5-3 ドロシー、違和感を持つ



 突然のノックに体を硬直させていると「ドロシーちゃん!」と軽薄そうな男の声がドアを挟んだ向こう側から聞こえて来た。


 フィンだ。


 ドロシーはエトアルに目配せをすると、長らく腰掛けていた椅子から立ち上がり、部屋の広い間口へと急いだ。


 ドアを開けば予想通り、金髪碧眼の王国人が出迎える。並びの良い白い歯をにかっと見せる特徴的な笑い方は彼の癖なのだろうか。


「どうしたんですか? フィンさんの魔導機についてだったら、わたしは何も知りませんよ」


 レジーナに魔導機を奪われたフィンは随分と意気消沈としていた。


 きっとここを訪れたのは、記者魂逞しく魔導機とスクープを探し求めてのことだろうと思い、上記の返答をした訳だが。


「いや、ドロシーちゃんに渡したいものがあるんだよ」

「渡したいもの?」


 ドロシーが疑問符を一つ浮かべてみせれば、フィンは腰元のポーチから一つの包みを引っ張り出した。爽やかな菫の香りを漂わせるそれを、そのままドロシーの手に握らせる。


「これは……菫茶ですか?」


 スヴァトスラフ司教の自室でも飲んだハーブティーだ。


 せっかく菫司教が淹れてくれたものと比べるのは失礼かもしれないが、こっちの茶葉の方がずっと香りが良い。


「ピメの村のシスターから渡すように言われてね。ピメの村でこしらえた菫茶なんだと。聖者の皆で飲んで欲しいって話だが……こんな状態じゃ楽しくティータイムなんて無理だろ? また、時間が余った時にでも飲んでやってくれよ」

「マザー・バイオレットから、ですか。フィンさん、ピメの村にも立ち寄ったんですね」


 すん、と鼻を寄せて芳しい菫の香りを肺一杯に吸い込んだ。

 胸がすく良い匂いに、体の緊張がほぐれていく気がする。


 恰幅の良い老シスターの姿と、赤毛の少年ダニーのことが蘇る。

 二人とも元気にしているだろうか。


「ああ、あそこの村でドロシーちゃんの話を聞いて、居ても経ってもいられなくってね。元々の仕事も蹴ってリキノトまで行ったってわけ」


 そう言って、フィンはドロシーを見下ろして、白い歯を剥いて笑ってみせた。


「君はオレの求める赤毛のヒロイン像そのものだった」


 さらにウインク。

 ドロシーは呆気にとられていた。


「は、はぁ……」

「……、あれ? 全然効果ねえな。もうオレも年か?」


 何やら落胆した様子のフィンではあったが「まあ、渡すもんは渡したし……」と、頷いた。


「こっから先は、この新米記者フィン・ホフマンによる襲撃事件の聞き込み調査報告だ」

「え、え? 聞き込み調査?」

「ドロシーちゃんが颯爽と解決してくれることを祈って、な……ちょっとでも助力できりゃいいかなって思ってさ。色々調査してきたんだ。あのエロシスターが起きてくれりゃいいが、聖獣……カーバンクルだっけか? あれの効果がちゃんと出るとも限らねえだろ? 魔導機取り上げられて宿舎に軟禁状態だし、ま、暇つぶしを兼ねたボランティアってところか」


 フィンはポーチからさらにメモの束を引っ張り出す。

 かなりの枚数だ。


「これぐらいしかオレには出来ねえが……多少はなんかの役に立つんじゃないかと思ってね?」

「凄い……フィンさん、たった数時間でこれだけ調べてきたんですか?」

「可愛いヒロインに褒められるなんて、嬉しい限りだね」

「……可愛いは余計です。とにかく、フィンさんもこっちに入ってください。立ち話もなんですから」


 そう言ってドロシーはフィンを部屋に招いた。

 先ほどまでエトアルと会話をしていたテーブルに着き、対面に座るようフィンに促す。


「お、小鳥ちゃん。おっさんの姿はもう止めたのか? ……ああ、そう怒んなって、小鳥の姿もおっさんの姿もアンタいかしてるぜ」


 夜空の双眸を鋭く細めた夜鷹をおだてながら、フィンは席に着く。

 そして、テーブルの上で羽を休めている夜鷹に向かい「アンタにゃ礼を言わないとな」と言った。


「礼、ですか?」

「ああ、ドロシーちゃんの場所を教えてくれたのもおっさんだが、……オレの顔の傷も治していってくれたろ?」

「傷? フィンさん、街の方で何かあったんですか?」

「大した事じゃねえよ。ちょっとしたいざこざに巻き込まれてね。なんせ記者は色んなところに首を突っ込むのが仕事だからさ。ホントに助かったぜ、ありがとな。この顔に傷が付くと悲しむ子女が沢山いるし、ドロシーちゃんの取材も控えてたしな。目元に青たんつけてちゃ格好がつかねえだろ?」


