4-2 ドロシー、結界に弾かれる



 レジーナの祈りのおかげで、ドロシーたちは実にスムーズにリキノトの街を移動することが出来た。


 そしてついにドロシーは【菫大教会】に到着したのである。


「お、おっきい」


 見上げているだけで首が痛くなるほどの強大な教会。


 敷地内には整備された水路が走り、その周囲には大量の菫が誇らしげに美しい花弁を咲かせている。


 周囲にはヒトア教の聖職者と思しき法衣を纏った人々の姿が見えたが、エミリーやセドリック、レジーナのような花冠を被った者はいなかった。


「スヴァトスラフ司教は聖堂の奥、祈りの間にて、結界のための祈りを捧げておいでです」


「一年ぶりにお義父さまにお会いできるのね……」


「久々だな……、少し緊張してきた」


 いつになく緊張した様子のセドリック。顔色が悪い。


「そうだ、法衣に異常はないか? 教皇さまより賜った花冠に不備はないか? 聖獣たちに埃や汚れはないか? 姉ちゃん、ちょっと見て欲しい」


 上背のある背中を丸めて、姉と慕う聖女に身だしなみのチェックをセドリックは頼んだ。


 ちょいちょいと花冠の位置を調整する兄姉の姿を微笑ましく見守るレジーナ。


「お二人ともとても立派な聖者の姿をしていますよ」


 そう言って、彼女はゆっくりとドロシーの方へと向き直った。


「さあ、ドロシーさん。貴方も側においでなさいな。大教会はもう目の前ですよ」


 長い法衣の裾を翻し、レジーナはそっとドロシーへと手招きをする。


 ドロシーは三人から少し距離を置いていたのだ。


 神聖な空気に包まれた大教会。


 その敷地内の奥に進むにつれて、ドロシーの喉を締め付ける息苦しさが増していっているように思えたのだ。


「は、はい、今、行きます」


 そこで一歩、敷地内へと歩を進めたドロシーだったが。


 ばさばさ、と鳥が飛び立つ音がする。


「……主よ。我はこれ以上先には進めぬようだ……」


「エトアルさん?」


 酷く苦しげなエトアルの声に、ドロシーは途端に不安になった。


 リキノトの街中では平気でも、やはり法力の中心点である【菫大教会】の側では流石の魔王も堪らないようだ。


「無為に進めば、主の魔力を無理に消費することに繋がる」


 そう言って、エトアルはさらにドロシーから距離を取った。


 その様子を見ていたレジーナが、綺麗な顎のラインに手をやって呟く。


「使い魔にとってスヴァトスラフ司教の法力は苦しいのかもしれませんね。どうしますか、ドロシーさん。エミリーは貴方を司教の元にお連れしたいと思っているようですが……」


「ドロシー、別に長い時間教会にいるわけではないわ。少しの間くらいは……無理かしら?」


 エミリーたっての願いだ。


 オリエッタのことを伝えるにも、聖獣のことに関しても、ドロシーが側にいた方が説明がしやすいだろう。


 ドロシーとしても、菫司教には少し伝えたいことがあったし、訊きたいこともいくつかあった。


「エトアルさん、外で待っていて貰っても良いですか?」


「離れていても繋がっているのが主従の契約であろう?」


 夜鷹の鳴き声に乗ったエトアルの言葉に頷くと、ドロシーはエミリーたちの元へと向かった。


 そこで――ばちん、と激しい衝撃がドロシーを襲った。


「……、あつ、あっつっ!! い、痛いっ、」


 衝撃が生んだのは強い熱と痛みである。

 ドロシーは混乱と驚きのあまり、後方へと倒れ込んだ。


「主よ! 何があった!」


 ふわりとドロシーを抱き留めるのは、魔王形態に変身したエトアルだった。


 しばらくぶりにドロシーの前に現れた壮年の男は、夜空色の目を鋭く細めながら、見えざる神聖な壁を睨んだ。


 エミリーが驚いた様子でドロシーとエトアルの元へと急ぐ。


「大丈夫? 結界がドロシーを拒んだのかしら? で、でも、そんなこと、普通の魔法使いだったら、多少の息苦しさは感じても、こんな風に弾かれることなんて早々ないわ……!」


 信じられないと言った様子で栗毛を揺らすエミリー。


「大丈夫、大丈夫です。多分、わたしの持ち物が……」


 ドロシーは激しい熱を放っている腰のポーチに手を突っ込んだ。


 雑然とする中を探って、ハンカチにくるんだ石を取り出す。


「ドロシー、それはなに?」


「そっか、エミリーたちにはまだ話してなかったね。ユニコーンにくっついてた魔石だよ。何かあるかもって、あそこから持ってきてたんだ。でも……この魔石のせいで、わたし弾かれちゃったみたい」


