間話 天才魔女候補生リーナ・アクロヴァは夜を駆ける



「……ドロシー、無事【星鳴きの砂浜】にたどり着いたかしら」


 リーナ・アクロヴァは黴臭い香りを漂わせる本に埋もれながら、ぼそりと呟いた。

 時刻は夜。立第三三魔法学校の図書室に人気はない。


 魔石灯の穏やかな明かりの下で、リーナは古い魔獣にまつわる文献に目を通す。

 だが、リーナが望む情報はどこにも見当たらない。


「まだ、誰が残っているのかと思えば、リーナ……お前だったか。そろそろ消灯の時間だぞ」


 その声にふと面をあげれば、第三三魔法学校の生徒たちが恐れる鬼教官の顔がある。

 今日の当直は彼女だったようだ。


 リーナは門限を破って、図書室を利用していることを謝ることはしないままに、「バーンリー教授、しばらくぶりですね」とだけ返した。

 まだここに居させてくれという強い意志表示だ。


「新聞記事を渡して以来だったか? まあ、そんなことはどうでもいい。それで、リーナ……何故門限を破ってまでここにいる?」


 じっとリーナを見下ろす教授。魔法大戦を生き抜いたという歴戦の魔女の、鋭い眼光に当てられて震え上がらない生徒はいないが、ただ、リーナだけは例外だ。


「少し調べたいことがありまして」

「調べたいこと? たった二年で教えることがなくなってしまった天才が調べたいこと、とは興味深い」


 教授は腕を組み、リーナからリーナが目を通していた古い本のページに視線を向ける。

 リーナはページを一つめくっては答える。


「ドロシーの使い魔――夜鷹の魔獣について、知りたくて」


 それからリーナは一度本を閉じると、教授に分厚い本の表題を見せた。


『大陸魔獣図鑑〝鳥類編〟』


 その表題通り、この本はルクグ王国を含めた大陸に生息する魔獣、特に鳥類に焦点を当てた図鑑である。


 随分と大昔に編纂されたもので、最近の撮影機を使った写真での図解は存在せず、全て、この図鑑編纂者が描いたスケッチによる図解が載せられている。


 ただのスケッチとは言っても、類い稀なる観察眼と精巧な筆致によって描かれた魔獣の姿は写真など不要と思うほど。


「夜鷹の姿をした魔獣というのは見かけたこともなければ、聞いた事もありません。あの魔獣について描かれた図鑑や、文献があればと思いまして。生憎、この図鑑にはそれらしい魔獣の姿は見られませんでしたが」


 それからリーナはローブの下から、一枚の新聞記事を取り出した。

 四つ折りにしたその記事を広げれば、どこか恥ずかしそうにポーズを決めるドロシーの写真が出迎える。


「なんだ、リーナ。新聞記事を持ち歩いているのか?」

「さらに一部、町から取り寄せたんです。ドロシーのことを側で感じていたくて」

「……、お前はドロシーとは別の意味で問題がありそうだな」

「なにか?」

「いや、何でもない。それで、その夜鷹について調べていたんだったな? ただ未知の存在を知りたい、という知的好奇心から調べているようには見えないが」


 バーンリー教授は、他の教授たちや、利益ばかりに目を眩ませている学長とは違い、人を見る目を持っている。

 そんな彼女のことである、リーナの心中などお見通しと言ったところだろうか。


 リーナは新聞記事の中のドロシーをそっと優しく撫でた。

 彼女の肩に止まる夜鷹。翼を閉じて、ちょこんと足を揃える姿は、本当にただの鳥のようにしか見えないが。


 リーナには、この夜鷹は恐ろしい存在のように思えて仕方なかったのだ。


「……ドロシーは攻撃魔法を使えなかった。なのに、元魔人を倒してしまった。魔法学校を出てすぐのことです。ドロシーの実力を学校側が見誤っていたとしても、それは何だか、おかしい気がして」


