3-8 ドロシー、ピメの村を発つ



 ピメの村の入り口。


 畑が連なる村には仄かに菫の香りが漂っていた。


「それでは皆さん、短い時間でしたがありがとうございました」


 聖女エミリーが、見送りに集まった村の人々に向かって慈母の微笑みを見せる。


 菫の花冠が、いつになく輝いて見えた。


「聖者さま、魔女さん、気を付けて!」


 人だかりの中から投げかけられたその言葉が口火を切った。


 次々に投げかけられる声、声、声。


「また来てね」「いつでも遊びに来ていいぞ」「お三方の旅が良いものでありますように」と。


 今日の空のように晴れやかな声が、ドロシーの耳元を通り抜けていく。


「これを持って行ってくれ」


 ロン爺さんが、パンパンに膨れた麻袋をセドリックに持たせる。


「これは?」


「ピメの村で作った保存食ですよ。是非、旅の糧にしてくださいね」


 投げかけられる問いに対して答えてくれるのは、柔和な微笑を携える老シスターである。


 その彼女の横で、ずず、と鼻を啜る翁。


「まあ、ロン爺さん泣かないで。またいずれここを訪れるわ。その時にまた沢山お話しましょう」


「ありがとう、爺さん。マザーも、皆も、……大切に食べさせてもらうよ」


 村の畑を守るロン爺さんが、エミリーたちに渡したのは麻袋に詰められた乾燥野菜である。


「魔女さん。アンタも沢山食べてくれよ。魔法使いは体が資本だって聞いたからな。沢山食べて、二人を護っておくれ」


「もちろんです」


 ロン爺さんの皺だらけの手がドロシーの手を握る。ドロシーはそんな彼の手を強く握り返して答える。


 この村に着いたばかりの時は、エトアルに頼ってばかりの自分で良いものかと不安だったが、今のドロシーであれば二人をリキノトまで送り届けることが出来るだろう。


 そんな自信が、今のドロシーにあった。


「こんな美味しそうなお野菜をいただけて、嬉しい限りです」


 ドロシーはに、とロン爺さんに笑いかけた。

 その言葉は本心からだ。


 リキノトまでそこまで日数を要さないと聞いたが、それでも保存食はありがたい。


 そもそもこの【星鳴きの砂浜】を目指した旅は、ドロシーと魔王の二人旅を想定していた。買い込んだ食料だって、ドロシー一人が数日食べられる程度のものしかなかった。


 聖者二人と合流してからというもの保存食はあっという間に底をついてしまっていた。


 乾燥させた野菜は汁物に入れて美味しくいただくとしよう。


 セドリックがタイタンにロン爺さんから受け取った荷物を渡したところで「ドロシー姉ちゃん!」人だかりを除けて姿を見せるのは、赤毛の少年である。


 今にも泣き出しそうな、そんな顔でドロシーの顔を見上げている。


「ドロシー姉ちゃん、本当に行っちゃうんだな」


「うん」


「気を付けてね。怪我、しないでよ」


「ダニーくんも気を付けてね。皆と仲良く過ごすんだよ? 皆ダニーのことが大好きだからね」


 ドロシーはそっと少年の髪を撫でてやった。


 夕日の髪が朝の日差しを美しく反射している。もう少し伸ばして、切りそろえればそれはそれは見事な髪になるだろう。


「ね、姉ちゃんも綺麗だよ」


「え?」


「オレの髪、綺麗だって言ってくれたから、……姉ちゃんにも、って思って……」


「そっか、ありがとう。そう言って貰えて嬉しいな」


 それから名残惜しむように少年の虎刈りの髪から手を離すと――


「わっ」


 少年がぎゅっとドロシーに抱きついた。

 が、それも一瞬で。


「じゃ、じゃあな!」


 耳まで赤くしたダニー少年は、そのまま微笑ましいものを見守る大人たちの視線を潜って、逃げるように去って行く。


「あらあら、ダニーったら、……すみませんね、ドロシーさん」


「全然、大丈夫です」


 あはは、と笑いながら、ドロシーは眼鏡のブリッジを押しやった。


 その横で、夜鷹が小さく囀る。


「主は人たらしであるな」


「言い方が悪いです。誑かしているつもりはどこにもないです」


「お人好しのなせる技か。いずれにせよ、旅においてはその人たらしの技量は良き方角に運を転がしてくれるであろう」


「なんだか今日のエトアルさん、占い師みたいなことを言いますね」


 ぼそぼそと使い魔王と会話を続けていると、「では、そろそろ」とセドリックが口を開く。


「そうね、もう行かないと。ずっとここに居たくなっちゃうから」


「じゃ、行こっか」


 三者が頷いて、爪先をリキノトに続く街道に向ける。


「ドロシーさん、気を付けてくださいね……リキノトの方では、……その」


 マザー・バイオレットが言いにくそうに口をまごつかせる。


「どうしましたか?」


「今のリキノトでは……帝国系王国人……赤毛排斥を訴える野蛮な人たちもちらほらと出ていますよ。ダニーをすぐに保護したのも、そう言った活動が活発になってきていたからでして……」


「そんなことが? 俺たちが旅立った時はそんな話は……」


「そうよ。確かに、差別的な人は少なくなかったけど」


 老シスターは悲しそうに目を伏せる。


 周囲にいた大人たちも、どこか気まずそうに視線を逸らしたり、頬を掻いたりしている。


 中々言い出せなかったのだろう。


 貴方が目指している大都市では、貴方が酷く差別されるかもしれない、など。


 特に、巡礼の旅の終わりに胸を膨らませている聖者二人の前では言い出せなかったのかもしれない。


「大丈夫だよ」


 ドロシーは力強くそう言った。


 なだらかな胸を張って、リーナから受け取った月のペンダントを揺らして、「わたしは大丈夫だから」と締める。


「……貴方はとても立派で気丈な魔女さんですね。ええ、エミリーとセドリックを救って、ダニーまで助けてくれた貴方ならきっと大丈夫ね」


「それに赤毛排斥主義者と遭遇したとして、それが聖者の護衛となればとやかく口出しできやしないだろう。【菫大教会】の目の前で、そんな狼藉を働く愚か者がいるとは思えない」


「そうよ。私たちが護るわ。だから大丈夫よ、マザー・バイオレット」


 セドリックの清廉で真っ直ぐな声の後に、エミリーの包容力のある声が続く。


 聖者二人の庇護ほど心強いものもないだろう。


 エトアルがドロシーのお人好しが運を好転させると言った意味がよく分かった。


 ドロシーは、ただ見捨てられなくて、二人に力を貸した。その結果、今、二人がドロシーを護ろうと約束してくれている――


「では、お達者で!」


 ドロシーは背嚢を背負い直すと、一歩、歩を進めた。

 一歩、一歩、着実に歩を進めていく。


 少し進んでから、一度振り返り、まだ村の入り口付近で三人と一匹の旅路を見守る村の人々に手を振って、街道へと向き直る。


 目指すはリキノト。

 そして、その先【星鳴きの砂浜】である。

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