4-10 ドロシー、新米記者と再会する



「え? え? フィンさんっ? なんでここに?」


 月を雲に呑まれた真夜中でも、彼の金色の髪は輝いて見える。

 最初の町でドロシーに取材を申し込んできたあの軟派そうな男である。


 首から提げているのは例の撮影機。腰には見慣れない魔導機と思しきものがぶら下げられている。

 こうして出会うのは三週間ぶりだったが、彼はあの時と変わらない様子でそこにいた。


 だから疑問符が止まらない。

 どうして、ここにいるのだ。


「そりゃ、ドロシーちゃんを追っかけてきたのさ。記者にかかりゃ、これぐらいの追跡わけないってことよ」


 そう言ってから、フィンは表情を曇らせて「あー、嘘吐いた」と続ける。


「酒場やら宿場やらでドロシーちゃんのこと訊ねて回ってたら、ボサボサの黒髪の、浮浪者みてえなおっさんに教えて貰ってよ。赤毛の魔女なら、聖者と一緒にもう【菫大教会】に行っちまったってさ。おっさんの方、すぐにどっか行っちまって……」


 ペラペラと饒舌に語るフィン。

 彼の話の中に出てくる浮浪者みたいな男と言えば、一人しか思い当たらない。


(エトアルさんだっ……! でも、どうしてフィンさんに……)


 何かを予見していたのだろうか。

 エトアルはあまりフィンを好んでいるようではなかった。彼の軽薄な言葉遣いに辟易としていたし、さっさと殴って沈黙させようかと言っていたほどだ。


「んで、宿場に宿泊してる感じじゃねえってなったら、後はヒトア教徒の宿舎しかねえだろって目星付けてさ。どうにかして入れねえか回ってたら、ガラスの割れる音がしただろ? そっちに行ってみたら、なんと、ドロシーちゃんが上から降ってくるじゃねえか。驚いたね、天使かと見間違っちまったから」

「ふぃ、フィンさん、お喋りはほどほどにして、早く外に出ないと……!」

「外? もう外だろ?」


 フィンは首を傾げる。

 ドロシーの言い方が悪かった。魔力も法力も持たない人間に、ドロシーの言う外というものが〝結界の外〟だとは瞬時に理解出来ないのも仕方ない。


「と、とにかく、教会の敷地外に出ないと……!」

「お、おおい、人がまた落ちて来たぞっ!」


 フィンが目を丸くして、ドロシーの後方へと視線を向けている。


(オリエッタだっ!)


 ドロシーは短剣を片手に、その方へと振り返る。

 ゆらりと立ち上がるシスターの姿。猫っぽい目を細めて、厚い唇に赤い舌を這わせる魔女オリエッタはいやらしく笑った。


「にゃあああん? よくわかんないクソ男が参加してるにゃぁ? うちの元彼に似て不愉快な顔っ! 部外者はお呼びじゃないよん」

「はあ? 元彼? シスターが? 何がどうなってんだ?」

「――フィンさん、気を付けてあの人危険ですっ!」


 フィンと再会出来たのは喜ばしいことだが、しかし、状況はむしろ悪化したと思っても良いだろう。

 フィンは魔法使いでもないし、剣の扱いに長けた傭兵でもない。ただの記者だ。


 対して相手は歴戦の傭兵オリエッタ。

 彼女も魔法を縛られた状態ではあるが、あの身のこなしからして接近戦にも長けているのは明らか。


 彼の手元にあるのは撮影機と、以前見かけなかった謎の魔導機。

 他には何も持っていない。


「うち、金髪の優男はタイプじゃないのよん! 消えるなら今のうち。うちは赤毛のうさちゃんに用があんのよ」

「……断るって言ったら?」


 フィンが撮影機を握りながら、訊ねる。

 緊張した面持ちでゆっくりと喉を鳴らす彼の視線の先には、オリエッタが握る短剣がある。


 流石にこの偽シスターがただ者ではないと理解した様子である。

 フィンの手が、静かに腰に括り付けた魔導機へと伸ばされた。


「時間が惜しいから、アンタの首を掻っ捌いてさっさと殺す。それだけだよん」


 明るい語調はそのまま、ドスの利いた声でオリエッタは言った。

 いたぶることを喜ぶサディストの目はどこにもなく、ただ冷徹な傭兵の目でフィンを睨んでいる。


「だったら、かかって来いよ。オレはミデロ・メールのフィン・ホフマンだ。知ってるだろ? リキノトに本社を置く、ルクグ王国最大の新聞社だぜ? ナイフ持ったサドシスターなんぞに負けやしねえよ」

