間話 天才魔女候補生リーナ・アクロヴァはドロシーがお好き



 リーナ・アクロヴァは、その日、王立第三三魔法学校の空気が変わったのを察知した。


 魔法演習を行うため、緑豊富な田舎の片隅に建てられた魔法学校。


 その広大な敷地内の片隅では、昇級が確定した魔女候補生たちによる、使い魔との結びつきを深める瞑想の授業が行われていた。


 遠くに聞こえるのは、しばらく前に事故で吹き飛んでしまった召喚の間の修繕作業の音だ。


 皆、一心に使い魔と心を通わせようとしている最中、リーナは相棒であるしろちゃんと共に、瞑想という名のお昼寝タイムを貪っていたところ。


「リーナ、リーナ・アクロヴァはここにいるか」


 そんな険しい声によって目覚めることになる。第三三魔法学校一の鬼教授バーンリーのものだった。


 彼女の言い草に、しろちゃんのにもたれかかっていたリーナは思わず吹き出しそうになった。


 白龍の側に、リーナがいないはずがない。


「こちらに。バーンリー教授、どうされたのです?」


「いや、お前にこれを」


「新聞ですか? ミデロ・メールの地方紙のようですが……」


 ミデロ・メールは王国東部一の大都市、リキノトに本社を置く新聞会社だ。


 その支部が発行した地方新聞をバーンリー教授はリーナに渡してきたのだ。


 バーンリー教授は、いわゆる来年の昇級も危うい〝落ちこぼれ〟魔女担当の教授で、希代の魔女候補生と称されるリーナとはあまり関わり合いのない人物だった。


 その彼女が、わざわざリーナを探し出して、地方新聞を渡してくる。


 新聞を受け取りながら、何かあっただろうか、とリーナは自身をこの軍の牢獄に追いやった義母の顔を想起していた。


 あるいは、公爵の爵位を持つ父がなにやら新聞を騒がせるような問題でも起こしてしまったか。


「ドロシーと仲の良かったお前には伝えておこうと思ってな」


「ドロシー? ドロシーが新聞に?」


「ああ、見てみれば分かるだろう」


 一週間前にこの学び舎を追い出された赤毛の親友の顔が、リーナの脳裏を過っていく。


 地方新聞にドロシーの名が? 悪い知らせでないことは、バーンリー教授の表情から明らかだ。


 だが、良い知らせとして、ドロシーの名が載るとも思えなかった。


 ドロシーはほとんど無謀とも形容できる思いつきで旅に出た。


 魔法を使う魔力も枯渇し、使い魔もいない、装備だってバーンリー教授のお下がりだ。


 ぱっと見だけは魔女に見えるだけの、無力な女の子。


 そんな彼女が何をどうしたら新聞に載ることになるのだろう。


「六面の記事だ。小さいが、写真まで載っている。私はこれから学長へ強い抗議を行うのでな、新聞はお前にそのままくれてやる」


 そう言い残して、バーンリー教授はリーナの側を離れていった。


 彼女の横顔はどこか誇らしげだ。


 リーナは怪訝に思いながらも、新聞に視線を落とし――「大変っ!」思わず叫んでいた。


 瞑想に耽っていた学友たちの目が、一斉にリーナに向けられる。


 だが、リーナはそんな彼女たちの好奇の視線などどうでも良かった。


 リーナは夢中で新聞記事を読んでいた。


 ――彗星のごとく現れし赤毛の魔女、ドロシー・ローズ。地元市民を悩ませる野盗団を華麗に撃退!――


 そんな見出しと共に一枚の写真が添えられた記事。


 記事を要約するとこうである。


 ここ最近、この田舎スミルタル周辺を荒らしていた元魔人率いる野盗団を、謎の魔女が一網打尽。五人ひっくるめて役所に届け出る。


 略奪された物品も無事回収。町の人々はこれで夜道を安心して歩けると感謝の言葉を述べている、と。


「信じられない、ドロシーが……どうやって?」


