2-7 ドロシー、聖獣を発見する



 ――おおおおおんんんっ!


 ハンドベルを滅茶苦茶に鳴らしているような、そんな鳴き声が周囲に響き渡った。


 先行する影を追い続けて、距離を詰めるごとに、その神聖な声はドロシーの心臓に重くのしかかった。


 この鳴き声一つにも、聖なる法力が多分に含まれているのだろう。


 何だかとても息苦しく感じた。


 その重い空気を掻き分けながら、ドロシーは必死に先行する影を追い続けた。


 そうして、たどり着いた先には、聖獣ユニコーンの姿があった。


 見慣れた馬のシルエットに、額から伸びるのは鋭い一本の角。


 しかし、ただの一角獣ではないのは、その見た目から明らかだ。


 ユニコーンの全身は、さながら陶器人形のような光沢を放っていた。もしかしたら、本当に陶器で出来ているのかもしれない。


 菫色のたてがみは固く、ユニコーンが暴れても決して揺れることはない。


 つやつやとした光り輝く人工的な肌は白く、所々、美しい金と菫色で描かれた花々の模様が散っている。


 お土産屋に並んでいる馬の陶器人形。それを大きく巨大化させ、動かしている。


 そんな印象を受けた。


「ユニコーン、私よ、エミリーよ! お願い、私の言うことを聞いて!」


 滅茶苦茶な音階のベルが、興奮した様子のユニコーンから聞こえて来る。


 前足を振り上げ、土を巻き上げ、何かを振り落とそうとする暴れ馬のごとき動きで跳ね回っている。


 あれでは危険だ。


 聖獣タイタンの拳がドロシーをラズベリーパイに変えるだけの力を秘めていたように、ユニコーンの足はエミリーの豊かな胸を陥没させるだけの力を秘めているだろう。


 両手を広げてユニコーンに近づこうとするエミリーに駆け寄ると、ドロシーは彼女の体に腕を回した。そうして力任せに引き寄せる。


「ドロシー……!」


「エミリー、これ以上近づくと蹴られちゃうよ!」


「でも、ここで逃してしまったら……それに、とても苦しんでるように見えるの。何とかしてあげないと……」


 確かに、聖獣ユニコーンは苦しんでいるように思える。


 滅茶苦茶なハンドベルの音階が、何よりあの神聖体の苦しみを音でドロシーたちに伝えている。


「何か原因があるんだと思う! その原因を見極めよ、ね? エミリーが怪我したら、わたし、悲しいよ」


「……、うん」


 ――おおおおおおおおうううんんんんっ!


 跳ね馬と化したユニコーンの太い後ろ足が、樹木の一本を蹴り上げる。


 間もなくめきめきと音を立てて、太い木が倒れていく。


(アレに蹴り上げられてたら、セドリックの祈りも通用しなかったんじゃ)


 一度の蹴りで木をなぎ倒したその力に、ドロシーはぞっとした。


 聖者の守護者である聖獣、その身に秘められた暴力性の脅威を視覚的に捉えて、エミリーも顔を青ざめさせていた。


 ドロシーがあと少し、エミリーを抑えるのに遅れていたら、あの蹴りをまともに受けていたのはエミリー自身だ。


「……、タイタンでユニコーンを抑えてみるか? 上手く抑えられるかは分からないが……ヒトア様がくださったチャンスだ、ここで無碍にするのも……」


 セドリックの背後で、ガラス細工の巨人が拳を叩く。


 タイタンにはユニコーンを捕縛するだけの自信があるようだ。


(どうしたらいい?)


