3-7 ドロシー、にやける



「ダニー! 心配したんですよ」


 ピメの村に戻ると、真っ先にダニーの元にやって来たのは老シスター。


 目元に涙を滲ませた彼女の腕に抱きすくめられ、ダニーはぐすんと鼻を鳴らした。


 何より彼の涙腺を刺激したのは、多分、マザー・バイオレットの熱い抱擁ではなかったはずだ。


「そうだぜ、ダニーのヤツ勝手に森に行っちゃうんだから!」


「心配したんだからねっ」


 ぎゅうっと我が子を抱くように赤毛の少年を抱く老シスターを取り囲むのは、孤児院の子供たちだった。


 女の子も男の子も勢揃い。食堂で見た顔ぶれの全てが、ここに集まっていた。


 皆、ダニーの安否を心配していたのだ。


 最年長の少年に至っては、一緒に探しに行かせてくれとせがんできたほどである。


 もちろん危険なので村に残るように説得したが。


「マザー・バイオレット。皆、村の人たちも……心配かけてごめんなさい」


「良いのよ、無事帰ってきたんですもの。さ、怪我を治したら、お風呂に入りましょうね。泥だらけで大変でしょう」


 腕の中で、皆の愛情に打ち震える少年の髪を優しく撫でながら、マザー・バイオレットはそっと続ける。


「美味しいご飯も食べましょうね」


 そんな仲睦まじい姿を遠巻きに見つめながら、ドロシーは泥だらけになった聖者たちに言った。


「リキノトへの道については、また明日でもいい? 大分、暗くなってきちゃったし」


 ドロシーは天を仰いだ。


 ダニー少年の髪の色によく似た空もすっかり暗くなり、ぽつぽつと姿を見せ始めた星々が夜の到来を知らせている。


 道程を決める程度であれば、そこまで時間は必要ではないだろうが。


「ふわ、……っと、ちょっと疲れちゃって」


 ドロシーは大きく欠伸をして、目元に滲む涙を擦った。


 何時間も森の中を捜索して、大蛇と戦って。生まれて初めて《業火》の魔法を使ったからだろうか、随分と体は疲弊していた。


「大蛇と戦ったって言ってたものね。疲れたでしょ? 早く戻って休みましょう。話は明日からでも十分間に合うわ」


「大蛇、か……ヒトト山に生息する大蛇、シュガールかもしれないな。獣の身でありながら、魔法を扱える上位の魔獣だ。滅多に人里の方に下りてくることはないと聞いたが……」


 ふむ、とセドリックは何か物思いに耽った様子で顎に指をやった。


 その横で、シュガールという単語に目を丸くするのはエミリーだ。


「シュガール? あの嵐の大蛇、シュガールを撃退したっていうの? 凄いわ、ドロシー!」


 エミリーのか細い手が背後よりドロシーを捕らえた。


 むにゅ、と暖かい感触がドロシーの背中に触れる。今だけはその人肌の温もりを宿した瓜の感触に、劣等感を抱くことはなかった。


「え、えへへ」

「なんだ、今日は謙虚じゃないんだな」


 セドリックが怪訝そうに眉を寄せる。


 確かに、いつもドロシーは何か礼を言われた時は〝自分の力ではない、エトアルが凄い〟と返すように努めてきた。


「あ、えっと、今日はそんな気分なんだ。えへへ」


 エトアルは魔王である自身を召喚し、契約したこと自体が考えられないことであるとドロシーに語ったが、正直なところ、自分の力で彼を召喚したという感覚がなかった。


 確かにドロシーは召喚の間で、呪文を唱えた。しかしそこから先の記憶は曖昧だ。爆風で頭を打ったせいもあるだろうか。


 気が付いたらエトアルがいて、あれよあれよという間に使い魔の契約をした。


 あの時も、彼が自分の使いまであると認めたというよりかは、本当に彼をドロシーが召喚したのか確かめたいという思いの方が強かった。


 ドロシーはエミリーに抱きすくめられながら、自分の手を見下ろした。


(今日はわたしの力で助けられた)


