5-2 ドロシー、自分が怖くなる



「――魔族だって? ……、!」


 エトアルの言葉に声を震わせるスヴァトスラフ司教。

 みるみる内に彼の顔色は悪くなっていき――


「うっ……」


 彼はその場で嘔吐した。

 黄色い胃液が、深い菫色の絨毯の上に落ちる。


「お義父さま!」

「司教さまっ?!」


 エミリーを始めた聖者たちが、膝を突いたスヴァトスラフ司教の元に集まる。

 セドリックが彼を支えようとするが、それを菫司教がやんわりと拒否した。


「大丈夫だ、すまない。……、神聖な聖堂内で嘔吐するなど……、魔石の魔力に中てられたのかもしれない。少し休ませてくれないか。祈りの時間も近い……」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「司教とは軟弱な生き物だな」


 エトアルの言葉は、宿舎の三階、宛がわれた室内に小さく広がった。

 すでに彼は魔王形態を止め、夜鷹の姿となっている。


 いつもの定位置である窓辺に止まり、彼は昼の光を浴びながら眩しげに夜空色の目を細めた。


「……心労が溜まっているんだと思います。自分の子供の命を狙われて、そんな時も誰かのために祈らなくちゃいけないんですよ」


 嘔吐した後も、スヴァトスラフ司教は体調が優れない様子だったが、それでも必要だからと祈りの間に籠もってしまった。


「それに、昨日は夜中までわたしに付き合ってくれていましたし、……法力は精神の力です。心安まらない状況が続けば、ああなっても仕方ないでしょうし……」


 同じ神と聖女を信仰する同胞が、失脚を狙って我が子同然の聖者の命を狙う。

 言い換えれば、自分のせいで二人が狙われたのだ。


 エミリーやセドリックが語るスヴァトスラフ司教像から考えるに、相当な精神的ダメージを受けているはずだ。


 こうして、エトアルが【菫大教会】の内部に入ることが可能になるほど、結界の威力が弱まっている。


 思えば、長らく感じていた息苦しさも、今は大分改善されているように思える。


 それだけスヴァトスラフ司教が弱っているという証だ。


「主よ、付き合っていたとは……そのスヴァトスラフとやらと何があった?」

「エトアルさん、聞いて驚かないでくださいね。わたし……」


 ドロシーは昨晩のことを包み隠さず伝えた。


 スヴァトスラフ司教にマザー・ローズを告発したところから、順を追って一つずつ取りこぼしのないように伝えた。


 祈りの間で起きたことも、何もかも。


「なるほど、法力、か」


 ドロシーの話に耳を傾けていた夜鷹が何か物思いに耽った様子で窓の外を見る。


「……エトアルさん?」

「いや、そなたがなにゆえユニコーンを従えるに至ったか、その理由が判明したのは喜ばしいことだと思ってな。魔力と法力、その二つを兼ね備え、いずれも高水準の力を秘めている人物とは聞いた事はないがな」


 しかし、と夜鷹は言った。


「これで説明が付く。我を呼び出し、主従の契約を結ぶに至るだけの膨大な魔力を有していながら、測定に本来の結果が出なかったかについて」


 ドロシーは魔法学校が求める基準値を僅かに上回る程度の魔力しか持っていない、と判定されていた。


 実際、行使出来た魔法と言えば《泡》や《小雨》といった日用魔法程度。大量の魔力を消費する攻撃魔法はほとんど使えなかった。


「そなたの魔力と法力が相殺していたのだろうな。結果として、凡百の値しか出ず、実際に行使出来る魔力も極少量。だが、ヒトト山における戦いにおいて、ユニコーンと触れたことでそなたは無意識下で法力を認知し、コントロール出来るようになった。魔力と法力が両立するようになり――」

「……魔法が使えるようになった、ということですか?」

「可能性の一つとして、ではあるがな。今、我が得た情報ではこの結果しか導き出せぬ」


 エトアルは魔王である自分ですら食い切れない魔力を有していると言った。

 スヴァトスラフ司教は聖者二人を凌駕する法力を持っていると言った。


 その二つがドロシーの中で対消滅していた、と言われれば今までの何とも普通な魔力値も説明が出来る。


(膨大な魔力と法力……わたしって、いったい……何者?)


