1-7 ドロシー、記者に写真を撮られる



「ここに、赤毛の魔女がいるって聞いたんだけど」


 酔っ払いを魔王エトアルが追い払って一晩。

 一階食堂の隅っこでドロシーが固い黒パンとミルク、それから目玉焼きを朝食に取っていたところ、そんな軽薄そうな男の声が耳に入ってきた。


「ああ、兄ちゃん、アンタ何者よ」


「オレはフィン・ホフマンって者さ! ミデロ・メールって聞いた事ぐらいあるだろ?」


「ミデロ・メールってあの大手新聞社の!」


「そうそこの新米記者だよ」


 ウエイトレスが男の――フィン・ホフマンの肩書きに目を丸くする。


 眼鏡に付いた汚れをクロスで拭いてかけなおすと、ドロシーはじっと目をこらした。


(記者? ミデロ・メールの記者がどうしてわたしに?)


 彼の言う〝赤毛の魔女〟とはドロシーに他ならないだろう。


 何か悪い事でもしてしまったか、と不安が過る。


 記者が何かをウエイトレスに握らせれば、彼女は朗らかな笑みを浮かべる。


 それから「あの子だよ」とドロシーの方をそっと指し示した。


「おおっと、そこの綺麗な赤毛のお嬢ちゃん。君が噂の魔女ちゃんかい?」


 記者は軽薄に笑っては、断りもなくドロシーの対面に腰掛ける。


 金髪碧眼。目鼻立ちは整っているが、どこか表情はだらしない。


 ウエストポーチに帽子と、旅人というにはやや軽装。


 その手に持つ謎の機械は、記者に必要な道具なのだろうか。


 ドロシーがぽかんと呆けていると、フィンは並びのよい歯を見せて笑ってみせた。


「あのー、何か用です?」


「おお、これが使い魔?」


「え? ええ、そうですが……」


 ドロシーの質問に対して、フィンは食卓の上で豆をついばむ夜鷹について訊ねてくる。


 夜鷹は夜空色の目を面倒臭そうにフィンに向けていた。


「なるほど、使い魔持ちとは本当に魔法使いなんだな。元魔人の指名手配犯をがつんとやっちまったって言うにゃ、随分と小柄で可愛い子じゃないか。もっと手練れの魔女らしい、厳つい女だと思ってたよ」


「か、か、可愛くはないですっ。それに、あれはわたしがやったんじゃないですし、魔女でもないですっ」


 王国において、魔女は女性魔法兵のことを指す。候補生ですらないドロシーはただの魔法使いだ。


 そもそも魔力がほとんどエトアルに持って行かれているので、一般人と呼んでも差し支えないほどだった。


 だが、スラング的に女性魔法使いのことを魔女、と呼ぶことがあった。めっぽう強い女魔法使い、という意味で。


「そう謙遜すんなって。はい、こっち見てー」


 そう言って、フィンは謎の機械をドロシーに向けた。


 機械のボタンを人差し指で押し込めば、目映い閃光と共にぱしゃ、と何かが切られたような、絞られたような機械音がした。


「な、な、何ですか、それ!」


 困惑するドロシーが、赤い睫をしばたかせて抗議の声を上げるが、フィンはその機械から吐き出される一枚の紙に夢中のようだった。


 ひらひらと紙を振って、乾かすような動きをしばらく見せると、その紙をじっと見つめる。


 それから「ありゃ、こりゃ失敗だ」と溜息を吐いた。


「これじゃあかっこよくねえよな」


 フィンが紙をドロシーに見せる。


 そこにはドロシーが写し取られていた。ぽかんと口を呆けた白黒の少女。


 先ほど焚かれた光を反射したせいだろう、眼鏡が白く輝き、目元は全く映っていない。


 これは写真だ。


 田舎者のドロシーでも写真は知っている。ただ、写真とは暗箱と呼ばれる機械で撮るものだと聞いていた。


 おまけに写し取った絵を、紙や板に映すのにかなりの時間が必要だとも。


「魔女ちゃん、撮影機を見るのは初めてか? そうだよな、帝国の技術だから、あんまり王国人は好かねえ代物だろうが……」


 そう言ってフィンはどこか誇らしげに、くだんの撮影機について語り始めた。


「これは写真を撮るための魔導機さ。ただの機械とは違う、魔導機。その瞬間を切り取って紙に写し取る魔石じかけの機械だ。暗箱みたいに時間もかからねえ、その瞬間を切り取れるすぐれもんさ! ミデロ・メールにも数台しかない、最高級品だぜ!」


 可愛い猫を抱くようにして、フィンはその最高級品の魔導機を優しく撫でやった。


「それで、せっかく記事にするんだ、もうちょっといい感じの写真が欲しいよな。その杖持ってさ、その鳥も肩に乗せてさ、ばちっと決めたポーズが欲しいよな? せっかくの良いニュースなんだ。こんな小さくて可愛い女の子が、野盗を五人も伸して大活躍なんてな! 田舎を救ったヒロインだ! 良い記事になるし、お嬢ちゃんも国中に可愛い顔が広まって嬉しいだろ?」


