2-3 ドロシー、聖女と仲良くなる



「うぅんっ……あ……ここは?」


「あ、目が覚めましたか?」


 琥珀色の瞳がドロシーを捉える。


 大きくて愛嬌のある二つの目が、怯えた様子で震えていた。


「あ、貴方は? 誰なのっ……!?」


 ドロシーが作った落ち葉のベッドの上、無理に体を起こした少女は、う、と痛みに顔を歪ませた。


「無理に動いちゃ駄目です。貴方、あの高い崖から落ちて、怪我を。腕を折って、頭にも傷があります。今、痛みを抑える薬を飲んだばかりですし、動くのは危険ですよ」


「く、薬? ……、そう、私、生きていたのね。貴方が治療を?」


 流石は聖女といったところだろうか、混乱していたのは最初だけで、彼女はすぐに冷静さを取り戻した。


 自身の左腕や頭の具合を見て、ドロシーが敵ではないと判断してくれたようだ。


「わたしはドロシー・ローズ。【星鳴きの砂浜】を目指して旅をしています。偶然、貴方が助けを求める声を聞いて……」


「【星鳴きの砂浜】……その装備を見るに、貴方、魔法使いね? ありがとう、助けてくれて。魔法が利かなくて困ったでしょう? わざわざ、薬まで調合してくれるなんて……感謝してもしきれないわ」


 黒目がちな瞳を大きく歪ませて、彼女は優しく微笑んだ。


 それから朝日を大きく反射させる琥珀色の目で、ドロシーの肩に留まった夜鷹を見た。


 いつの間にかエトアルは夜鷹形態に戻っていたようだ。


 不思議なことに、彼の樹皮色の翼には包帯が巻かれている。


 サイズも違うのに、どうして安定して翼を抑えているのか不明だが――もしかしたら、彼の衣服と同じように、それごと変身しているのかもしれない。


「そちらの小鳥さんが貴方の使い魔? だとしたら、元魔女か……現役の魔女?」


「どちらかと言うと、元魔女に当てはまるかもしれません」


「ふふ。いずれにせよ、私を助けてくれた貴方は立派な魔女に違いないわ。どこにも属さないただの魔法使いであろうとね。見ず知らずの私にこんな手当まで施してくれて……命の恩人をほんの一瞬でも恐れてしまった私が恥ずかしいわね」