 取材記録という名のメモの束をテーブルの上に広げながら、フィンは饒舌に語った。


「……気まぐれに治してやれば、うるさい奴め。そのままにしておけば良かったか」

「エトアルさんっ」

「今、なんて言ったんだ?」

「……あー、礼には及ばないって言ってます」


 ドロシーは取り繕うように笑いかけ「それで、何が分かったんですか?」と逸れていた話題を元の路線に軌道修正。


「分かったことは一つだけ。あの夜、……オレが窓が割れる音を聞きつけて宿舎の敷地内に入った時間は、だいたい夜中の三時頃。その時間、起きていたヤツは一人もいなかったってことぐらいだ。皆、朝までぐっすりだったそうな。物音も聞こえなければ、オレの銃の音も聞こえなかったて言うんだ。あんだけ騒々しくやりやってたってのに」


 フィンはメモの一枚を手に取ると、その文面に目を通す。

 彼が広げたメモの文章はほとんど同じものだ。


 ――朝まで外で何が起きていたかまるで気づけなかった。


「あの太眉の聖者曰く、オリエッタって傭兵が薬を盛ったんじゃねえかって。だから、誰もあの音に気づけなかったんだろうってな」


 太眉の聖者と言えば、セドリック以外にはいないだろう。

 確かに、あの騒動の中、すっかり眠っていられるとなれば、薬を盛られたと考えるのが自然だ。


「……確かにオリエッタさんは、〝誰も起きてこない〟って言ってたかも。自信満々だったし、セドリックの予想は合ってると思います」


(いくらスヴァトスラフ司教の結界が弱まっていたって、魔法を平気で使えるほどの環境じゃなかったと思うし……)


 睡眠薬か何かを盛ったと考えるのが自然だろう。

 ドロシーは夕べの食卓を思い出す。


 どこか重々しい空気と共に食事を取った皆の姿。

 エミリーにセドリック、司教補佐官レジーナに、それから【菫大教会】に奉仕する聖職者たち。皆で揃って食べた夕食。


 あの食事にオリエッタは薬を盛ったのだろう。

 どこで入手したのか、彼女は菫教区の聖職者たちが身に纏う法衣を着用していた。上手く変装して厨房に入り、薬を混ぜたのだろうと思うが。


 毒ではなく、睡眠薬を盛った。


 それも不思議だ。

 魔石を取り戻したい理由は不明だが、おそらく、雇い主にそう命令されたのだろう。


(でもどうして睡眠薬?)


 ドロシーから魔石を奪いたければ別に殺してから奪っても良いのだ。


 薬を盛る機会があるのであれば、毒でも良いのである。なんせ彼女の最初の依頼はエミリーとセドリックの暗殺だったのだから、むしろ、一気に殺せて好都合ではないか。


(オリエッタさんは、睡眠薬じゃなきゃいけなかった。エミリーとセドリックを毒殺するのではいけなくて、……しかも、オリエッタさんはわたしが今魔石を持っていなくて、エトアルさんが持っていると知っていた)


 昨日の日中、ドロシーたちが【菫大教会】に着いてからの一部始終を直接聞いていたか、依頼主から聞いていなくてはいけない。


 もし、彼女がドロシーたちをヒトト山からつけていたとして、魔石が目当てであったなら、魔法も使えない使い魔も呼べない【菫大教会】に入る前に襲撃するはずだ。


 ヒトト山からリキノトまでの道のりで、いくらでもチャンスはあった。

 だけれどもその間、オリエッタは襲って来なかったのだ。


(もし、誰かから魔石についての話を聞いていたとしたら、……その誰かは)


「もしかしたら、オリエッタさんの協力者が【菫大教会】にいるのかもしれませんっ」

「協力者だって? ドロシーちゃん、どうしてそう思うんだ?」

「だって、そうじゃないですか。何もかも、上手くいきすぎています。潜入もそうですし、そもそもどこかあ法衣を入手したんでしょう? 食事に薬を混ぜ込むのだって、いくら聖職者の法衣を身につけていたって、簡単に混ぜ込めるとは思いませんし、何より、オリエッタさんは簡単に知ることができない情報を知っていました」

