4-11 ドロシー、全財産を投げ出す
(セドリックの時みたい……)
きん、と頭の中で鳴っていた耳鳴りが遠のき興奮が落ち着き始め、やっとドロシーは現状を把握出来た。
目の前に広がるのは死。
死がゆっくりと、でも確実にオリエッタを蝕もうとしている。
死、死、死……。
そこではっとする。ここで呆然と彼女の命が流れ出る様を眺めていてはいけない。
ここで彼女を死なせてはいけない。
「――早く助けを呼ばないと!」
「助けるって、……どうやって助けるんだ? コイツはドロシーちゃんの命を狙ってたんだろう? オレも殺されるところだったし……」
「この人は依頼されて襲ってきたの。死んじゃったら誰が依頼したのか分からなくなっちゃう!」
すでにオリエッタの意識は混濁状態にあり、ここで話を聞き出すことも出来ない。
オリエッタがどうしてエミリーやセドリックを狙ったのか。
その真実を知るのはオリエッタだけなのだ。
ここで彼女が死ねば、聖者暗殺未遂は闇の中。
スヴァトスラフ司教の言うように他の教区の司教が嫉妬のままに彼女に依頼したのか、そうであれば、どの教区の司教であるのか。オリエッタさえ生きていれば、その真実にたどり着くことが出来る。
「い、依頼? って、ドロシーちゃん! 危ねえよ!」
フィンの制止の言葉を振り切ると、ドロシーは杖を片手にオリエッタの側まで行った。それから彼女の脈の状態を確認した。
(良かった、まだ生きてる。でも、凄く危険。血の流出が多すぎる)
呼吸は浅いが、肺はゆっくりと動いている。
だが今にこの呼吸も弱まっていくことだろう。彼女の血が流出を続ける限り。
ドロシーは自分の寝間着を短剣で切り裂くと、それを折りたたんでオリエッタの患部に押し当てた。
「フィンさんは宿舎に行って、誰でも良いから祈りが出来る人を呼んできてください! 一刻の猶予もありませんっ!」
力任せに患部を圧迫して、ドロシーはオリエッタの容態を確認する。
やはり、これ以上は放置できない。時間が足りない。今すぐ祈りが必要だ。
(……、わたしの魂が強い法力を持っているというなら、きっと……でも)
ドロシーはエミリーやセドリックが口にしていた祈りの言葉をそらんでみた。
法力がこの小さな心に宿っているのは、祈りの間で明らかになっている。
であれば、ドロシーがオリエッタを救う癒やしの祈りを使うことだって不可能ではないはずだ。
だが、ドロシーは心の奥底から、神様なんてものは信じていない。
神様は助けてくれない。祈ったところで虚しいだけで。
そんな幼少期の思いが、ドロシーの祈りの邪魔をする。
祈りの言葉を口にしても、祈りの間で起きたような反応は見られない。
(駄目だ、やっぱりわたしじゃ、癒やしの祈りは無理なのかもしれない……だったらっ!)