 いつもエトアル頼みだった。

 野盗の時も、黒妖犬の群れの時も、オリエッタの時だってそうだ。


 ドロシーが窮地に陥ったとき、颯爽と現れ撃退してくれたのはいつだってエトアルだった。


 でも、今日は違う。

 どんな理屈で魔法が使えるようになったのかは分からない。


 今日一日だけの奇跡なのかもしれない。

 それでも、今日は、ダニー少年を救おうと立ち向かったこの瞬間だけは、ドロシー自身の力で戦ったのだ。


 だから喜びもひとしおだ。

 顔がにやけている。引き締めないと。


「とにかく【菫園】に戻ろう。俺も泥だらけだし、腹も減った。思えば昼飯も食べていない」


「そうね。ドロシー、行きましょ?」


 ドロシーを瓜地獄から解放したエミリーが、今度はドロシーの手を取って【菫園】を目指して歩き出す。


 ガラス細工のような半透明の巨人と、陶器製の一角馬がその後をゆるりと続く。


 菫の爽やかな香りが、ドロシーの幸福感に満ちた胸を通り抜けていった。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 食事と風呂を終えて、与えられた自室の中でドロシーは夢心地だった。


 固いマットレスに腰掛け、菫の匂いに包まれながら、ドロシーは自身の伸ばしてきた赤毛にブラシを通していた。


 エミリーから分けて貰った香油(これも菫の匂いがする)を僅かに手に取って、髪に馴染ませる。


 明後日には発つ。髪の手入れをしてやれるのは、次の町でのことだろう。そもそも、次の町にたどり着いた時にそれだけの体力が残っているかも怪しいので、今の内にできる限りの手入れをしてやろうと思った。


「主よ」


 窓辺に止まり、夜空色の双眸をしばたかせる夜鷹。


「実に嬉しそうだな」


「えー? わかります?」


 にやにやが止まらない。

 落ちこぼれだ、万年最下位だ、落第確実だ。


 ドロシーがルクグ王立第三三魔法学校に入学してから、何度そう言われたことだろう。


 問題児専用の教授、バーンリー教授だけがドロシーに目をかけ、手をかけ、教育してくれたが、攻撃魔法《火球》すら覚束ない不器用っぷりで彼女の頭を悩ませてばかりだった。


 そんなドロシーが《業火》を使って、あろうことか上位の魔獣を撃退したのだ。

 嬉しくないはずがない。


「主の魔法、見事であった。流石は我が主である。主の魔力が安定し始めたということだろう」


「……安定?」


 ドロシーは首を傾げた。


 喜びのあまり緩んでいた口角が、ほんの少しだけ締まる。


「そなたの魔力はあまりに膨大。我が食らっても食い切れぬだけの量を誇っている。その魔力の出力が、やっと安定してきたのだろう。つまり、あまりの量ゆえに、そなたはその魔力を正しく扱えなかったということだ」


「……でも、この間は魔力不足で倒れそうになりましたよ」


「それはそなたの貧弱な体力が、山道の旅に耐えられなかったゆえのこと。もう少し、脆弱な体を鍛えるべきだ。魔力回復に必要な睡眠も足りていなかった。人の子の魔力は血と肉に宿る。その血と肉が健全健康な状態でなければ、本来の力も発揮できぬということ」