 エミリーがおっかなびっくりと言った様子でその白い指先を、禍々しい黒の魔石へと伸ばす。


「エミリー」


 ドロシーはとっさに険しい声色で彼女を制止する。


「触っちゃ駄目だと思う。エミリーの法力は強いから、魔石の反応も強くなるかも。怪我しちゃったら、大変だから」


「え、ええ、そうね。触れなくても分かるくらいの酷い熱だもの……」


 エミリーははっとした様子で指を引く。

 その間にドロシーはエトアルの庇護から立ち上がった。


 ローブに付いた埃を払い、外れた三角帽子を被り直す。


 それから杖を拾い上げたところで、「ドロシー、姉ちゃん、大丈夫か」とセドリックが駆け寄ってくる。


「その石はいったい? それに、今の魔獣の変身は……」


 セドリックと共にドロシーの元まで駆け寄ってきたレジーナは、何が起こったのか分からないと言う様子で目を白黒とさせている。


 それもそうだ、魔女オリエッタですら魔獣を無詠唱で変身させる魔法なんて見たことがないと言っていたくらいだ。司教補佐官である彼女であっても、そのような魔法の存在には目を丸くしてしまうのだろう。


「この石については、菫司教にお会いした時に、旅のことと一緒に伝えようと思ってたんです。でも、この教会の結界が許してくれないみたい」


「その石……魔石と思いますが、何やら邪悪な気配を感じますね。これだけの魔力が込められているのでは、神聖な結界が拒んでも仕方ありません」


 レジーナは荘厳な【菫大教会】を仰ぎ見ると、小さく息を吐く。


「可能であれば、教会の結界外でお話をしたいものですが、……少々問題がありますので」


「問題、ですか?」


「彼は教会の外に出ることが難しいのです。彼は常に教区の平穏と安全を祈り続けています。彼が休む時と言えば、食事の時と眠る時ぐらいでして。それも僅かな時間です。少なくとも、本日中には難しいと思います」


 だとしたら、この石のことについて訊ねるのは絶望的なようにも思えた。


 もちろん、専門外の司教に魔石のことを訊いたとして、ドロシーが求めるような回答が返ってくるかどうかは不明ではあったが。


(ユニコーンが暴走する原因だったんだし、一緒に報告した方がいいと思ったんだけどな……)


 ドロシーは熱を孕んだ黒い石に視線を落とした。


 激しい熱を放つその石をハンカチで包み直すのは、青白い男の節くれ立った指だった。


「主よ、その石は我が預かろう」


「エトアルさん、良いですか?」


「それが従者の勤めであろう」


 ハンカチごとエトアルに魔石を渡せば、魔王は闇色の眉を僅かに顰めた。


 魔力の塊と言われている魔族の長である。何かを感じ取っているように思えた。


 そこでドロシーは自身の胸に下がるペンダントに触れた。


 ひやりと冷たくつるりとした石の感触が指に伝わる。


「変だな、リーナから貰った魔石はなんともないのにな」


 リーナの魔力が込められた石には何の問題も発生していない。


 いつもと変わらない穏やかな乳白色の表情を見せている。


「込められた魔力の質、強さ、あるいは悪意の差であろう。そなたの親友の思いは、魔力といえど祈りに近い。結界がそなたの友の思いを受け入れたのであろうな」


 そう言って、エトアルは踵を返す。


「さて、我はこの場を離れよう。息苦しくて敵わぬよ。なに、心配するでない、主よ。この街は広大だ。物見遊山気分で楽しませてもらう。そなたの用事が済むまで退屈するまいて」


 それから彼は夜鷹の姿に戻ると、ハンカチで包んだ魔石を足で捕らえ、そのまま遙か上空へと飛び立っていった。


 その様子を眺めていた司祭補佐官レジーナは、呆気にとられた様子で独りごちた。


「……何とも尊大な言葉遣いの使い魔ですね。そもそも人の姿に変化させる魔法も見たことがありませんし、ああも、意思疎通を可能とする魔獣を見たのも初めてではありますが……魔獣とは得てしてあのような性格をしているのでしょうか?」


「エトアルさんはそういう人なんです。でも優しいですよ。いつもわたしを守ってくれます」


 それが魔力の供給源を守るためだとしても。


「すみません、時間を取らせて。急ぎましょう、菫司教も忙しいでしょうから」

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