 それから彼女は「聖女ヒトア様に感謝の祈りを捧げなくてはいけないわ」と、残された右腕で祈りのポーズを取った。


 その深い菫色の豊かな胸元に手をやって、祈りの言葉を捧げる。


 神秘的で可愛らしい少女だった。


 年の頃はドロシーとそう変わらないだろうか。唯一違う点は、ローブを押し上げる豊かな胸の存在の有無だけだ。


 菫の花冠を持っていただけあって、その信仰心は海より深いもののようだ。


 それから彼女は祈りを捧げると、思い出したように「ごめんなさい、名乗るのが遅れちゃったわ」と微笑んだ。


「私はエミリー・バイオレット。リキノトにある【菫教会】のシスターにして、教皇様に認められたばかりの新米聖女よ」


「バイオレット……」


 バイオレット、菫。そして【菫教会】。


 この三つの単語を聞いて、エミリーがどのような出生の人間かドロシーは瞬時に理解した。


「そうよ、私も貴方と同じ【花の子供たち】……いわゆる孤児ね」


 孤児院出身のヒトア教徒は数多くいた。


 そもそも、孤児院がヒトア教が運営する施設であったし、当たり前のことと言えば当たり前なのであるが。


 自己紹介を終えると、エミリーはぐるりと何かを探すように周囲を見渡した。


 日の光で照らされたといっても、ヒトト山に群生する樹木が落とす影は濃い。その影に誰かの人影を求めるように、エミリーは琥珀の視線を巡らせる。


「どうかしましたか?」


「一つお訊ねしたいのだけど」


「何ですか?」


「ブラザー・セドリックは側にいなかった? セドリック・バイオレット。黒髪にきりっとした眉で、とても背の高い男性なのだけど」


 ドロシーは首を振った。


「わたしが見かけたのは貴方だけです。悲鳴も、貴方のものしか聞こえませんでした」


「そう……無事だと良いのだけど。ううん、彼の側には傭兵の魔法使いがいるから、きっと無事よ。セドリックの法力は鉄壁だもの」


 とは言いつつも、エミリーは酷く不安げに唇を噛んでいる。


「ちょっと聞きたいんですけど、貴方はどうしてこのヒトト山に? 何故、崖から落ちたんでしょう? 魔獣に襲われたんですか?」


「どこから話しましょうか。……ドロシー、私たちヒトア教の信徒――聖者候補の巡礼の旅は知ってるわよね?」


「はい」


 魔女、魔人が正式な魔法兵のことを指すのとは違い、聖者――聖女と聖人は、ただ教会に属するだけで得られる称号ではない。


 教会で洗礼を受け、ヒトア教の正式な信徒となり、神に奉仕を続け、その功績と法力が所属する教区を取り仕切る司教に認められてやっと、彼ら兄姉は巡礼の旅に出ることが許される。


 巡礼の旅の最終目標は、ヒトア教総本山である神皇国。もちろん簡単な旅ではない。その旅の中で、各地の教会を巡り、各教区の司教らより与えられる試練を乗り越え、認められなければならないのだ。


 数ある苦難を乗り越え、最後にヒトア教の最高聖職者たる教皇に認められ、やっと彼らは聖者となるのだ。


「私とセドリックは【菫教会】きっての法力の持ち主で、昨年の巡礼の旅に選ばれたの。二人で聖皇国のヒトア様の大神殿にまで赴いて、教皇様の厳しい試練を乗り越えたの。嬉しいことに、聖者と認められて、教皇や枢機卿から聖獣を賜って」


「エミリーさんだけじゃなくて、もう一人も聖者に認定されたんですか?!」


「ええ、嬉しいことに」


 ドロシーは驚いた。


 聖者とはそう簡単に誕生するものではない。


 法力を持つ聖職者は数多く存在したし、彼らが聖者になることを夢見て巡礼の旅に出る話は、孤児院にいると自然と耳にしたものだ。


 しかし、巡礼の旅に出た彼らが皆必ず聖者と認定されるわけではない。


 マザー・ローズですら、聖者に認定されなかったのだ。


 まあ、孤児を差別して折檻していたような女である、仮に法力が認められることがあっても、その醜い心が認められることはないだろうが。


「【菫教会】は鼻が高いでしょうね。自分の花の名を持っている子供たちが、聖者に認定されるなんて」


「そう、きっと司教様もお喜びになると思って……私とセドリックは急ぎ足で故郷のリキノトに目指していたの。帰りの旅も順調だったわ。でも、ヒトト山を進んでいたところで……突然、私の聖獣――ユニコーンが暴走を。セドリックともはぐれ、ユニコーンに追われて、最後は崖に……」


「聖獣が暴走? そんなことがあるんですか?」


 ドロシーが驚愕に目を見開いたところで、じっと二人の会話に耳を傾けていたエトアルが訊ねてくる。


「主よ、聖獣とはなんだ?」


「……エトアルさんの時代には無かったのかもしれませんが、聖獣とはヒトア教が生み出した神聖物のことです。魔獣とは異なり、聖者の法力で動く生き物を模した……模型だと」


