3-5 ドロシー、石を投げられる
「石っ?」
「気を付けよ。危うくそなたの眼鏡に傷が付くところであったぞ」
エトアルがドロシーの肩に留まり、その横でセドリックが声を張る。
「君、ドロシーに失礼だろう!」
彼の黒曜石の視線は、がささ、と物音を立てる菫畑へと向けられていた。
セドリックの視線を追ってドロシーもその方へと顔を向ければ、そこには赤い髪を虎刈りにした少年が立っている。
一昨日の夜、ドロシーを睨み付けていたあの少年だ。
「何故このようなことをした! 彼女は俺たちを救ってくれた魔女だぞ!」
曲がったことが大嫌いだと自身で口にした通り、セドリックはそうとうお冠のようだった。
その剣幕に気圧されたのか、少年は肩を一度震わせると「うるせえ!」と怒鳴った。
「……何でだよっ!」
「待つんだ!」
セドリックの制止の声も虚しく、赤毛の少年は一目散に逃げていく。
見事に咲いた菫を掻き分けながら。
「っ、神聖な菫畑の中を踏み荒らしてっ……、ああ、行ってしまった」
聖者にとって、偉大なる聖女ヒトアが愛した花畑を荒らして走ることは出来なかったようで。
セドリックは少年を見失ってしまった。
「セドリック、あの子のことは知っているの? 一昨日の晩餐の時も、わたしのことを睨んでいて気にはなっていたんだけど」
「あの少年については、何も。俺とエミリーと旅に出たのが、今から一年程前でな……出発の前に、一度俺たちは【菫園】に顔を出している」
そこでセドリックはぐるりと少年の姿を探すように視線を巡らせる。
しかし、赤い髪はどこにも見当たらない。
流石に今すぐに戻っては来ないだろう。
「あの時に赤毛の子供はいなかったはずだ。この一年の間にここに保護された子だと思うが……」
「そっか、セドリックたちなら何か知ってるかと思ったんだけど……」
何故、ドロシーに石を投げたのか。
セドリックに聞けば、その理由の一端でも分かるかと思ったが。
「あの子はダニーですよ。半年前にここに来たの」
そんなドロシーの疑問に答えるように、孤児院の建物の影から姿を見せるのは年老いたシスターである。
「マザー・バイオレット」
「おはよう、セドリック、ドロシーさん。朝から大変な目に遭わせてしまったようで……ごめんなさいね」
皺だらけの顔をくしゃりと歪めて、マザー・バイオレットは悲しそうにうつむいた。
「マザーが謝ることではありません」
「そうですよ」
「いいえ、あの子の心を癒やしてあげられなかった私の責任ですよ。同じ赤毛の方と席を共にすれば、少しは気も楽になるかと期待していたのだけれど……」
逆効果だったみたいですね、と老婆は溜息を吐いた。
すっかり白くなった睫をしばたかせ、彼女は菫畑を見渡し、もう一度重い息を吐く。
「……その、良ければ、あの子――ダニーについて教えてもらっても良いですか? 少し、気になって」
ドロシーの問いに、マザー・バイオレットは静かに答えた。
「あの子は、リキノトからやって来た子ですよ。ただ一人の肉親である母親が病で亡くなり、【菫大教会】が保護しました。それから、ここに」
「リキノトから……」
セドリックが神妙な面持ちで呟く。
自分とダニー少年が重なったのかもしれない。
そして同時に、赤毛の少年がどのような人生を歩んできたか、悟ったようだった。
「この孤児院にいる赤毛の子はあの子一人きりだからか、どうにも馴染めないみたいでしてね。いつも一人遊びをしていたの」
「確かに、あの子が他の子供たちと一緒にいるところは見かけませんでしたね」
ドロシーはここ二日の孤児院の様子を思い出す。
聖獣に触らせてくれとセドリックにせがむ子供たち。旅の話を聞かせてくれとエミリーに付き纏う子供たち。そして、今日、ドロシーに魔法を見せてくれと取り囲んだ子供たち。
その顔ぶれの中に赤毛の少年が混ざることはなかった。
「ここにいる皆は、ダニーの赤い髪のことなんて気にしてもいないのに。あの子は自分の髪が伸びるとあんな風に自分で短く切ってしまうの。無理に自分で切るものだから、この間も頭を切ってしまって……」
確かに、このピメの村の住人たちはあまり赤毛に対して忌避感を抱いていないようだった。
ドロシーが、二人の聖者を救った魔女、という肩書きを持っているからかもしれないが。
それにしても、これだけ目立つ赤毛を持ったドロシーが、こうも身軽に大手を振って歩くことはそう出来ないことだ。絡まれることはなくても、刺々しい視線を向けられることは大いにあった。
それだけピメの村の人々に偏見がないということで。
「だからでしょうね。ドロシーさんが気になったのだと思うわ」
「ですが、マザー・バイオレット。気になる程度で石を投げられては困ります。それに自分の髪を自分で切って、怪我までするなんて、少し異常だと俺は思いますが」
セドリックの言葉にドロシーは小さく頷いた。
「マザー・バイオレット。他に、何か知っているんじゃないですか?」
「あの子の母親は……その、夜の仕事を生業としている方で……ダニーは彼女が望んで身ごもった子ではないようでした。赤い髪も、客の男の髪だったとかで。母親は、我が子が赤毛であることを嫌っていたようなの」
ぼそぼそと小さな声で老いたシスターは答えた。
「ダニーは酷い境遇の中を生きてきたのですよ」