「う、嬉しくは、ないです……すみません。それに、勝手に記事にされるのも困ります」


 ええ、とフィンは怪訝そうな声を上げた。信じられないというように大げさに首を振っている。


 にわかに夜鷹がドロシーの肩に止まって、そっと囁く。


「主、コイツを締めようか。痛めつければ離れるだろう」


「エトアルさん、ちょっと待ってくださいっ」


 確かに痛めつければ、ただの新聞記者に過ぎない彼は簡単に撃退することができるだろうが。


(エトアルさん、暴力的なんだから)


 魔王であるゆえんだろうか。彼は暴力的で短絡的な解決方法に行き着きがちだった。


 暴力で追い払うのは最終手段だ。


 それにフィンはドロシーに好意的な青年だ。丁重にお断りすればいずれ理解して去ってくれるだろう。


「魔女ちゃん、この小鳥ちゃんとなんて喋ってるんだ? いいよな、使い魔って。聞いた話によると、心を通じ合わせると魔獣と会話出来るんだってな」


 小鳥ちゃん、その言い方がエトアルの琴線に触れたようだ。


 ばさささささ、と大きく羽ばたくと、夜鷹の姿を取ったエトアルはその短い嘴でフィンの頭を突き始めた。


 よーちゃんという名前を即刻却下するくらいである。


 小鳥ちゃんという呼び方は先の魔王にとって大層腹立たしいものだったようだ。


「うおおおおっ、ちょっと、ちょっと、悪かったっ、痛いってっ!」


「もう、エトアルさん止めてくださいっ」


「撮影機は大事な機材なんだ、それだけは突かないで! 別の町にもいって、色々撮るオレの相棒なんだからっ」


 フィンの言葉にドロシーは良いことを閃いた。


 フィンは記者だ。それも最大手新聞会社の。


 であれば、彼の行動範囲は広いのではないか。それこそ、ドロシーの知らない海のある町にだって行ったことがあるかもしれない。


「エトアルさん、もう止めです。主人の命令ですよ」


 眼鏡の奥で睨みを利かせれば、エトアルももうフィンを襲うことはなかった。


「それで、あの、フィンさん。貴方、記者さんなんですよね? 地理は得意ですか?」


「おうよ、もちろん! 何しろ、オレは国中を駆け巡るミデロ・メールの記者なんだからな」


「……だったら、わたし、海を目指していて」


「海? こりゃまた漠然としてるね」


「綺麗な海が見たいんです。どこか良いスポットを知っていたら、教えて欲しいんです。そこに行くためのルートとかも」


 クロスで夜鷹に襲われた撮影機を磨くフィンに、ドロシーは笑いかける。


「もし、教えてくれたら、貴方の取材受けますよ」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「おお! これこそオレが求める最高のヒロインの写真だ、魔女ちゃんありがとよ」


「……、つ、疲れた……」


 フィンのお眼鏡に適う写真が撮れた時には、ドロシーの体は疲労困憊の状態にあった。


 町役場の側、小さな噴水のある広場で、あれからドロシーは数時間に及ぶフィンの取材という名の写真撮影に付き合わされていた。


「いい写真が手に入ったよ、魔女ちゃん。凜々しくて可愛いヒロインだ。記事の方は、魔女ちゃんから聞いた話を元に良い感じにまとめておくぜ」


 ドロシーは正直に語ろうと思ったが、エトアルがそれを却下した。


 まあ、人型の使い魔など前代未聞のことであったし、おまけにその使い魔が神話時代の魔王であるなど言えやしない。


 結局、ドロシーはエトアルの功績を自分のものとして語らざるを得なかった。


 嘘を吐いているようで気分があまり良くなかったが、エトアル曰く「我がここに存在できるのも主の魔力がゆえ、野盗の捕縛も主の成果である」なのだとか。


 そう言われれば、納得できそうな気もしなくもないが。


「見出しはこうだな、〝彗星のごとく現れし赤毛の魔女ドロシー……〟あー、えっと、そうだ、ドロシー何ちゃん? オレとしたことが、せっかくのヒロインの名字を聞き忘れてたよ」