 ドロシーは自分を、そこら中にいる変哲のない普通の子供だと思っていた。

 戦災孤児など珍しくもない。【薔薇園】に集まる孤児たちと、何の変わりもないただの子供だと。


 急にドロシーは自分が恐ろしくなった。

 自分が分からない。


 魔力の源である両親の顔も知らなければ、法力の源である前世のことも知らない。

 何も知らない。知らない。


 祈りの間での出来事もそうだ。

 激しい光を放つ聖印。その光を逆に侵食するように広がる闇――


 虚ろに広がる視界に、小柄な夜鷹の姿が映り込む。

 彼は大きな夜空色の目でドロシーを見上げ、囀った。


「主よ。そなたは類い稀なる魔女。己の力に怯える必要はない。そなたはそなたであろう。ドロシー・ローズはただ一人」

「すみません、わたしのことより、エトアルさんの話の方が重要ですよね。菫司教に言っていた……魔族を従えているって言うのは……?」


 その言葉の後にスヴァトスラフ司教が体調を崩してしまって、エトアルの話について詳しいことは聞けないままだった。


「言葉通りよ。この魔石――あの猫女は混沌の魔石と呼んでいたであろう」

「こんとん? そんなこと言ってましたっけ……?」


 エトアルが言うのは、おそらくヒトト山での戦いのことだろう。


 あの時、セドリックの負傷や周囲の魔法使いたちの断続的な攻撃で精一杯だったこともあり、ドロシーはあまりオリエッタの台詞は覚えていなかった。


(混沌の魔石……)


 混沌という魔法は聞いたことがない。王立第三三魔法学校の魔女候補生の中で、座学では成績優秀だったドロシーが聞き覚えのない単語だ。


「我は聞き逃さなかった。実に聞き馴染みのある言葉であったがゆえ」


 エトアルは静かに続ける。


「かつて、魔族と人族が地上の覇権を争い合っていた時代、混沌とは我が眷属――カオスのことを指した」

「眷属?! ってことは、エトアルさんの部下、……ですよね? 神話によると、一二の眷属がいたとか……」


 夜鷹は小さな嘴を引いて頷いた。


「あの魔石と一晩共にし、直に触れ、魔力を実際に食らってこの舌で解析した」

「た、食べたんですか?」

「それ以外やりようがあるまい? 流石に石ごとは食わぬがな」


(流石は魔力を糧にする魔族の王……)


 食べて判断するとは意外も意外だった。

 しかし、その鋭敏な舌のおかげで、人の悪意に混ざる魔族の魔力の存在を知れたという。


「そ、そうなんですね……それで、お味のほどは?」

「実に歪な味をした魔力であったな。人の憎しみと悪意の魔力の中に混ざる、ヤツの気配を捉えるには我とて時間を有したが。……ヤツで違いあるまいて」


 聖女エミリーの法力を侵食するだけの魔力だ。

 魔族であると言われれば納得は出来る。


「じゃあ、魔族は現代にまで生き残っていたってことです?」


 エトアルが永劫の闇に封じられていたように、そのカオスという魔族もまたどこかに封じられていたのだろうか。

 ドロシーは首を傾げた。


(神話では夜の王についての記述がほとんどだったけど……)


「我は皆、滅びたと思っていたがな。我が封じられ、あまりに時が流れすぎた。その時の中を生きながらえる魔族がいるとは到底思えぬ。我と同じように、闇に封じられ、その封印を解いた者がいるとしたならばどうであろうか?」

「実際わたしがエトアルさんを呼び出しましたしね。わたしと同じような人がいてもおかしくはないかもですけど……だから、エトアルさんは〝魔族を従えている〟って言ったんですね」


 そこで浮かんでくる疑問が一つ。


「わたしと同じ、魔族を従える魔法使い……でも、どうしてその人は直接出てこなかったんでしょう? 魔族を従えられるってことは、それだけ凄い魔法使いだってことじゃないですか」


 そんな人物が、わざわざオリエッタに魔石を託す意味とはどこにあるのだろう。

 自ら直々に出た方が、より手っ取り早く聖者たちを暗殺出来るのではないか。


「もし菫司教の言うように、他の教区の人が依頼していたとして、魔族がそんな人の依頼を聞くと思いますか? ヒトア教は言ってしまえば、敵じゃないですか」

「主従の契約を結んでいる以上、簡単にはその契約を覆すことは出来まいて。我のように弱っているのであればなおさらよ」

「うーん……詳しいことはオリエッタさんが目覚めてから、かあ」


 レジーナの聖獣カーバンクルがいれば、嘘を吐いているかどうかは確かめられるはず。

 司教の体調さえ整えば、後は訊ねるだけだ。


「菫司教、早く良くなると良いんだけどな」


 彼はエミリーとセドリックの心の支えでもある。

 ただでさえ、教区間の妬み嫉みによって命を狙われた二人である。心から慕う義父がああでは、彼らの精神状態も心配になってくる。


 嘔吐したときの彼の顔と言えば、酷いものだった。

 血の気は消えて土気色。


(わたしが、マザー・ローズのことも言ったから余計に負担になっちゃったかな)


 ドロシーがそう思った時、どんどん、とけたたましくドアがノックされた。

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