第4章 追放魔女と使い魔王、菫大教会に赴く
4-1 ドロシー、大都市リキノトに到着する
「ふわぁ……これがリキノト」
壮大な街並み。立ち並ぶ背の高い建造物。
活気のある街には、目新しいファッションに身を包む若き人々が忙しそうに行き交っている。
そんな華々しい人々の喧噪から離れた路地裏から、そっと表通りの様子を窺う。
まだ彼らが追ってきていやしないかと、眼鏡の位置を調整しながらじっと目をこらす。
「恐ろしいばかりの人の河であるな」
「ですね。田舎者には考えられないくらいの人……息が止まりそう」
ドロシーはローブの襟ぐりを掴むと、風を入れるようにパタパタとはためかせた。
乳白色のペンダントトップがきらりと揺れる。
リキノトに到着してからというもの、ドロシーは言い知れぬ息苦しさを感じていた。
「人の圧だけでなく、結界のせいもあろう。我ら魔の者にとっては、この神聖性は息苦しいばかりだ」
「……エトアルさんは大丈夫ですか?」
ドロシーはパッチの当てられた三角帽子に止まる夜鷹を見上げながら訊ねた。
帽子のつばのせいで姿はよく見えない。
魔法使いのドロシーでこれだけ息苦しさを感じているのだ、魔力の塊であるエトアルとなれば、その負担はピメの村で感じたものの何十倍、いや何百倍にも感じられたことだろう。
「我は夜の王であるぞ。この程度の法力には屈さぬよ。悍ましいほどの人の流れにもな」
「なら良いんですが……もし、辛かったら言ってくださいね。わたし、これでもエトアルさんの主ですから」
「ふん、言うようになったな主よ。魔法が使えるようになって自信を持つのは良いが、過信は禁物であるぞ。この街、リキノトの結界下では容易に魔法を行使することは難しかろう」
励ますつもりだったが、逆に諫められてしまった。
確かにこの法力の中で魔法を使うことは簡単なことではない。
「ん、そろそろ大丈夫かな。二人とも、あの人たちもう追ってきてないよ」
ドロシーは路地の奥に声をかけた。
路地裏に詰まれた木箱や樽の影から姿を見せるのは、酷く憔悴した様子のエミリーとセドリック。それから二人を守る二体の聖獣である。
二人には隠れて貰っていた。
いわゆる、敬虔なヒトア教徒たちの目に触れないように。
「ドロシー、ごめんね。こんなにも人が集まってくるとは思わなくって……」
「皆が寝静まった夜に来るべきだったな」
二人は思い思いの言葉をげんなりした様子で呟いた。
頭に被った花冠も、今は何だしおれて見える。
「聖女も聖人も大変だね。街に入った途端にあんなに人が押し寄せてくるなんて」
ドロシーも疲れていた。
人が鉄砲水のように押し寄せて来る姿など、この一六年の人生で初めて見た。
聖者はヒトア教徒にとってアイドルそのもの。
おまけに長い旅を終えて、新たに聖者となった二人である。
誰かが「聖者さまのご帰還だ!」と叫んだのを切っ掛けに、あれよあれよと人々が押し寄せ――気が付けばドロシーは河の流れに翻弄される落ち葉のようにもみくちゃにされていた。
この聖者二人と聖獣二体も同じく。
逃げても逃げても、誰かが「聖者さまが帰ってこられた!」と声を上げ、右から左から前から後ろから人の鉄砲水に押しやられ、やっとここに逃げ込んだという次第である。
無事、巻いたようではあるが、しかし、この先どうしたものか。
「【菫大教会】までかなり距離がある。教会は街の中央にある。移動しようにも、タイタンとユニコーンの存在がどうにも目立って仕方ない」
セドリックは黒い眉根を寄せて、どうやって【菫大教会】に行くか必死に考えているようだった。
「リキノトに住まうほとんどの人間が敬虔なヒトア教徒だ。滅多にお目にかかれない聖獣と聖者が闊歩していては、殺到するのも仕方ない。うーん、どうしたことか……」
「魔法使いたちが魔獣を使役するときみたいに、簡単に呼び出せれば良いのだけどね……聖獣はそうはいかないから……」
はあ、と重々しい溜息を二人の聖者は吐いた。
旅の道程の中では、長距離移動も平気だと涼しい顔をしていた二人であるが、人にもみくちゃにされるのは精神的に堪えるらしい。
魔力の根源が血と肉にあるなら、法力の根源は健全な精神にある。
精神的な疲労は、精神力が資本の聖者の弱点とも言えた。
「二人は街のアイドルだもん。今までの村とか町でも凄かったしね。ここまでじゃないけど」
ドロシーは二人の気分を持ち上げようと、明るい語調でおどけてみた。
「可能であれば、司教様とお会いする前にリキノトの観光名所を案内してあげたかったけど」
「これでは無理だな」
リキノトに着く前、聖者たちは司教に謁見する前に、軽くリキノトを案内すると言ってくれていた。だが、これでは観光は不可能だ。
「ちょっとずつ教会に近づいているから、隠れながら移動しよう。見つかったら、まあ、……走って逃げる?」
ドロシーが杖を片手にそう言った時。
「――これって聖獣? 後ろにいるのはもしかして、聖者さま?」
「まあ! 聖者さまよ」
「じゃあさっき通りで聞こえたのは本当だったんだ」
