第5章 追放魔女と使い魔王、夜を護る
5-1 ドロシー、皆と一緒に状況を整理する
「これは由々しき事態だね」
スヴァトスラフ司教が広い額に手をやって、重々しい溜息を吐く。
人払いをした【菫大教会】その講堂に集まったのは、六人の人々。赤毛の魔女が一人に、菫の冠を戴く聖者が四人。それから、部外者である記者が一人と聖者が従える聖獣たちだった。
「オリエッタ・サッキがどうしてここに現れたのか、それは謎だけれども。教会の結界の中に単身で飛び込むほど彼女は追い詰められていたのか……あるいは彼女の依頼者が、それだけ急いているか。いずれにせよ何もかもが急すぎる」
まともに眠っていないせいだろうか、スヴァトスラフ司教の目の下にはべったりと黒いくまが浮かんでいた。
彼の言うとおり、何もかもが急だ。
なんせ、ドロシーがこの【菫大教会】に訪れて、一晩も明けないうちにオリエッタが襲撃してきたのだから。
「ひょっとして、オリエッタはずっとヒトト山から私たちを付けて……?」
ぼそりとこぼされたエミリーの問いに答えるのはスヴァトスラフ司教。
「これだけ速い動きを見るに、そうとしか考えられないだろうね」
「……、ずっと警戒していたというのに、俺は全然気がつけなかった。何より腹立たしいのは、あれだけの騒動が起きているというにもかかわらず、何も気づけなかったことだ。下手をしていたら、ドロシーは聖なる領域で殺されていたかもしれない」
「セドリック……気にしちゃ駄目よ」
セドリックはがっくりと肩を落とし、その横で義弟を慰めるエミリー。
リキノトまでの道中、セドリックほど周囲を警戒していた人間はいなかった。
ドロシーも、エトアルも、決して気を抜いていたという訳ではない。だが、オリエッタの追跡にまるで気が付かなかった。
(本当に追跡していたのかな……?)
聖者たちがリキノトを目指しているのはオリエッタも知っていたこと。
先回りして潜伏する余裕はあったはずだ。
(それにオリエッタさんはわたしを狙ってた。この間はエミリーとセドリックを狙っていたのに……)
厳密にはドロシーが持っているはずの魔石を猫の魔女は狙っていたのだ。
今回のオリエッタは先のオリエッタとは違う目的で動いている。
(オリエッタさんに指示を出している人物がいるのは確か。だとしたら、その人の考えが変わった?)
話し合う聖者たちの側で、ドロシーはじっと考え込んでいた。
(彼女のことは、彼女が目覚めた後に訊くのが一番だろうけど……)
その横で、重々しく息を吐くのは司教補佐官であるレジーナ。絹糸のような細いブルーブルネットの髪を、耳にかけながら彼女は口を開いた。
彼女の腕の中には、以前彼女が所持していた錫杖ではなく、見慣れない縫いぐるみのようなものが抱かれている。
「何より問題なのは、この事件を、よりにもよって下世話なミデロ・メールの記者が知ってしまったことではないでしょうか。スヴァトスラフ司教が恐れていたことが現実のものになってしまうかもしれません」
レジーナが冷ややかな目を長椅子に腰掛ける記者に向けた。
腰掛ける、というよりかは無理矢理椅子に拘束されていると形容した方が良いかもしれない。
「いい加減、この拘束解いてくんねえか? アンタたちの大事な来賓を颯爽と救ったのは、聖者でもなければ魔人でもねえ、このフィン・ホフマンだぜ? 撮影機も通信機も銃も取り上げられた上に、おっさんからの緊縛プレイとは歓迎出来かねるね」
フィンが辟易とした様子で声をあげる。
彼の四肢を椅子に繋ぎ止めるのは、スヴァトスラフ司教が操る聖獣アラクネの鋼鉄の糸。
ただの一般人に過ぎないフィンでは、聖獣の糸を外すことは出来ない様子だった。
あれから結局、懲罰房に送られることはなかったものの、フィンはこうして拘束されるに至った。
理由は単純明快。
教会敷地内に無断で立ち入り、オリエッタの治療後のどさくさに紛れて内部の写真を撮ろうとしたためだ。
(記者魂というのか分からないけど、フィンさん止めても聞かないからなぁ)
フィンがオリエッタの仲間ではないとはっきりと言えるのは、現状ドロシーだけ。
もちろん、彼が敵ではないことは伝えたが、まあ、それ以外の要因が大きく、拘束されているのだろう。
