3-4 ドロシー、子供たちに魔法を披露する
ドロシーがピメの村に着いて、早二日。
まだ朝も早いというのに、孤児院【菫園】の庭先には子供たちのはしゃぐ声で持ちきりだった。
彼らの期待たっぷりの視線が注がれる先に立つのは、ドロシーである。
何となく【菫園】や教会の敷地内に広がる菫畑の様子を見てみようと、外に出た矢先のことだった。
マザー・バイオレットの手によってすっかり綺麗になった魔法装備を身に纏い、肩には使い魔、手には杖の装備は子供たちの興味をそそるに十分なようである。
「お姉ちゃん! 魔法見せて! 魔法!」
「まほー見せて! 見せて!」
あれから二晩明けた朝、ドロシーは孤児院の子供たちの注目の的だった。
法力による神聖な結界にいより、教会の側に魔法使いはあまり寄りつかない。もろに使い魔にダメージが行く上に、その法力の強さによっては魔力を有する魔法使い本人にもダメージが行くからだ。
だからだろう、子供たちは何かに付けてドロシーに魔法をせがむのだった。
「えっと……」
またか、と思いながらも、子供たちの希望を無碍にすることはできない。
ドロシーが頭の中で、今の自分に出来るだけの魔法を必死に考え、そして呪文を口にする。
「えい!」
ドロシーは杖を掲げた。
すると僅かな光が精霊樹の杖より生まれ、間もなく。
ぽぽぽぽぽ。
虹色の泡が宙に現れた。
《泡》の魔法は、文字通り泡を生むだけの魔法だ。
攻撃魔法を不得手とするドロシーにも使える、日用魔法である。
「おぉ……! 凄い、シャボン玉!」
「すごーい! すごーい!」
「ねー、もっと凄い魔法見せて!」
「お姉ちゃん、エミリーお姉ちゃんとセドリックお兄ちゃんを助けた凄い魔女なんでしょ?」
「もっと見せて!」
子供たちの要求は止まることがない。
一つ見せれば、またもう一つ、と彼らはドロシーの事情などお構いなしにおねだりを続けてくる。
「うーん、お姉ちゃん、これ以上はちょっと……」
「じゃあ、肩の小鳥さん触らせて! ね! お姉ちゃんの使い魔なんでしょー?」
「あー、エトアルさんはそういうの苦手だから、ごめんね」
そもそも、ドロシーも恐れ多くて夜鷹姿のエトアルを触ったことがない。
樹皮色の羽毛はふわふわで、きっと撫でたら最高の触り心地なのだろうと予想は出来たが。
ばさばさ。
ドロシーが断りを入れる横で、エトアルが大きく翼を広げると飛び立った。
「あ、行っちゃった」
「ちぇ、残念」
齢一桁代と思しき子供たちの声は、法力による微弱な結界よりも魔王の体に堪えるようである。
(エトアルさんって猫みたいだなぁ。変身した姿は鳥だけど)
エトアルはいつものように夜鷹の姿を取って、近場の木の枝に留まっては、ごく普通の鳥であるかのように毛繕いをしている。
ドロシーは一昨日の夜のことを思い出していた。
エトアルが聖女ヒトア像を見上げながら、神話の知られざる一部を語った夜。
あの夜以降、彼が自分をさらけ出すこともなかったし、ドロシーも深く訊ねることはしなかった。
ただ、エミリーの願いである菫司教の元を訪れることに関しては、一晩明けた日中に訊ねた。彼の回答はこうだ。
――我は使い魔。主の命令に従うまで――
なので、結局、ドロシーはエミリーの願いに応える形となった。
今は、聖者たちが次の旅の支度を終えるのを待っている、という段階だ。
この村に到着した際に、セドリックが(その襲撃者の名前を野盗とすり替えて)語っていたが、彼らの荷物の大部分はオリエッタやその仲間に奪われてしまったらしい。
食料や路銀、コンパス他もろもろなどだ。
ピメの村はとても小さく【菫園】と教会以外に目立った施設もなければ、装備を調えられるような店もない。