 リーナはこの二年、ずっとドロシーの側にいた。

 朝も、昼も、夜も、片時も離れない。一緒だった。


 ずっとドロシーを見てきた。

 彼女が努力して、努力して、努力し続ける姿をこの目で見てきたのだ。


 だからこそ分かる。

 ドロシーが元魔人を倒せるはずがないのだ。


「ドロシーの枯渇した魔力が、たった一日二日で戻るとも思えませんし……私はドロシーが召喚した魔獣に秘密があると睨んでいます。一見すると弱々しい夜鷹にしか見えませんが、この魔獣には秘められた力があるのではないでしょうか」

「どうしてそう思う?」

「この魔獣は私の白龍を凌ぐ強さを誇る魔獣です」


 リーナは知らぬうちに自身の左手の甲を撫でていた。


「なぜ分かる?」

「……〝彼〟は私としろちゃんを繋ぐ魔力網に干渉して、直接しろちゃんから話を聞いたようです。召喚と使い魔、主従の契約について」


 リーナの相棒、使い魔は高貴なる白龍。

 偉大なる龍だ。


 魔法使いたちの憧れとも呼べる、地上最強の魔獣の王。


 この世界の遙か天空にあるという【天の頂】に生息し、地上に降りることは滅多にない。知能が高く、高潔な魔力と想いを秘めた魔法使いの元にしか姿を見せないという。


 そんな龍を圧倒したのである。

 この無力そうな夜鷹が。


 バーンリー教授が目を見張る。


「魔獣が主従の契約に干渉した? 魔法使いと使い魔の絆に干渉することが可能だとは……」

「おまけに、しろちゃんを圧倒するだけの力を持っていました。主人である私に、しろちゃんは報告すらしなかったんです。〝彼〟口止めされたから、と」


 リーナはバーンリー教授を見上げた。


「だからこそ、私は心配なんです。魔獣の王とすら呼ばれる龍を服従させるだけの魔獣が、あの子の側にいるなんて」


 胸元に手をやって、リーナはもう存在しないペンダントトップを握りしめた。


「ドロシーは、もしかしたら……私たちの知らない、恐ろしい何かを呼び出してしまったのではないかと……」

「恐ろしい何か、か。リーナ、少し考えすぎなのではないか? その魔獣が何であれ……、ドロシーの左手に召喚印が浮かんでいる以上、想いを通わせ、ドロシーに従うと誓った魔獣であることには違いないだろう」


 バーンリー教授の言うことはもっともだ。

 契約し、召喚印が浮かんでいる以上、使い魔は主に従順だ。


 しかし、時に使い魔は主人に牙を剥くことがある。

 聖者たちが操る聖獣とは異なり、獣には心がある。


 その心が離れたとき、魔獣は主人を捨てるのだ。


「とにかく、もう消灯の時間だ。リーナ、お前は魔法学校気っての天才だが、肉体を資本とする魔女であることは変わらない。早く寝なさい。魔力に響くぞ」

「……そうですね。ここにずっといても、欲しい情報は見つからないようですし」

「散らかした本は私が片付けておこう。戸締まりも確認しないといけないからな。さ、いきなさい、リーナ」


 バーンリー教授の言葉に甘えることにして、リーナはドロシーの記事を再び四つ折りにすると、壊れ物を扱うような手つきでそっとローブの懐にしまった。

 それから席を立つ。


「夜も深い。廊下の魔石灯も消える時間だ。足元には気を付けるんだぞ」


 まるでリーナの母のような口ぶりで、バーンリー教授は言った。

 そんな彼女に会釈して、リーナは図書室を出ようとした。


(――夜鷹)


 夜に住まう、小柄な鳥。


(そもそも、あの魔獣は魔獣なの?)


 夜鷹。

 夜。

 夜――?