「巡礼の旅からご帰還されたんだ!」
道の反対方向から姿を現すのは、興奮に目を血走らせたリキノトの住民たちだ。
「うわ、もう見つかっちゃった! 逃げよう、皆!」
「え、ええ。普段ならお相手したいところだけど」
「……主よ、早く【菫大教会】に向かわねば。また押しつぶされてしまうぞ」
「うう、人で窒息死するのはごめんです!」
ドロシー一行が、路地裏の石畳を力強く蹴って駆け出したところで、――しゃん、と涼やかな金属音が裏路地に響き渡った。
「皆様、聖者一行は長旅を終えて疲れています。今、彼らに必要なのは休息と、聖女ヒトア様の慈愛、そして司教様の祝福です。今は二人を解放してはくれませんか?」
聖獣ユニコーンとタイタンの大柄な影の合間を縫って姿を見せるのは、菫色の法衣に身を包んだ一人の女性。
浅黒い小麦色の肌に、青みがかったブルーブルネットが特徴的な女性。年の頃は二〇代から三〇代といったところだろうか。
彼女の手には、菫の意匠が施された錫杖が握られていた。
先ほどの涼やかな金属音は、錫杖の飾りが揺れた時の音だろうか。
神々しい雰囲気を纏う彼女のブルーブルネットには、鮮やかな菫の花冠が乗せられている。
「レジーナさまだ」
「レジーナさま、すみません。新しい聖者様のご誕生に嬉しくなってしまって」
彼女の神聖性に市民はすっかり萎縮してしまっていた。
「皆の信仰心は伝わりました。また後日、聖者たちの披露の時が来るでしょうから、今は身を引いてください」
彼女の涼やかな言葉に興奮から目を覚ました人々は、一人、また一人と路地裏を去って行く。
人気がなくなったのを確認すると、レジーナと呼ばれた女性は静かに口を開く。
「エミリー・バイオレット、そしてセドリック・バイオレット。神皇国より、聖者と認められたという知らせを受けてから数ヶ月……ずっとお二人をお待ちしておりました。我らが愛しの兄姉。ヒトア様の祝福を受けしあなた方の帰還を、スヴァトスラフ司教は首を長くしてお待ちしておりました」
それからレジーナの神秘的な橙色の瞳がドロシーを見る。
そして怪訝そうに彼女は首を傾げた。
「そして、こちらのお嬢様は? 魔法装備で身を固めているところ、魔法使いであると見受けられますが……オリエッタはどうなったのでしょう」
「レジーナさま。彼女はドロシー・ローズといって、私たちが雇った傭兵の魔女です」
「なんと、……では、オリエッタは」
細い眉を顰めるレジーナ。
彼女はオリエッタの身に不幸があったと考えたのだろう。
「そのことについては司教様を交えてお話をしたいと思います」
「レジーナさま、ご安心ください。彼女は善良な魔法使いです。彼女は俺たちを何度となく救ってくれました。聖女ヒトア様が俺たちのために使わしてくださったのではないかと思うほどに」
「……聖者二人がそう言うのであれば、信じましょう」
レジーナに対して、ドロシーの紹介を済ませる二人。
その側で置いてけぼりになっているのはドロシーだ。
「えと、失礼ですが、二人とも、彼女はどちらさまですか?」
彼女が聖女であることは、その菫の花冠からして明らかだ。
二人の聖者が敬うとなれば、レジーナは相当な役職の持ち主なのだろう。
「わたくしはレジーナ・フアン。菫教区の補佐司教です。その肩書き通り、わたくしは菫教区を指導する菫司教こと、スヴァトスラフ・クライーチェク司教の補佐官でございます」
「すらふ・くらーちぇく……?」
「スヴァトスラフ・クライーチェクさまです」
舌がもつれてしまいそうな名前を、レジーナは平然と読み上げた。
流石は補佐司教。上司の名前は完璧だ。
「なんとも難しいお名前ですね……」
「ふふ、じき覚えますよ」
ドロシーの言葉に微笑で返すと、レジーナはその菫の錫杖を両手に握り、青い睫をゆるりと下ろした。
「では急ぎましょう。【菫大教会】の聖者が帰還したと騒ぎが起きつつありますので……鏡の祈りをあなた方に……」
レジーナは早口に祈りの文言を呟いた。
間もなく、レジーナの錫杖から光が放たれ、ドーム状に広がった。そのままドロシーたちを光の雨が包み込む。
「護りの祈りの一つ《鏡》です。この光の球がわたくしたちの姿を覆い隠し、鏡のように周囲の風景を反射します。残念なことに、祈りの特性上、わたくしの姿を隠すことはできませんが十分でしょう」
「見事なレジーナさまの奇跡……何度見ても驚きばかりで」
「俺たちの至らなさが恥ずかしくなります」
「いずれあなた方も使えるようになりますよ。聖者として一歩踏み出した貴方たちであれば、いずれスヴァトスラフさまを越える法力使いとなれるかもしれません」
レジーナは新米聖者たちのフォローも忘れない。
若くして司教補佐の役職に就いただけのことはある。
「さ、可愛い魔女さん。【菫大教会】までご案内いたします。《鏡》の奇跡は音を遮断することはできませんので、なるたけお静かに」
そう言って彼女は人差し指を唇に押しやった。
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