「確か……フィンくんだったね。悪いが、今すぐに君の拘束を解くことは出来ない。君は教会の敷地内に無断で侵入した犯罪者だ。それに、君が持ち込んだ魔導機は教会の結界に悪影響を与えかねない」
「ヒトア教を捨てた帝国製の玩具だからって、そう目くじら立てんなよ」
「君も知っているだろうけれども、教会は街の防衛の要だ。撮影機に内部情報を撮られては、困ったことになってしまうからね」
今でこそ情勢は安定しているが、有事の際には、この【菫大教会】が街や教区を守る防衛の拠点となる。その内部情報を知られるのは、都合が悪いのだろう。
「ホントにそれだけが理由なのか、司教さま」
フィンは青い瞳を鋭く細めて続ける。
「まさか聖者を襲ったのが、野盗じゃなくて傭兵だったなんてな。それもどこぞのクソ野郎に雇われたって話じゃねえの。こんなの大スクープに違いない。どうして取材の邪魔をするんだよ、司教さまよ。一つの教区で収まる話じゃねえだろう」
「だから困るのだよ」
スヴァトスラフ司教は、ぞっとするほど冷ややかな声で、でも、いつもの穏やかな表情は崩さずに言った。
「ルクグ王国内のヒトア教が問題を抱えているとなると、神皇国や教皇様がどのようなお考えを抱くか……想像に難くないだろう。ヒトア教は全ての悩める人々の最後の砦だ。ここが崩されるようなことがあってはならないのだよ」
「なるほど? 分かったぞ。このスキャンダルが面に出ちまったらアンタの枢機卿の道が遠のくって判断なんだな? 知ってるぜ、司教さま。アンタ、次の枢機卿候補の一人なんだってな。そこの別嬪の補佐官どのの次に聖者を二人も出したんだもんな。そりゃ問題も隠したくなるだろう。枢機卿候補は他にも沢山いる。候補者は別にルクグ王国内のヒトア教徒に限らないもんな? 教皇や現枢機卿に呆れられちまったら、アンタの出世街道はここで終わりだ」
「貴様っ! お義父さまに何て口の利き方をっ……!」
セドリックが頬を赤くしてうなり声を上げる。
大切な義父を馬鹿にされたと思ったのだろう。
「セドリック、待ちなさい」
「レジーナさま……ですがっ」
「彼が不道徳な人物であるということははっきりとしました。ですがわたくしたちが何より恐れるのは、この男が振りかざす正義が見せかけであるかどうか……スヴァトスラフ司教、よろしいですか?」
レジーナが橙の瞳をスヴァトスラフ司教に向ければ、彼は小さく頷いて答えた。
「僕も長時間拘束を続けることは難しいからね。ここではっきりとさせた方が良いだろう」
「では、わたくしが……」
青髪の司教補佐官が、長椅子で拘束されている記者の元へとゆるりと近づいた。
そして、彼の膝上に柔らかそうな縫いぐるみを置いた。
「何だ、このぬいぐるみは」
「この子は聖獣カーバンクル。スヴァトスラフ司教の聖獣アラクネ、エミリーの聖獣ユニコーン、セドリックの聖獣タイタンほどの凄味や戦う力はありませんが……」
彼女が腕に抱く、聖獣カーバンクル。一見すると可愛らしい、白い角の生えた丸っこいネズミのぬいぐるみにしか見えないが、歴とした聖獣のようである。
全身がふわふわとした生地で誂えられたぬいぐるみの角だけは艶やかな石の輝きを宿していた。
魔石か何かだろう。
「この子は貴方の感情を包み隠さず露わにします。この子の額の石は、貴方の心の是非を偽りなく映す鏡です――では、問います。貴方はオリエッタ・サッキの仲間ですか?」
「違えよ。こっちは殺されかけたんだぞ」
フィンが間髪入れずに答えれば、聖獣カーバンクルの額の角が青く色づいた。
「では問います。貴方は主神を信じますか?」
「あんたらにゃ悪いが信じちゃいないね。あんたらが言うみたいに主神とやらが平等な存在だったら、こんな世界はそもそも出来ちゃいないと思ってるんでね」
今度は聖獣カーバンクルの角が赤く色づく。
レジーナの目が細められる。
「なるほど。では問います。貴方は正義を信じますか」
「……オレなりの正義はあるし、そのためにオレはここまで来た」
またしても青く色づく角。
その反応に納得したらしいレジーナが、フィンの膝からぬいぐるみじみた聖獣を抱き上げる。