ドロシーが欲しいものと言えば、リキノトに着くまでの間分の携帯食料ぐらいだろうか。
その携帯食料も、どうやら村や【菫園】が準備してくれるという。
まさにいたせりつくせり。
「おねーちゃん、小鳥さんは諦めるから、もう一回魔法見せて!」
「うーん、わたしの魔法やエトアルさんより、エミリーやセドリックの聖獣を見に行きたいと思わない?」
「見たいけど、でも、触らせてくれないもん」
男の子がそう言えば、隣で女の子が頬を膨らませる。
「危ないからって」
「だからドロシーお姉ちゃんのところ来たの」
「もっと色々見せて! 強くて格好いい魔法!」
見せて、見せて、見せての大合唱。
こうも詰められてはドロシーはどうしようにもない。
この二日の衣食住を助けてくれた【菫園】の子供たちでもある。
「あはは、期待に応えられるか分からないけど……わかった。じゃあ、あと一回だけね」
子供たちの熱意に根負けし、ついにドロシーは杖を構えた。
次はどんな魔法で子供たちを驚かせてやろうかと、そんな魔法がドロシーに使えるのかと考えながら。
(何がいいかな。流石にまた《泡》じゃあ飽きるよね)
何が良いだろう。《花火》とかどうだろう。派手で楽しいかもしれない。
(あ、でも、今朝だしなぁ)
《花火》は夜に映える魔法。こんな朝一から使って楽しい魔法でもない。
それに彼らは魔女ドロシーの格好いい魔法を求めている。
(……格好いい魔法ね)
《火球》とか《落雷》とか。
派手で攻撃的な魔法は彼らの目にはきっと格好良く映るだろうが。
今の潜在魔力で使える魔法だろうか。
そもそも、ドロシーは落ちこぼれ。
《火球》すら満足に使えなかった魔女候補生だ。
(エトアルさんは、わたしの魔力は並大抵のものじゃないって言ってたけど)
魔王と魔法学校。どちらの言い分が正しいのか。
ドロシーとより深く関わるエトアルの方が、より主の魔力について詳しいであろう事は想像に難くない。
エトアルを召喚するより前から、ドロシーは落ちこぼれの烙印を捺された魔女候補生だった。
そんなドロシーに、そんな魔力が秘められているとは到底思えない。
(でも、今のわたしだったら使えたりするのかな……。ユニコーンの時のこともあるし……)
杖を握りながら、少し思考に耽っていたその時だった。
わあ、と上がる子供たちの歓声がドロシーの意識を現実に引き戻す。
「へ? みんなどうしたの?」
「凄いっ! お姉ちゃん、凄いよ!」
ドロシーを取り囲む幼い少年少女のうちの一人が、ドロシーの杖の先を指さした。
囂々と揺らめく空気の気配。頬が何だか少し熱いような――
「わ、わ、わっ! 《火球》?! なんで、詠唱もなしにっ……!」
これは本当にドロシーが生み出した《火球》なのだろうか。
囂々と燃えさかる炎の球は、バーンリー教授が手本に見せてくれたものと比べると二回り以上も大きい。
ドロシーの意識が向いたせいだろうか、安定した状態で燃えさかっていた火の球が、急にその輪郭をぶれさせ始めた。
「あ、危な、危ないっ……!」
《火球》は初歩的な魔法とはいっても、攻撃魔法の一つであることは違いない。
弾ければ火の粉が舞い散り、最悪側の菫畑は火の海だ。子供たちも火傷しかねない。
ドロシーは驚きで乱れ始めた精神を落ち着かせようと深く呼吸し、無意識のうちに生み出してしまった《火球》を消すことに意識を向けた。
じじ、と火の球は小さく鳴くと、ゆっくりとその姿を消していく。
(よ、良かった! ちゃんと消えてくれたっ……)
無事、魔法を消し去ることが出来たことにほっと一息吐くと、ドロシーは周囲に集まっていた子供たちを見渡した。
「みんな、大丈夫? け、怪我とかっ……」
「大丈夫!」