(夜の、王)


「リーナ、どうした?」

「……」


 ヒトア教の神話に出てくる、悪辣無情の夜の王。

 魔族の長にして、聖女ヒトアの手によって封じられし王。


 彼であれば、白龍など容易く従えることが出来るのではないか。


(……いや、まさかね)


 リーナは首を左右させた。

 たった一人の心優しい少女が、魔王を召喚するだなんて。

 そんなのありえない。


 だけれども。


「すみません、教授。一冊だけ、部屋に持ち込んでも良いですか?」

「ああ、良いが……」


 リーナが散らかした本をかき集めるバーンリー教授の側を通り抜け、リーナは図書室の隅の隅へと足を運んだ。


「ヒトア教の神話は……ここね」


 普段、誰も寄りつかないその本棚に収まるのは『聖女伝説集』だ。いわゆる、聖女ヒトアにまつわる伝説、神話をまとめた本。


 かつて、魔法使いたちと敵対したヒトア教の教えについて、調べようと思う魔女・魔人候補生はいないらしく、その本は古いだけで、あまり読み込まれた形跡は見られなかった。


(聖女ヒトアが封印したという魔王。その夜の王と夜鷹が関係あるとは思えないけど)


 自分の頭の中に浮かぶアイディアを馬鹿馬鹿しいと思っても、リーナは調べずにはいられなかった。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 リーナの自室。

 ドロシーという友人を失い、すっかり広くなってしまった部屋。

 机に広げるのは先ほど図書室から持ち出した『聖女伝説集』だ。その掠れた文字に目を通す。


 正直、聖女ヒトアが何をしただとか、何を好んでいただとか、勇者と共にどのようにして魔王までの旅路を乗り越えてきただとか、そういうものにはまるで興味がなかった。


 リーナが知りたいのは、くだんの悪辣無情の夜の王とやらが、いったいどのような姿をしていたか、である。

 しかし、どれだけ伝説集を読みあさっても、夜の王についての詳細はどこにも見当たらない。


 悪辣無情の夜の王。人と争いし魔族の王。人と変わらぬ姿をしていながら、魂を持たない魔力生命体。

 魔王には、一二の配下がいたと言う。彼ら一二の眷属を滅ぼしたのは、聖女ヒトアと同じく主神に身を捧げた一二人の聖者であったとか。


(……夜鷹との共通点は、お互い夜が名に付くことくらいかしら)


 こみ上げてくる欠伸を噛み殺しながら、リーナは机の上の魔石灯に手を伸ばす。

 これ上魔力を消費するのももったいない。


 これ以上、有益な情報が得られるとも思えなかったし、バーンリー教授が言うように魔女は体力が資本。寝不足状態では、いざという時魔力不足で倒れてしまいかねない。


 魔石灯の明かりを落としたところで「リーナさま」と左手の甲から脳裏に響く優しき声。


 リーナの使い魔、しろちゃんの声であった。


「あら、しろちゃん。【天の頂】から私に話しかけてくるだなんて、どうしたの?」


 本を閉じ、寝台に腰掛けたところで、リーナは可愛い使い魔の呼びかけに答えた。

 本当に珍しいことだ。使い魔から主に話しかけてくることなど、滅多にない。


「いえ、〝彼〟のことについて、とても不安に思われているようでしたので……」

「魔力で繋がっていると、こういうのがあるから困るわね」

「すみません、差し出がましいことでしたでしょうか」

「ううん。全然……、ねえ、しろちゃんは怖くない? 気高い龍の貴方を、得体の知れない〝彼〟が圧倒したのよ? そんな正体不明の魔獣が、ドロシーの側にいると思うと……」