「司教、拘束は外しても良いかと。オリエッタの仲間ではないことは確かですし、わたくしたちへの悪意は見られませんでした。魔導機だけはわたくしたちが管理すれば良いでしょう。撮影機がなければ、写真撮影も出来ないでしょうから」
「結局魔導機は取り上げられるのかよっ」
ぐえ、とフィンは蛙のように鳴いた。
そもそもこの拘束も制止を振り切って写真を撮って回っていた彼の責任が大きい。
自業自得と言えば自業自得ではあるが。
「レジーナさまっ、コイツを自由にするのは反対です。お義父さまにとんでもない口を叩いた男ですよ?」
「セドリック、レジーナさまとお義父さまが決めたことよ? それに、彼はドロシーをオリエッタから助けてくれたんでしょ? ……ね、ドロシー」
「え? う、うん。悪い人じゃないのは確かだと思うし……多分、レジーナさんが不安に思うようなことはあまりないかも」
(それに、フィンさん人望あんまりなさそうだったしね)
魔導通信中のフィンは、あまり本社の人間に快く思われていない様子だった。
彼がこの事件について本社にたれ込んだとしても、そう簡単には記事にならないのではないか。
「……それに、レジーナさんの聖獣がいれば、オリエッタさんの嘘も分かるみたいだし? オリエッタさんの傷も二人のおかげで治ったし、後は目覚めればすぐにでも……」
オリエッタは今、スヴァトスラフ司教が信頼を寄せる聖職者たちの監視の下、別室で寝かされている。
彼女の傷は聖者たちの癒やしの祈りですっかり塞がっていたが、意識はまだ戻っていない。
彼女の意識が戻り次第、レジーナの聖獣を使って尋問すれば、すぐにでも真相が分かることだろう。
「そしたら、一件落着だよ」
どの教区の司教が頼んだのか、それとも他の第三者なのか。
これではっきりとするだろう。
どうして、ドロシーを狙い、魔石を奪い返そうとしたのかも、きっと分かるはず。
そうすれば、エミリーもセドリックも脅かされることなく、聖者としての仕事を全うすることが出来るだろう。
ドロシーもやっと【星鳴きの砂浜】を目指せるというものだ。
「して、話し合いは済んだか? 主よ」
「はい、エトアルさん。オリエッタさんが目覚めれば、事件の真相も明らかに……って」
不意に投げかけられる低い使い魔の声に、ごく自然に返答してしまったが。
「――ええええええええええっ?」
ドロシーは驚いた猫のように飛び上がった。
旅の始まりに彼が話しかけてきた時のように、ばっと爪弾かれた弦のように振り返る。
そこには確かに魔王形態のエトアルの姿があった。
ぼさぼさの黒髪にボロボロの外套。エトアル以外の何者でもない。
「え、エトアルさんっ、い、いつからここにっ?」
「そなたらが話し合いを始めたその時から」
「さ、最初っからじゃないですかっ?! 何で話しかけてくれなかったんですか? それに、そもそも、結界は大丈夫なんですかっ?」
「平気とは断言出来ぬが、我がここまで侵入可能なほどに結界が弱まっている。あの例の魔石と共にな」
エトアルが靴底を鳴らしながらスヴァトスラフ司教の元へと歩み寄る。
「君は何者だ? ただならぬ魔力を感じる」
魔王が持つ魔力に反応したのだろう。
突如として現れた謎の男の存在に、時を止めていた司教とその補佐官が、各々錫杖を構え、臨戦態勢に入る。
しかしその錫杖を前にしても、エトアルは平然とした様子で口を開く。
「そなたがこの結界の主だな? そなた、スヴァトスラフ・クライーチェクと言ったか」
「それで、君は? ただの人間ではないな」
「我は人の子ではない。主より賜った名はエトアル。夜鷹の魔獣にして、主の忠実なる下僕」
「おっさん、あん時のっ……アンタ、ドロシーの小鳥ちゃんだったってのか?」
フィンが驚愕の声を上げている。
そういえば、彼が教会にやって来たのは、エトアルからドロシーの話を聞いて、という流れだったか。
「して、司教よ、警告だ。そなたの失脚を狙う人物は実に厄介であるぞ。どのようにして、使役したのかは不明だが」
夜空色の双眸が、眼鏡越しに灰色の瞳を見つめる。
「そやつは魔族を従えている」
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