「……そう、ですか。ダニーくんのこと、苦しいくらい理解出来ます。辛かっただろうな。自分のママにまで嫌われるなんて」
母親に嫌われる。
子供にとってどれだけ辛いことだろう。
子にとって親は絶対だ。
ヒトア教徒における主神や聖女ヒトアと同じかそれ以上の絶対的存在。
そんな存在に嫌われる、見捨てられる、その恐怖とはどれほどのことだろう。
幸い、ドロシーはその恐怖を味わわずに生きて来られた。
ドロシーを嫌っていたのは、寮母であるマザー・ローズだけだったからだ。
「……別に赤い髪で生まれたかったわけじゃないのにね」
「ドロシー」
「ドロシーさん」
二人の聖職者たちの心配する表情に対して、ドロシーはに、と笑って答える。
「あ、でも大丈夫。わたしはこの髪大好きだから」
この髪を持って生まれたのだから、好きでいようと思ったのは、ドロシーが七つになった時の事。
マザー・ローズの折檻に耐えられずに、屋根裏部屋ですすり泣いていたその時だった。
太陽も地平線の彼方に沈み、屋根裏部屋を照らすのは静かに月の銀の光。
その光の中、古ぼけた鏡に映った自分を見て、側にあった錆びたハサミを見て、いっそ髪を切ってしまおうかとも思った。
でも出来なかった。
ドロシーにとって、この赤い髪はドロシーそのものなのだ。
それに切ったところで、短くしたところで、ドロシーが帝国系王国人であることには変わりない。
変えようのないことを悲観し、自分を傷つけるくらいなら――いっそ、赤い髪を好きになって、自分を愛した方がずっと良いのだと気が付いた。
それからドロシーは泣かなかった。
マザー・ローズがなんと言おうと、ドロシーは自分の髪を伸ばしたし、彼女の罵倒も何も気にも留めなかった。
「……ダニーくんがどうしてわたしに石を投げてきたのか、これで何となく理解出来ました」
赤毛が嫌いで、自分が嫌いで、だからああも切ってしまうのに、そんな苦しみ喘いでいる中に、飄々と自慢げに赤毛を伸ばして歩いているドロシーやってきた。
それだけならまだしも、聖者を救ったと持てはやされて、子供たちも好かれて取り囲まれて、そんなドロシーの姿が憎たらしく思えたのだろう。
ダニー少年はまだ幼い。ぱっと見た感じ、年齢は一〇歳に満たないほどだろう。
そんな年頃だ、自分の感情を上手くコントロール出来ないのは仕方ない。
ドロシーはちろりと木に留まる夜鷹の姿を見た。
この間の夜、教会で会話した日のことが過る。
――世界は綺麗だ。
ダニー少年にも、そう思って欲しい。
世界は悪意のある人で満ちているわけではないことを、知って欲しい。
「セドリック、リキノトまでの道程については昼から話すんだったよね?」
「ああ、そうだが?」
「それって夕方以降に移動する事って出来る?」
「どうして?」
「わたし、ダニーくん探してくる。ちょっとお話してみたいんだ。自分のことが嫌いなままなんて、……凄く辛いことだよ」
ドロシーとの会話で、少年が抱える闇の全てを救うことは難しいだろうけれども。
だけれども、同じ帝国系王国人として、赤い髪を持つものとして、じっとはしていられない。
「……分かった。俺も手伝おう」
「セドリック! ありがとう」
「ここで動かなくては聖者の肩書きが泣いてしまうからな。ピメの村は小さい。エミリーにも声をかければ、すぐにでもダニーを見つけることが出来るだろう。エミリーは今、ロン爺さんの畑の手伝いに行っている」
「それじゃあ、一度、エミリーのところに行こうか」
「そうだな」
高い位置にあるセドリックの黒曜石の瞳を見上げ、ドロシーは強く頷く。
「まあ、ドロシーさん、セドリック……ありがとうございます。私も探すのをお手伝いしますよ」
「じゃあ、マザー・バイオレットは孤児院の中を探してもらって……」
そう、ドロシーが老いたシスターに話しかけたその時だった。
「大変よ! ドロシー、セドリック!」
清らかな聖女の声が、【菫園】横の菫畑に響き渡った。
声の方へと見やれば、そこには菫の花冠を栗毛に被ったエミリーの姿が目に留まる。
法衣の裾を大きく翻し、ばたばたと駆け寄る彼女。
彼女の背後には、聖獣ユニコーンの陶器ボディが続く。
「姉ちゃ、エミリー、何があった?」
ドロシーたちの元に到着した聖女は、相当な距離を走り続けたのだろう、顔は真っ赤に上気し、息も絶え絶え。
彼女に従う聖獣ユニコーンは涼しい顔をしていたが。
「げほ、……えっと、ほら、赤毛の男の子、いたでしょ? あの子、村の外に出ちゃったみたいなの! ロンお爺ちゃんが止めたみたいなんだけど、全然聞かなくって! 追いかけたんだけど、見失っちゃってっ」
咳混じりのその言葉に、ドロシーは目を見張った。
「外は危険よ。村には聖職者の祈りで魔獣除けが施されているけど、その範囲外に出ちゃったら……」
「魔獣に襲われるかもしれないよ。早く探しに行こうっ!」
ドロシーの言葉に、皆が同意するように顎を引く。
それを合図に、眼鏡の位置を調整すると、ドロシーは杖を片手に駆け出した。
「……主よ、気を付けよ」
「エトアルさん」
樹木の枝より降り立った夜鷹がドロシーの耳元で囁く。
「なにやら森の方が騒がしい」
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