職者が開けたドアを潜った先で、フィンが訊ねて来る。
「……ドロシーちゃん、んな便利な持ってたのかよ」
「これただの傷薬です」
そう小さく返すと、ドロシーはクリームポットをポーチに仕舞い、恐らくはオリエッタが横たわっているであろうベッドを見「嘘」と目を見開いた。
そこにオリエッタはいなかった。
彼女が寝ているはずのベッドはもぬけの殻。乱れたシーツと、彼女を拘束していたであろう縄の痕跡だけがそこに残されている。
「なっ……!」
「一足遅かったか?」
フィンが息を呑み、エトアルがドロシーの肩の上から周囲を見渡す。
窓は開いていない。この部屋の窓は全て施錠されている様子だ。
「オリエッタさんはどこに……?」
「うちはここにいるにゃん♡」
「え、上?」
上から降りかかるその声に吊られるように視線を上げれば、頭上より降りかかってくる菫色の影の姿が見えた。
「うおっ……!」
そのまま影は、すでに魔王形態に姿を変えたエトアルが控えるドロシーではなく、まったく無防備な状態であったフィンの上に飛びかかる。
思わず目を瞑り、防御姿勢を取るフィン。そんな彼の手前に着地すると、さながら猫のようなしなやかな動きでオリエッタは彼の背後に回った。
そして、フィンの首に腕を回し、強く締め上げる。
「……っ、フィンさん!」
「~~~~~~っ!」
フィンに声を上げさせまいと、オリエッタの手が彼の口元を覆った。
「天井に張り付いていたか? さながら虫であるな」
エトアルが夜空の双眸を鋭く光らせながら訊ねる。
そんな魔王形態を取った彼を見、オリエッタは顔をほころばせた。
「あ~ん、ハンサムさん、久々にゃあ。相変わらずとっても格好良いお顔してて、オリエッタ嬉しいよん」
にゃは、と笑うオリエッタ。
聖者の癒やしの祈りによって、彼女はすっかり元気になったようだ。
「こんな風に再開出来るなんて思わなかったけど、ま、いいや。連中がいない中でお話しできるんだから、これでオーケーってことにゃ」
「む~~~~~っ!」
「おいちょっとは黙ってろって、今、良いところなんだから」
何とかしてオリエッタの腕から逃れようとするフィンの横っ腹に膝蹴りを一発入れると、オリエッタは余裕綽々な様子で言った。
「赤毛ちゃんがここにいるってことは……だいたい予想がつくにゃ。知りたいんでしょ? うちが誰から依頼を受けたかってこと」
そう言ってオリエッタは猫っぽく目を細めて笑う。
「情報料は高く付く……って言いたいところだけど、ドロシーちゃん、うちに三四万レラくれるって言ってくれたし?」
「……覚えてましたか?」
「うん、ばっちり♪ おかげで、現世に踏みとどまれたにゃ。なんせ、生きてるだけで三四万レラくれるって言うんだもん。死んじゃったらもったいないじゃない。金は命あってなんぼのもんだしね」
オリエッタの意識を少しでも現世に繋ぎ止めて起きたくて言い放ったあの言葉は、しっかりとその役目を果たしてくれていたようである。
「三四万レラと、ついでにここから脱出するの手伝ってくれるって言うんなら――アンタたちの聞きたいこと教えてあげても良いけど? どうする?」
ドロシーは逡巡した。
オリエッタは三四万レラに加え、【菫大教会】からの脱出を望んでいる。
魔法装備もなく、ナイフもない。あるのはその身に宿した身体能力だけ。
逃げ出すにはドロシーたちの力が必要なのだろう。
だが、ここで彼女を逃がす約束をして良いものだろうか。
じっとオリエッタを見つめる。彼女の目は以前、ヒトト山で会った時と変わらない、命を軽んじる軽薄な色を宿している。
「分かりました。フィンさんの命もかかってますし……わたしも、知りたいんです」
結局、ドロシーは了承することにした。
ポーチから財布を取り出すと、硬貨でずっしりと重いそれを掲げてみせる。
「ここに、わたしの全財産が入ってます。正確には三四万と二〇五五レラです。まずはこれを差し上げます」
そう言って、バーンリー教授から貰った財布ごと彼女の足元に転がした。
「主よ、良いのか? 今の我であれば、あのような猫女など」
「これは、あの時の約束です。言った手前、ちゃんと約束は守ります」
「赤毛ちゃんは見た目通り真面目ちゃんにゃあ」
オリエッタは警戒しているのか、まだ三四万レラには手を伸ばさない。
フィンの首をしっかりとホールドし、いつでも動けるようにしている。
流石は歴戦の傭兵だ。
軽薄な語調でふざけた人物だと思わせておいて、その点はしっかりとしている。
「フィンさんを解放してください。わたしはエトアルさんに命令することもしませんし、貴方を拘束するつもりもありません」
そう言って、ドロシーは手に我が身の丈ほどもある魔法の杖を床に転がした。
精霊樹ミスティルテインの杖は、魔法使いが魔法を使うための大切な魔法装備。この杖が魔力を増幅し、より質の良い魔法を生み出す手助けをしてくれている。
これを捨てると言うことは、騎士が剣を捨てるのと同義。
そこでやっとオリエッタはフィンを解放する。
「悪い、ドロシーちゃん、オレのせいで」
「いえ、フィンさんのせいとかじゃないですよ。元から、そのつもりでここに来ましたし」
駆け足にドロシーの隣に戻るフィン。げほげほと咳き込んでは、しばらくぶりの空気を肺一杯に吸い込んで堪能する。
その後ろでは、ドロシーの財布を拾い上げ、その中身を確認するオリエッタの姿があった。
「確かに三四万レラあるにゃあ。まいどあり~」
「さあ、ちゃんとお金は支払いました。教えてください。貴方に仕事を依頼した人は誰ですか?」
そこで、にやっとオリエッタは笑った。
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