「情報?」

「話をすると長くなりますから、端的に言います。オリエッタさんは、わたしが教会に持ち込めなかった魔石を狙っていたようです。だから、教会に滞在する間はエトアルさんに渡していて……【菫大教会】に入る直前の話です。でも、オリエッタさんはわたしがエトアルさんに渡したことを知っていました」

「なるほど? 確かに知ってるってのはちょいとおかしいな」

「魔石のことを知っているのは、わたしとエトアルさん。それと、エミリーとセドリック。その場に居合わせたレジーナさんと、菫司教です」


 あり得ない、とドロシーの心が訴えていた。


 実際に襲われ、死の淵にたたき落とされたエミリーとセドリックは依頼主の候補から除外。もちろん、ドロシーもエトアルも。


 残されるのは二人の聖者。

 スヴァトスラフ司教とその補佐官レジーナ以外にありえない。


「魔石の情報を渡せるのは、レジーナさんと菫司教の二人になります。もちろん、教会に所属する聖職者の誰かが盗み聞きしたのかもしれませんが……」

「あの二人のどっちかがドロシーちゃんを襲わせたってか?」

「わたしも信じられません。でも、どうしてもその可能性がちらついて……」


 スヴァトスラフ司教にとってエミリーとセドリックは我が子同然。彼が【菫園】の養父を務め、併設されていた教会の司祭を務めていた時からの付き合いだ。


 だからと言って、レジーナがオリエッタと繋がっているとも思えない。


 やはり、他に内通者がいて、その人物が他の教区の司教から依頼を受けてオリエッタに協力していると考えた方が自然だろうか。


(あの夜、何かおかしなことはあったかな?)


 ドロシーだけが目覚めていて、夜風に当たりたくなって、バルコニーに出て、そこでドロシーはスヴァトスラフ司教と会った。


「……あれ?」


 スヴァトスラフ司教は食卓にはいなかった。


 それは彼が、菫教区を守る司教としての務めを果たすべく、祈りの間に籠もっているから当たり前だと思っていたし、きっと別室で夕食を取ったのだろうと予想が付く。


 彼の食事に薬は盛られていなかったというのは、昨晩、彼が自由に宿舎を行き来している様子から明らかだ。


 そもそも、騒動が起きていることを目覚めるまで気づけないほど強い眠剤を口にして、起きていられるはずがない。


(わたしだけ、薬を盛られていなかったのは、どうして?)


 スヴァトスラフ司教と出会ったのは偶然なのか?


「主よ、どうした?」

「ドロシーちゃん?」

「いえ、ちょっと、考えていて。わたし、あの夜、菫司教としばらく一緒に居たんです。で、宿舎で別れて、自分の部屋に戻って、すぐにわたし、オリエッタさんに襲われたんですよ」


 ドロシーは言葉を落としながら、混沌とする頭の中を整理していく。


「襲われた時はパニックになってたから、あんまり深く考えなかったけど。菫司教がすぐ眠っていなければ、わたしが襲われた時の声とか、音とか聞こえてもおかしくないと思うんですよね。だって、菫司教の部屋、四階ですぐ上のところにあるんですよ?」


 オリエッタから逃げるドロシーは、その途中、エミリーとセドリックの部屋のドアを力任せに叩き続けた。


 かなりの音だっただろうと思うし、声もそうだ。

 何度も何度もエミリーとセドリックの名前を呼んだし、最後は窓を破ったのだ。


 薬で無理矢理眠らされていた者と、自然に入眠した者。どちらがより音に目覚めやすいかは想像に難くない。


「仮に、もう、寝入っていたとしても、あの音です、目覚めてもおかしくないような……」


 それなのに、彼が姿を見せたのは、オリエッタの治療が終わった随分と後の事。

 レジーナよりも後から姿を見せたのではなかったか。


「主よ、ここで考え込んでいても仕方あるまい」

「……、そうですね。聖職者の内の誰かがオリエッタさんと繋がってたら、大変です」

「確かに、見張りの聖職者が裏切り者じゃないって保障はどこにもねえんだ」


 現状、オリエッタの他に仲間がこの教会に紛れ込んでいる可能性が高いのは事実だ。

 その仲間とやらが、誰であれ、今、彼女を一人にしておくのは危険だ。


 急ぎましょう、とドロシーは立ち上がる。


「オリエッタさんが寝かされている部屋は確か……、宿舎の一階です」

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