 ぼそりと呟いて、リーナは白黒印刷されたドロシーの写真へと目をやった。


 三角帽子の下から伸びる豊かな三つ編みおさげ。


 黒いローブの胸元にはリーナが贈ったペンダントが輝いている。


 杖を構えて、ぎこちなく微笑む眼鏡の彼女は、まさしくリーナが知る親友ドロシー・ローズである。


「……リーナ様。リーナ様とわたくしの結びつきを利用し、話しかけてきた者がいます。丁度、ドロシー嬢が昏睡状態に陥っていた夜のことです。彼はとても混乱しており、わたくしに、ドロシー嬢との不可解な結びつきについて説明をするよう訴えかけてきました」


 しろちゃんこと、白龍がリーナの心の中に話しかけてくる。


 より強い結びつきを持つ使い魔と主人は、こうして魔力を介して会話をすることが出来る。


 リーナとしろちゃんは、召喚を成功したその日から、こうして会話出来るだけの強い結びつきがあった。


「もしかしたら、その者がドロシー嬢と旅を共にしているかもしれません。あるいは、ドロシー嬢の魔力枯渇の原因が彼にあり、今は無事魔力が戻ったのかもしれません」


「ちょっと、しろちゃん、どうして黙っていたの? 私と貴方の仲でしょう?」


「彼はドロシー嬢のため黙っているように、と」


「あら、しろちゃんの主人は私よ? 私の命令より、そちらの方を優先するの?」


「……彼にはどうしても逆らえない――そんな気にさせられてしまったのです」


 人と人の間に序列があるように、魔獣と魔獣の間にも序列がある。


 リーナが教授や父、そして義母の声を聞かなくてはならないのと同じように、魔獣はより強い魔力を持つ魔獣の命令を拒否出来ないことがある。


 もちろん、リーナがやろうと思えば父に反抗することが出来るように、魔獣も上位の存在に刃向かうことは不可能ではないが。


「ドロシーが召喚した魔獣かしら。野盗を退治しちゃうくらいだものね、貴方の言うとおり、ドロシーの魔力は枯渇していなかったってことね」


 だからバーンリー教授は〝学長に強く抗議する〟と言ったのだろう。


 野盗団を率いていた人物は元魔人とあった。魔女、魔人となるための最低条件が、使い魔召喚だ。


 人生の伴侶とも呼べる相棒。


 その使い魔の存在こそが、ただ魔法を使えるだけの、野良魔法使いたちとの決定的な違い。


 この元魔人が、どのような魔獣を相棒にしていたかは不明だが、少なくともドロシーは魔人と彼の相棒を倒してしまったのだ。


 落ちこぼれと形容されていた魔女候補生が、である。


 ドロシーが召喚した使い魔が倒したのかもしれないが、しかし、その使い魔を操る技量こそ彼女が高位の魔女になれるかもしれない可能性そのものだ。


 国の損失と言っても過言ではないだろう。


 バーンリー教授に詰められて、学長は今頃顔を青くしているに違いない。


「それにしても」


(魔獣の中の魔獣とも称される龍を圧倒するだなんて)


「ドロシーが召喚したのは、いったいどんな魔獣なのかしら……」


 リーナは白黒印刷されたドロシーの写真をじっと見つめた。


 彼女の肩には見慣れない鳥が留まっている。小柄で丸っこい、短い嘴の鳥。


 夜鷹。


 ――きょ、きょ、きょ。


「そういえば、もう聞こえないわね」


「何が、でしょうか?」


「夜鷹の鳴き声よ」


 ドロシーが昏睡した日から聞こえ始めた夜鷹の囀りは、思えばもうどこからも聞こえなくなっていた。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 ドロシーのぎこちない笑みを、彼女の写真の周りを彩る記事と共に切り出して、リーナは寮の壁に貼り付けた。