 エトアルの発言はもっとものように聞こえる。

 しかし、疑問が残るのである。


「エトアルさんの言うようにわたしの魔力が、すっごい量だったとして、じゃあどうして軍の検査には反映されなかったんでしょう?」


 ヒトト山でも似たような会話をしたが、あの時からこの疑問のしこりはドロシーの喉に張り付いて取れずにいた。


「それについては山の中でも説明したであろう。いや、推測したと言った方が良いか」


「……軍の判定機の質が悪かったってことですか? ルクグ王国は大陸の中でも有数な魔法国家です。その国が開発した判定機をすり抜けるなんてこと……」


 潜在魔力を判定する軍の判定機。


 対象の魔力を判定するため、一定量の血を抜いて検査をする。


 その血を分析し、魔力値を測るのだ。精度の高さは魔法軍折り紙付き。


「そなたは、古の魔王を従えておるのだぞ? 常識で語ることの出来る魔力ではないのだ」


「うーん、そう言われれば、そうなのかも……? でも、どうしてわたしが? わたしはただの……孤児ですよ」


 ドロシーは特別な人間ではない。

 どこにでもいる、帝国系王国人の孤児である。その出生こそ不明であったものの、大まかな境遇はあのダニー少年とそう変わらない。


「我に聞かれても困る。そなたの両親になにかあるのか、あるいはそなたの魂になにかあるのか」


 エトアルは毛繕いを始めた。

 樹皮色の羽毛を短い嘴で繕う姿は、ただの夜鷹にしか見えない。


「魂……ヒトア教の方みたいなことを言うんですね」


「どういうことだ?」


「ヒトア教徒は転生を信じています。肉体は器でしかなく、人間の本質は魂にあると考えているとか。法力の大小は、転生前の魂の行いによって決まるんだそうですよ。つまり、前世で良い行いをした魂はより強い法力を得てこの世に生を受けるのだそうです。聖者に至るまでの法力を持つ者は、長きにわたる転生の中で良き行い……功徳を積み続けた偉大な魂であるんだとか」


「なるほど? であれば、魔力を持つ者は……」


 聖女ヒトアが封じた悪しき魔族の王は、かつてヒトア教徒が魔法使いたちにどのような扱いをしてきたか何となく理解したようだった。


「ヒトア教としては、悪い人たちのようです。前世で悪しき行い……例えば、魔族に与した魂であると語られていたそうです。魔族に与した大罪人の魂には、魔族と同じ忌むべき破壊の力が宿るとされます。だから、大昔のヒトア教徒は本当に心から魔法使いたちを嫌っていたそうですよ。でもそれは大昔の話で、今は大分良い方に解釈しているみたいです。じゃなきゃ、この魔法国家ルクグ王国で幅広く信仰されませんからね」


 大魔法戦争が起きるより以前、魔法使いとヒトア教徒による対立も激しかったそうだ。


 当時はまだルクグ王国はなく、あるのは今や歴史の授業にのみ出てくる国々。その埃まみれの歴史の中では、聖魔戦争と呼ばれる、魔法使いとヒトア教徒による戦争が起きたこともあった。


 ルクグ王国が樹立した時、当時の王は魔力も法力も上手く国家に取り入れようと考えたのだろう。破壊を得意とする魔法と、堅牢な守りと癒やしを得意とする祈り、そのいずれも利用できる国こそが覇権国家になれると。


 実際、初代国王の目論見通り、ルクグ王国は世界有数の魔法国家となった。


「もし、エトアルさんの言うように、わたしの魔力が魂……前世とやらに関係するとしたら」


 そう言って、ドロシーは髪の手入れを終えた。


 ブラシをサイドボードの上に置いて、ベッドに横たわる。


「わたしはきっと、魔族に与したとんでもなく悪い人間の魂を持っているんでしょうね」


 ドロシーはヒトア教徒ではない。だから、前世とやらを信じてはいなかったし、そもそも聖女ヒトアの存在にすら懐疑的だった。


 だが、実際こうして魔王エトアルと出会い彼と会話をすることで、信じていなかったヒトア教が権威のために嘘を吐いていたわけではないと理解した。


 エトアルが魂に言及したのであれば、実際、魂というものが存在するのだろう。


 その魂の善し悪しで、魔力を持つか、法力を持つかが決まるという。


 何とも端迷惑なシステムだ。


(いったいどんな悪い人だったのかな)


 そこでうっすらと瞼を開けて、月明かりの下で目を瞑る一羽の夜鷹を見た。


(意外と、当時のエトアルさんと会っていたりして……)


 そんなことを考えながら、ドロシーは再び瞼を閉じる。


(まあ、あり得ないことだろうけど)

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