「すげー! 炎がぼうって! 魔法ってすげー!」
「あはは、怪我がないなら良かったけど」
(なんで無意識に魔法が出たのか……)
ドロシーは内心首を捻っていた。
無詠唱魔法なんて、相当鍛錬を積んだ上位の魔法使いでなければ実現不可能な技術。
バーンリー教授ですら詠唱が必要だというのに。
ドロシーが頭の疑問符に支配されつつあったその時、けたたましい足音と共に姿を見せるのは、菫の冠を被った聖人セドリックとその聖獣タイタンであった。
「わあ、タイタン!」
子供たちがはしゃぎだすが、当の聖人さまの表情は優れない。
「ドロシー、大丈夫か? 何があった?」
「セドリック」
子供たちの悲鳴じみた甲高い声と、魔力の気配で何かを感じたのだろう。
きりっとした黒い眉をいぶかしげに顰めたセドリックは、警戒した様子で周囲を見渡している。
「教会で祈りを捧げていた最中、何やら声が聞こえたものだからな。……少し焦げ臭いが、何があった?」
「あー、魔法をせがまれて、ちょっと。声は子供たちがはしゃいでた声で、……焦げ臭いのは私が使った《火球》のせいかな」
「……そうか、それなら良いんだが」
菫の花冠を被る聖人は、それでも不安そうに辺りを睨み付けている。
彼が何を警戒しているかは、ドロシーにもよく分かった。
セドリックはオリエッタが怖いのだ。
つい先日、腹を刺された彼は、天国に召される直前だったのだ。警戒心を剥き出しにするのは極普通のことだろう。
セドリックが落とす背の高い影の側まで近寄ると、ドロシーは声を潜めて言った。
「オリエッタさんのことだったら……エトアルさんもいるし、結界もあるから、そう簡単には襲えないと思うよ。大丈夫」
黒曜石の瞳が彼の身に纏う法衣へと落とされる。
法衣に着いていた切創は、マザー・バイオレットの手によって綺麗に修復されていた。
その繕った跡にそっと指を這わせてから、セドリックは一つこぼす。
「……そうだと良いんだがな」
それから、一つ重い息を吐いてから、彼は子供たちへと視線を戻し「さて」と、先ほどまで見せて居た不安げな仕草を隠して、セドリックは実に明るい語調で言った。
「弟妹たちよ、ドロシーは忙しいんだ。もう二日もしないうちに村を発つ予定だ。準備もあるし、順路についても相談がある。今日はもう彼女を解放してやってはくれないか」
「えー!」
「もう行っちゃうの? やだやだ、セドリック兄ちゃん、ドロシー姉ちゃん、まだもう少し居てよ」
いやだいやだの大合唱に、セドリックは濃い眉を下げて言った。
「リキノトの【菫大教会】が俺たちの旅の終着点だ。司教さまも俺たちをお待ちだ。随分と長い時間お待たせしている。急がないといけない」
「やだー」
「仕方ないんだ。分かってくれ」
子供たちはぶーぶーと文句を垂れていたが、これ以上だだをこねても無意味だと悟ったようだ。
一人が側を離れると、また一人、また一人と【菫園】へと戻っていく。
残されたのは、やっと解放されたと脱力する魔女と、救世主たる聖人さまである。
「セドリック、助かったよ」
「子供たちは好奇心旺盛だ。ドロシー、ありがとう。子供たちの相手をしてくれて」
「それでだな、昼食を終えたら順路について話がある。後で教会の講堂に来て欲しい。エミリーも来るはずだ」
「うん、分かった」
「では、俺は教会に戻る。祈りが途中になっているのでな」
セドリックが踵を返すと――ひゅ、と菫畑の方から何かが飛んできた。
「主」
木の枝から飛び降りた夜鷹が、その鋭い爪で飛んできた何かを蹴り落とす。
ころんと地面に転がるのは、小さな石のつぶてだった。
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