「模型、か。その口ぶりだと生きてはおらぬのか」


「はい。一見すると生きているように見えるそうですが」


 聖獣。


 その実物をドロシーは見たことがない。

 今語ったことは、昔読んだヒトア教の本の受け売りだ。


 その本には、聖獣というものの仕組みについて書かれていた。


 魔石と法力によって作り出されし模倣の獣。聖者の神聖なる法力で満たされた模造の獣は、聖者を護る最後の砦にして矛であると。


 だから驚いたのだ。


 使い魔が術者に刃向かうことは極稀にあると聞く。魔獣とはいえ、獣とはいえ、心は存在する。その心を通わせられず、牙を剥かれ、主従契約が反故にされることがあるとか。


 実際、ドロシーもあの元魔人が黒妖犬に裏切られた瞬間を目にしている。


 しかし聖獣は心がない。法力で満たされた人工的な神聖物は、どこまでも主に従順であると。


「なるほど、そのような物を開発したのか。我が闇に封じられている間に、随分と人の子らの技術は発展したものよ」


「……ドロシー、誰とお喋りをしているの?」


 きょとんと目を丸くさせているエミリー。


(あ、そうか、今のエトアルさんの声はエミリーには聞こえないんだ)


 ドロシーは肩に留まる夜鷹に視線を落としながら、「彼と少し会話を」と苦笑する。


「まあ、ドロシーは使い魔とお話が出来るほど心を通わせているのね! ふふ、心強いわ。そこまで使い魔と強く結ばれているということは、すなわち、手練れの魔女だということだものね」


「あ、いえ、そこまでは……あはは」


 期待に目を輝かせるエミリーに、ドロシーは曖昧に笑った。


 エトアルは凄い。野盗を五人も一気に倒せてしまうし、黒妖犬を一〇匹相手して、すぐに追い返してしまったくらいだ。彼がいれば心強いだろうが。


(でも、それはわたしの実力じゃないような……)


「と、とにかく、話は分かりました。まずはセドリックさんを探しましょう。ユニコーンが暴走したというのも気になりますし、きっと彼もエミリーさんを探しているでしょうから……」


 セドリックも気が気でないだろう。

 長い巡礼の旅を共に過ごした兄姉だ、血眼になって探しているに違いない。


「手当だけじゃなくて、探すのを手伝ってくれるの?」


「わたしも【星鳴きの砂浜】を目指しているんです。リキノトはその通り道ですし……それに、怪我をした聖女を放って行くのは、どうかと思って」


「……ありがとう、ドロシー」


 そこで、ぐう、とドロシーの腹の虫が鳴った。


 夜が明けるまで、ドロシーはずっとエミリーにかかりきりだった。徹夜をして眠気もあるが、疲労に満ちた体は何よりご飯を求めているようだ。


「えと、今は腹ごしらえをして、それから探しに行きましょうか、エミリーさん」


 紅潮してくる顔を隠すように三角帽子を深く被り直すと、ドロシーは立ち上がる。


「エミリー」


「はい?」


「エミリーで良いわ。見た感じ、年も同じくらいだと思うもの。それに、命の恩人にそんなに距離を取られては悲しいわ」


 じ、と透き通った琥珀色の目で見つめられては困ってしまう。


 強い視線の圧力に、ドロシーは根負けした。


「わ、分かった、エミリー」


「うん、よろしくね、ドロシー。朝食の準備、動ける範囲でお手伝いさせて貰うわ。幸い利き腕も無事だし」


「あ! だめだめ、無理に動くと」


 ドロシーが作った痛み止めが効いてきたのだろう、エミリーは自分の左腕がどれほど酷い折れ方をしているかも忘れて、立ち上がろうとした。


 そして、「きゃあっ」と可愛らしい悲鳴を上げて、蹲る。


「っ~~~~っ! い、痛いわね……」


「薬で痛みを麻痺させているだけなんだから、無理しちゃ駄目だよ。朝食はわたしに任せて」


「わ、分かったわ。無事に支度が終えられるよう、ヒトア様に祈りを捧げてるわ……」


 力なくそう言って、エミリーはそっと胸に右腕を当てて祈り始める。


「……早くセドリックさんを探さないと」


 朝食の支度に入りながら、ドロシーは一つ呟いた。

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