 ドロシーは眼鏡のブリッジを押し上げながら、じっと苦しげに悶えるユニコーンの姿を見た。


 ただ抑えるだけでは、意味がない。どうして暴れているのか、その原因を突き止めない限りは、お互い消耗するだけだ。


 聖者の法力を糧に動くという神聖体。聖獣。

 その菫色と金で彩られた白の体を見つめ、ふと、気付く。


 ドロシーはずっと、ずっと魔力の気配を感じていた。コンパスを狂わせる魔力の気配だ。


 だが、それに混じって、いや、それを押しのけてドロシーの肌に突き刺さるのはより強い力の存在。


 その魔力が、あの聖獣から感じられるのだ。


 法力を原動力に動き魔力を拒むはずの聖獣から、魔力を感じる。そのようなことは本来あってはならない。


「……主よ、あのユニコーンの首元をよく見てみろ」


「うん、分かってます。あれは、魔石」


「あそこから邪悪なものを感じる。人の子の仄暗い悪意をな」


 エトアルの言葉にドロシーは強く頷いた。


 暴れ回る馬の首に取り付けられているのは、その陶器の体を彩る首輪のようなもの。その中央に輝くのは、黒い石。


 白と金、そして菫色。ユニコーンを構成する色の中で、不自然なほどに淀んだ黒色。


「エミリー、セドリック、あの魔石に覚えはある?」


「魔石? 神皇国を出るときに、私の法力を込めた護符を取り付けた覚えはあるけど……でも、あんな色してなかったわ」


 護符、とは魔石に法力を込めた御守りのことである。


 魔石はその名だけを見ると、魔力のみを取り込むように思えるが、法力を蓄えることも可能としている。


 そのため、ヒトア教徒は御守り、あるいは護符として、法力を込めた魔石を身につけていることが多い。


 エミリーはその護符を、大切なユニコーンに取り付けたのだろうが。


 しかし、今はその護符が何やら悪さをしているようである。


「あれがユニコーンに悪さを働いているのかも」


「エミリーの護符がか? ありえない。姉ちゃんの法力が、よりにもよって聖獣に……」


「……護符じゃないのかも」


「どういうことだ?」


 困惑した様子のセドリックにドロシーは言った。


「セドリック、貴方のタイタンでユニコーンを抑えて、魔石を取り外せないかやってみよ」


 それでも暴れるユニコーンを完全に取り押さえられるかは不明だが、やってみる価値はある。


 そんな折り、ずずん、と重い振動がドロシーたちの足元を駆け抜けて行く。


 ユニコーンが倒れたのだ。


 力なく倒れ、それでも無理に立ち上がろうとする陶器の馬は、苦しげにハンドベルの声を上げている。


「――大変っ! 私の側を離れて、あんなに暴れ続けて……法力がなくなり始めているんだわ。これじゃあ、ユニコーンは自分の体を維持できなくなって、壊れてしまう……」


「今なら取り押さえられるかもしれない、タイタン!」


 セドリックの指示を受け、鈴を鳴らすような声を発し、ガラス細工の巨人はゆっくりとユニコーンへと歩みを進める。


 同胞を怯えさせないようにと、慎重に。


「セドリック、ユニコーンを取り押さえたら、わたしがあの石を外してみる」


「ドロシーが、か?」


「もし、わたしの予想通りなら、あの魔石は神聖な護符じゃなくて……魔力を込めたものだと思う。それもとびっきり強くて、悪意が込められたもの」


 法力は魔力を拒む神聖さを持つが、同時に、魔力に蝕まれる危うさも持っている。


 先の魔力大戦においては、堅牢神聖な法力による結界であっても、強大な魔獣や魔法使いの攻撃魔法を弾き返すことが出来ず、戦火に落ちた都市があったほどだ。


 あの魔石は、エミリーの法力を遙かに凌ぐ絶大な力を持っているのだ。


 聖獣を苦しめるだけの魔力が込められた魔石だ、あれを外すことが出来るのは、ドロシーかエトアル、それからオリエッタだけだろう。


「にゃは、ちょいと待ちなって。外すのはうちにお任せあれ~。うちの仕事のうちだしね。あ、ギャグじゃないよ、今のは」


「オリエッタ。今までどこに……」


 ひょこりと濃霧より姿を見せるオリエッタ。

 セドリックが怪訝そうに黒い眉を寄せる。


 そういえば、いつの間にかオリエッタの姿が消えていた。


 彼女の猫耳三角帽子を頼りに濃霧の中を駆けていたが、気付けば見失い、ドロシーは先を走るセドリックの影を追っていた。


 途中で追い越してしまったのかと思っていたが――


 そこでドロシーは気付いた。

 この魔石を取り付けられるただ一人の存在がいるではないか。


「……、セドリック、オリエッタさんから離れてっ!」


 ドロシーが声を張ったが、もう遅かった。


「あ、え?」


 そんな間抜けな声が、セドリックの口元よりこぼれ落ちた。


 彼の黒曜石の瞳が見下ろすのは、纏う菫色の法衣である。その銀糸で描かれる菫を断ち切って、突き刺さるのは短剣だ。


 そして、短剣を握るのは飄々とした笑みを貼り付けるオリエッタ。


 信じられないと言った様子で目を見開くセドリック。赤い血を口の端から滴らせ、膝を突いた。


 すらりとした聖人の影が、ゆっくりと大地に向かって傾いていく。


 彼の肉体が湿った地面の上に倒れたところで、ぴたりとタイタンの動きが止まった。


「やぁっとタイタン使いをとっちめられたよん。大変だったにゃあ。コイツ全然隙みせてくれないしさ。やっとだよ、ホント、大変だった」


 ふぅ、と一仕事を終えたような仕草で、自身の額を拭う猫耳魔法使い。


 エミリーの悲鳴が上がった。


「嘘、セドリック!? オリエッタ、どうして……!」


「どうしてぇ? どうしてって、そんなの一つだけでしょ」


 にゃは、とオリエッタは軽薄に笑った。


「――聖者を殺す。それがうちの本当の仕事だからね」

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