ドロシーは一か八かに賭けることにした。
祈りの言葉よりも、オリエッタにはより効果を期待出来る言葉があるかもしれない。
「オリエッタさん、わたしの手元に三四万レラがあります。もし無事、生還出来たら、わたしの三四万レラ、すべて差し上げますよっ!」
金のために聖者暗殺をも恐れないオリエッタだ。
ひくりと彼女の眉根が動く。
その反応に手応えありと感じたドロシーは、さらに畳みかけた。
「三四万レラですよ! 三四万もありますっ! 貴方が交渉に出した一〇〇万レラには到底敵いませんけど、相当な額です! ここで持ちこたえるだけで三四万レラですよっ!」
一〇〇万レラを交渉の出しに使えるオリエッタには、はした金かもしれないが。
それでもタダで三四万レラが降ってくるのだから、これ以上の儲けはないはずだ。
意識さえ、生きようという意思さえ、この現世に繋ぎ止めることが出来れば、あるいは。
「おい! アンタら聖職者だよな? こっちに怪我人がいる! 助けてくれっ!」
必死にオリエッタに呼びかけ続け、彼女の創部の止血に努めていると、背後でフィンの声が響いた。慌ただしい様子で、宿舎下の小さな庭に駆け寄る複数人の足音も聞こえる。
間もなく足音がドロシーの真後ろにまで迫ると「ドロシー! 何があったの?!」とエミリーの逼迫した声が降りかかる。
「凄い音がしたと思ったら、――うそっ、オリエッタっ?!」
「何故ここにオリエッタがっ……」
エミリーの声に続いて聞こえるのはセドリックの声。
説明している時間はない。
「説明は後にするから、今は彼女のために癒やしの祈りを! わたしじゃ彼女を救うことは出来ないからっ」
「……分かった。私たちに任せて、ドロシー」
「ああ、これは俺たちの仕事だ」
ドロシーの真横にしゃがむと、エミリーとセドリックはそっと祈りのポーズを取った。
手を組んで強く目を瞑り、オリエッタのために――自分たちの命を狙った魔女のために祈りを捧げた。
間もなく彼女たちの体を光が包み込み、オリエッタの体に空いた穴へと光が集まり始めた。
祈りが効きにくい魔女の体といえど、強力な法力を持つ聖者二人の、渾身の祈りとなれば話は別。教会周辺の高い神聖性が有効的に働いたのだろう、オリエッタの傷はみるみる内に癒えていった。
「……良かった。これで、きっと大丈夫だね。二人が気付いてくれて本当に良かった」
「これが聖者の〝祈り〟ってやつか……初めて見たな。いや、ホントに何とかなって良かったよ、ドロシーちゃん。いくら襲われたとは言え……」
フィンがその帽子を取って、気まずそうに後頭部を掻く。
「人を死なせちまうのは、後味悪いもんな」
そこでゆらりと立ち上がるセドリック。彼の背後に立つのは、夜に紛れるようにして立つガラス細工の巨人である。
「さて……聞きたいことがある。さも当たり前のようにそこにいる金髪の男――お前、何者だ?」
黒曜石の双眸が鋭い光を宿し、見慣れない魔導機をぶら下げる男を睨み付ける。
「まさか、オリエッタの仲間じゃないだろうなっ?」
セドリックの言葉に呼応するように、後ろで拳を叩くタイタン。
フィンが肩を跳ねさせ弁明を開始する。
「おおっと、ちょ、ちょっと待ってくれ! オレはミデロ・メールのフィン・ホフマンだ。期待の新人記者で――」
「記者? だとしたら、まったく非常識な記者だな。真夜中にこそこそと宿舎をうろつくのがミデロ・メールのやり方なのか? あるいは、記者を騙れば俺の目をごまかせると思ったのか? 記者であろうが何者であろうが、そもそもこの一帯は大教会に使える聖職者以外の新入は固く禁じられている!」
口の端から唾を飛ばしながら、セドリックは太い眉をつり上げて捲し立てた。
オリエッタに仲間がいるのは、ドロシーも身をもって知っている。だが、同時に、フィンがただの記者であることも知っている。
まあ、もちろん、こんな夜更けに宿舎の周辺をうろつく人間となれば、その肩書きが記者であろうが野盗であろうが、それは不審者以外の何者でもなかったが。
「せ、セドリック、落ち着いて。フィンさんは……」
恐る恐る呼びかけてみたドロシーだったが、すぐに諦めた。
(あ、これは猪モードだ)
濃い眉をつり上げ、憤怒に目を赤く血走らせる聖人は、ふんと鼻を鳴らす。
こうなるとセドリックは周りが見えなくなるとは、義姉エミリーのお言葉。
「タイタン、コイツを捕まえろっ! 詳しい話は懲罰室で聞いてやる!」
「ま、マジっ?! ちょっと落ち着けって兄ちゃんっ! 確かに敷地に断りもなく入っちまったが……オレは正義を追い求める記者で……」
気圧された様子で後じさるフィン。
距離を詰めるセドリックとタイタン。
「問答無用! タイタン、コイツを――」
「セドリック、落ち着いてってば!」
気が付いた時には、かつてエミリーがそうしたように、ドロシーはセドリックの頬を力任せに抓っていた。
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