「……確かに、私は圧倒されました。彼の持つ仄暗い魔力の気配に。ですが、……その」


 リーナは白龍の次の言葉を待った。


「僅かな、僅かな安らぎを私は感じました。だからでしょう、〝彼〟がドロシー嬢を悩ませる存在になるとは思えませんでした」

「空の賢者と名高い白龍が言うのであれば、そうなのかもしれないわね」


 しろちゃんは長き時を生きる龍。

 たった一六年程度生きたリーナとは比べものにならない時を生きてきた。それでもしろちゃんは、【天の頂】に住まう龍の中でも最年少の部類に入るらしいが。


 だとしても、年を重ね、様々な物事に触れてきた経験を持つ彼女が〝彼〟を害成すものではないと訴えている。


 リーナは基本的に相棒である龍を信頼している。

 ドロシーと同じぐらいには心を許していたし、白龍も、リーナと同じ分だけ心を許してくれている。


「リーナさま、もうじき夏期休暇です。ドロシー嬢が【星鳴きの砂浜】を目指していたとして、順当に道を進んでいたとしたら、すでに到着している頃合いでしょうが……上手くタイミングが合えば、彼女と再会出来るかもしれません」

「……しろちゃん、貴方の言いたいこと分かるわ」


 そもそも、夏期休暇に入ったら、一度ドロシーに会いに行こうと思っていたところだ。


「私の目で確認すれば良いのね。その夜鷹が悪しき存在か、否かを……」


 何より、リーナ自身の目で見てみないことには、この不安は解消されないだろう。

 あの夜鷹が、ドロシーの相棒に、使い魔に、生涯の友にふさわしい存在かどうかを確かめない限り。


 悪辣無情の夜の王。


 この世界を夜に沈めようとしたという、魔族の王。

 仮に夜鷹が、夜の王であったとしても、ドロシーが無事であるならそれで良かった。


「悪いわね、しろちゃん。貴方に心配をかけてしまって」

「いえ、生涯の友のためですから――」


 心地の良い白龍の声がリーナの脳裏に響いたその時だった。


「――っ!?」


 つきりとした痛みがリーナの頭を駆け抜けていった。突然のことに、リーナは息を呑む。

 痛みは魔力で繋がる白龍にも届いたらしい。白龍の戸惑う声が、衝撃を受けた脳内に反響する。


「リーナさま、この反応は……」

「そうね、しろちゃん。この感じ」


 痛みの余韻が残る頭を抑えながら、リーナは続ける。


「……私の《満月の護り》が発動したんだわ」


 それはすなわち。


「ドロシーの身に何かあったのよ!」


 いざという時のため、御守りとして身につけていたペンダント。

 あの魔石に込められた魔法は所有者に迫る危機に反応して展開される防御魔法だ。


 その効果は一度きりではあるものの、並大抵の攻撃は弾いてくれる代物だった。


「ドロシー嬢の身に何が……」

「しろちゃん、行くわよ」

「行く?」

「ドロシーのところに行くのよっ! 今すぐにっ!」


 そう言って、リーナはすぐさま自身の魔法の杖に手を伸ばしていた。

 荷物を準備する暇などどこにも残されていない。


 すぐにでも急がなくては、最悪の結末がリーナを出迎えることになるだろう。

 ローブを纏い、三角帽子を被り、杖を握り、財布をポーチにねじ込んだ。


「ですが、ドロシー嬢の元に行くにはリーナさまの足では……」

「貴方は誇り高い龍でしょ? 貴方の背中に乗って行くの」


 そう言って、リーナは窓を開け放った。

 温い夏の空気が頬を撫でて行く。


 そして雲の増えた夜空に向かって左手を掲げ、魔力を召喚印に込める。

 間もなく星々よりも、魔石灯よりも輝かしい光がリーナの手の甲より現れ、それは次第に巨大な龍の姿へと変貌していく。


「教諭の断りもなしに召喚するのは、懲罰ものでは?」


 大きな翼を広げた白龍。その威厳溢れる見た目とは裏腹に、彼女はその青い瞳で心配げにリーナを見上げていた。

 だがリーナはそんな相棒の心配など余所に、彼女の大きな背中に飛び乗った。


「関係ないわ。それに、あの学長に私を咎める力なんてもうないもの」


 バーンリー教授に詰められ、さらには軍部からも詰められているという話だ。

 肥えた姿もすっかりやつれた彼が、この程度の違反でリーナを追放するとは思えない。


「さあ、しろちゃん行って! 魔力の余韻が消える前に!」



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