「はあ? 記者が何できるってんの? くっだらねえ三文記事書いて飯食ってるクソ野郎だろ? 魔力もなんにもないただの一般人が」

「そうさ、オレはただの一般人だ。だが、そんなオレでもヒロインを守ることが出来るかもな――!」


 フィンは不敵に笑うと、首から提げていた撮影機に両手を添えた。

 同時、何かを切ったようなそんな軽快な音がして、閃光が夜の中に広がった。


「にゃっ?!」


 本日二度目の目くらましにオリエッタが体を硬直させる。

 リーナの魔石が放つ閃光よりかは弱く、また、その光も一瞬だった。


「ふざけた小細工っ! 二度も目くらましなんて効かないからな!」

「はは、ただの目くらましじゃねえよ。アンタの顔、バッチリ撮ったからな? おまけに、今、ミデロ・メールの本社と魔導通信中だ! お前の馬鹿げた喋りも全部本部の記者に丸聞こえだからな! あー、こちら、フィン・ホフマン! 聞こえるかっ?」


 撮影機から吐き出された写真をひらひらと乾かしながら、フィンは腰に下げた魔導機に向かってがなりたてた。

 すると、ざざ、と雑音が混ざった人の声が聞こえてくる。


 この魔導機に込められているのは、高位の魔法使いが使うという、魔力で声をやりとりする魔法《山彦》だろうか。

 あの魔法を、魔力のない一般人でも使えるようにした魔導機のようだった。


 こちらの声がミデロ・メールの本部に通じていると言うのであれば心強い。

 オリエッタの声がすべてあちら側に伝わっているというわけなのだから。いずれ、異常に気付いた誰かがここまでやって来るはず。


「こちら、フィン・ホフマン! 応答願う! 【菫大教会】の宿舎にて、少女が襲われて――」


 フィンが再び魔導機に声をかければ、さながら山彦のごとく男の声が返ってくる。


「おい、またフィンの道楽息子がふざけた音声送ってきやがった!」

「いい加減にしろ、フィン! テメエの特ダネとか誰も望んでねえんだよ! どうせくだらねえ赤毛がなんだのどうだのの話なんだろうが」

「あ、いや、ホントにやばいんですって! 本部長っ! みんなっ!」

「いい加減にしろ、魔力の無駄だ! せっかく田舎にぶちこんでやったってのに、……もう二度と本線使うんじゃねえぞ!」


 呆れた声が次々と魔導機から聞こえてくる。

 ドロシーはフィンを見た。


「……なんか罵声が聞こえてくるんですが」

「あー、オレ、あんまり好かれてねえんだよな。才能がありすぎて、皆恐れをなしてんのよ」


 ぶち、とそんな音を立てると魔導機は沈黙してしまった。


「あ、切られちゃったんじゃ……」


(魔石のこと、ミデロ・メールの人に聞くのも良いかもってちょっと思ってたけど……)


 フィンはドロシーが思う以上に人望に欠ける人物のようだった。


(いや、そんなことより、これってかなりやばい状況では?!)


 写真は撮ったが、これだけでオリエッタの動きを止められるものでもない。

 送った音声だってまったく信用されていない様子。


「にゃははは! ばっかばかしい。コメディなんて誰も望んじゃないんだにゃっ! 無駄に時間消費させやがって、クソ金髪野郎! おら、テメエのお望み通り喉切り裂いてやるよ、クソ野郎が!」


 オリエッタが殺意を込めた瞳でフィンを睨み、大地を蹴る。

 その両手には短剣。白刃がフィンの喉目がけて迫り来る。


「地獄に堕ちなっ――!」

「フィンさんっ!」

「ドロシーちゃん! 耳塞いでろ!」


 フィンが上着の懐に手を突っ込み、何かを取り出す。ドロシーがその何かを視認するより早く、鼓膜をつんざく炸裂音が周囲に響き渡った。


「……、な」


 オリエッタが短剣を落とす。彼女は信じられないといった様子で、自身の腹部へと視線を向けていた。

 彼女が纏う菫色の法衣、その横っ腹に小さな穴が一つだけ空いている。


「い、痛てぇっ……! これ撃つのにこんなに衝撃があるもんだとは……」


 フィンは自身の手の中で、煙を吐き出すそれをじっと見つめていた。

 それがいったい何なのかはドロシーには分からなかった。

 ただ、彼が持ち歩いている撮影機や、《山彦》の魔法を込めた魔導機のことを考えるに、きっとそれも帝国製の魔導機の一つなのだろう。


「うぅ……、いった~いっ! こんな馬鹿男にやられるなんて、サイアクっ……!」


 赤く染まり始めた法衣を手で押さえながら、額に脂汗を浮かべるオリエッタ。

 逃げるだけの力もないらしく、彼女はその場に膝を突いた。


「……、こんなところでぇっ! あとちょっとだったのにっ!」


 その語調こそ元気たっぷりに思えるが、彼女の呼吸は荒く、厚めの唇からは赤い血の色が滲んでいる。

 気が付けば彼女の菫色の法衣は深紅に染まり、草地は彼女の命の色に染まろうとしていた。


 けほ、と血を吐いたオリエッタは力なく後方へと倒れ込んだ。



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