「ドロシー」


 燃える太陽のような赤い髪は白黒印刷のせいで、その色までは分からない。


 だけれどもリーナには、彼女の赤い髪の色がはっきりと見て取れた。


 彼女の記事にもう一度目を通しながら、リーナはドロシーと初めて会った日のことを思い起こす。


 ――貴方の髪、凄く綺麗ね。お月様みたい――


 相部屋になった赤毛の女の子は、リーナの髪を見るなり満面の笑みでそう言った。


 大きな丸眼鏡の奥、春の萌黄色の双眸がきらきらと輝いていた。


 魔法学校に入学してからすぐに召喚魔法を会得し、さらに白龍を呼び出してしまったリーナ・アクロヴァ。


 学長や教授陣には賞賛されたものの、同級生たちには近寄りがたい人物として認識されてしまった。


 圧倒的な実力の差が、その温度差を作り出していたのだろう。


 リーナは初日から孤独になってしまった。


 そんな中、リーナと相部屋になった女の子は、全く臆した様子も見せず、先述した台詞を言ったのだ。


(私のこの髪のこと、綺麗だって言ってくれた。私の赤い瞳のこと、同じ赤色だって笑ってくれた)


 リーナはずっと自分の髪が嫌いだった。自分の赤い瞳が嫌いだった。


 母によく似たプラチナブロンドを、赤い瞳を、義母は毛嫌いしていた。


 ――あの雌犬に似て、何て下品な髪の色なんでしょう!――


 リーナの父は名の知れた貴族だ。


 ヒトア教にも多額の寄付を行うくらいには裕福な公爵様。


 貨幣が安定して流通するようになった今、商才のない貴族たちが軒並み没落していく中で、祖父と父は二代に渡り海運業で大成功を収めた。


 だが、彼は好色家だった。


 妻がいながら、諸外国の女性と関係を持ち、そうして生まれたのがリーナだ。


 父はリーナを引き取り娘として育てようとしたが、妻がそれを快く思うわけもなく。


 リーナはこの容姿を義母から罵られて育った。


 醜い女の子。雌犬の子。ふしだらな子。


 リーナが一四歳になると義母は魔法軍人養成学校である王立魔法学校への入学を勝手に決めた。


 彼女は無理矢理リーナをこの学校に閉じ込めようとしたのだ。


 父は反対したが、リーナとしては義母と顔も合わせたくなかったので、笑顔で快諾したものだ。


 あのペンダントは、その時父がリーナに贈ってくれたものだった。


 そうして追い出されるようにして魔法学校にやって来て、出会ったのがドロシー。


 リーナの髪をお月様みたいだと褒めてくれた、太陽みたいな子。


「ドロシー」


 一緒に国を護る魔女になることは出来なくても、ドロシーは立派な魔女として世界に繰り出したのだ。


 広くなってしまった寮の室内で、リーナは小さく溜息を吐く。


 ドロシーがいないと、寮が静かでつまらない。


 彼女は今、何をしているだろう。


 夜が好きな彼女のことだ、きっと今もどこかで夜空を見上げて想いを馳せているだろう。


 今日は満月だ。


 ドロシーは満月の夜が何より好きなのだといった。


 一緒に夜更かしをして、寮を抜け出して、屋上から夜空を見上げた日の思い出は、ドロシーの大切な宝物の一つだ。


「【星鳴きの砂浜】か……」


 誰かが書いたドロシーの小さな記事。

 そこの終わりにはこう書かれていた。


 ――彗星のごとき魔女は、旅を続けている。彼女の目標は【星鳴きの砂浜】である。小さな英雄が無事、目的を達成できるよう筆者は祈っている――


「ねえ、しろちゃん」


 リーナは左手の甲の召喚印にそっと話しかけた。


「夏期休暇の間、海に行ってみるのも良いと思わない?」



………………


ここまでお読みいただきありがとうございます!

これにて第1章終了です。

次回より、第2章が始まります。この先も楽しんでいただけると嬉しいです♪

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