「……ドロシー・ローズです」


 ドロシーの名を聞いた瞬間、フィンの表情が僅かに曇った。


「ローズ……、ああ、【薔薇園】の子か」

「そうです」


【薔薇園】


 それはドロシーが一四年間世話になった孤児院の名前だ。


 ルクグ王国内に点在するヒトア教支部の一つ、【薔薇大教会】が運営する孤児院。そこで育った子供たちは、支部と孤児院が冠する花の名を名字として名乗ることになっている。


 だから、ドロシーの姓はローズ。


 ドロシー・ローズとは、【薔薇園】出身のドロシーという意味なのだ。


「だったらマザー・ローズも鼻が高いだろうね。自分のところの子が、こんな立派な魔法使いになったんだ」


「それはどうでしょうかね?」


 ドロシーはやや刺々しく返した。


 マザー・ローズ。【薔薇園】を取り仕切る寮母にして、ドロシーが心から嫌っているシスターだ。


 彼女は中央から派遣されてきたヒトア教のシスターで、地元出身ではない。


 だからだろう、彼女は赤毛の孤児を目に見えて差別した。


 その中でも一等折檻を受けていたのが、ドロシーだった。

 臆病で、本ばかり読む物静かな性格が、より彼女のサディズムを刺激したのだろう。


 暖炉もない真冬の屋根裏部屋に薄着のドロシーを閉じ込めたり、他の孤児たちの悪戯をドロシーがやったと決めつけて食事を抜いたり、教会から支給された眼鏡を隠されたり。


 やられた事は数え切れない。


 ドロシーがあまりヒトア教の教えに関心を示さないのは、彼女との因縁やトラウマのせいだろう。


「あ、ああ、そうだよな。ごめん、軽率だったよ」


 ドロシーの態度に、フィンは何か感じ取ったようだった。


「じゃ、取材を受けてくれた報酬として……そうだ、海のことだったよな?」


 そう言って、フィンは青い瞳でじっと町の向こう側に広がる山を見つめた。


「ここから近くの海で、良い観光地っていったらそりゃ【星鳴きの砂浜】一択だな。踏めばうるさいくらいに鳴く砂浜に、青く澄んだ海。波も穏やかで、夏場は近隣住民が泳ぎにいくって場所だ。国外からも観光客が殺到しているって話だぜ。ほら、こっからあの山、見えるだろ? ヒトト山っていうんだが」


「はい」


「ヒトト山道を越えて、南東に向かって進む。んで、いくつかの町を越えたところに、リキノトって街がある。ルクグ王国の中でもかなりデカい規模の大都市さ。オレたちミデロ・メールの本社もあるし、ヒトア教の教会【菫大教会】もある。ルクグ王国のでも一、二を争うデカさの教会だぜ。あそこにいきゃ、【星鳴きの砂浜】がある港町まであと少しだ」


 とにかくリキノトを目指すんだ、とフィンは締めくくる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいね。今からメモします」


 ドロシーは腰のポーチから手帳を取り出すと、短くなった鉛筆で書き記していく。


 メモメモ。


 旅の目標はただの海から【星鳴きの砂浜】に。ヒトト山を越えて南東方面、リキノトに。


「ドロシーちゃん」


「はい?」


 メモを書き記した手帳に、フィンは一枚の紙片を挟んできた。


「これも取材を受けてくれたお礼の一つだよ。これ、オレの名刺だ。もし困ったことがあったら、これ持って、ミデロ・メールの支部とか本社に行けばいい。支部は大きめの町にあるぜ。フィン・ホフマンの友達だって言えば、金は無理でも、何かしら情報はくれるだろうさ」


「ど、どうしてここまでやってくれるんです?」


「君がオレの初記事になってくれるからさ。言ったろ、オレ、新米記者なんだ。せっかく入社したってのに、全然いい記事が書けてなくって、でも、君の記事なら良いものが書けそうだ」


 にか、と白い歯を見せて笑ったフィンは「魔女ちゃん可愛いし」とおどけてみせた。


 ドロシーは顔が赤くなってくるのを感じた。


「か、可愛くないです!」


「あはは、じゃあな、旅に気を付けるんだぞ。山道はちゃんとしてるが、ヒトト山には魔獣が潜んでる。どっから飛び出してくるかわかんねえが……ま、元魔人をぶっ飛ばしたドロシーちゃんなら余裕だろうけどな」


 それから、フィンは撮影機を片手に大きく腕を振る。


「ミデロ・メールをよろしくな!」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「まったく騒々しい男だったな、主よ」


 フィンの姿がすっかり見えなくなるまで待つと、エトアルは深々と息を吐いた。


 何度もポーズを取らされたのは、ドロシーだけではない。神話時代の魔王も、写真撮影は疲れるようだった。


 しかし、今、ここで休んでいる時間はない。


「エトアルさん、支度を調えたら行きましょう。目指すはヒトト山です!」


 びし、と指を指し示す先、ヒトト山。


 フィンの説明を受けて、ドロシーの心は【星鳴きの砂浜】に夢中になっていた。


 鳴き砂の砂浜。青い海。泳ぐのも気持ちよさそうだ。


 今の季節は春。リキノトにたどり着くまでどれほど時間がかかるかは分からないが、手持ちには五〇万レラの軍資金がある。


 早く着いてしまったとしても、宿を取って夏を待てばいい。


「主よ。装備は重々調えるのだぞ。我は魔力さえあれば生きながらえるが、そなたはそうではない」

「分かってます。五〇万レラもありますし、たっぷり整えていきましょう」


 ドロシーは今にも踊り出しそうな足取りで、町にある店へと急いだ。



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