1-6 ドロシー、魔王に名前を付ける



 小さな宿の小さな食堂。


 その片隅の席で、すりつぶした芋を練って焼いた、ポテト焼きを口にしながら、ドロシーはじっとテーブルの上でくつろぐ夜鷹を見つめていた。


「貴方は聖女に封じられし魔王……夜の王で間違いないんですね?」


 夜鷹は皿の上の豆をついばみながら頷いた。


 ――魔王、あるいは夜の王。


 ヒトア教に伝わる悪辣無情の王のことだ。


 大陸全土を支配しようと、人類と戦ったという魔族の王である。


 聖女ヒトアの力によって、闇の世界に封じられたと聞いていた。


 正直、ドロシーはその神話を信じていなかった。


 神話は神話。


 ヒトア教が教団の権力に箔を付けるために造り上げた物語だろうと。


 実際、魔族というものをドロシーは見たことがない。


 魔獣とはことなり、人の姿をした魔力と絶望の化身。


 神話によると、魔族らは魔王封印と同時に滅ぼされたという。


「まさかあの伝説が本当だったなんて……ヒトア教の人が聞いたらどうなることやら……」


「聞かれたとてどうにもならんだろう。我は最早力を削がれた。魔力の消費を抑えるべく、このような矮小な存在に変化せねばならないからな。そなたの言う神話の時代のような蛮行に出られるほど強くもない」


「……あの戦いぶりをみたら十分強いと思いますけど……。五人も倒しちゃったじゃないですか。一人は魔人だった人ですよ? 元軍人です。相当強いはずですよ」


 役所の人の話によると、あの魔法使いは軍に在籍している時に、軍の物資を横流しして小銭を稼いでいた悪党だったとか。


 いくら小悪党でも、彼がルクグ王立魔法学校の厳しい授業と訓練を乗り越えた手練れの魔法使いということには変わりない。


「あの戦いは主の魔力を食らったがゆえに勝利した。主の魔力なくては、我は矮小な夜鷹にすぎん」


 再び豆をついばむ夜鷹こと、魔王。


 そこでドロシーはポテト焼きを食べる手を止めた。


「もしかして、わたしの魔力がなくなったのって、頭をぶつけたとか、魔力が暴走したせいじゃなくって……」


「我がそなたの底まで食らったからだな。召喚されてすぐ、我は瀕死の状態だった。長すぎる封印のせいでな。そなたの魔力で命を繋いだのよ」


「そんな……、じゃあ、それだったら、わたし、退学処分は免れたんじゃ……」


 枯渇したように見えるだけで、ドロシーの魔力はまだこの血に流れていたのだ。


 では、使い魔(常識外れの使い魔ではあったが)を手にした今、昇級試験も楽々合格出来ていたに違いない。


「いやそれは不可能だ。あそこの学び舎には結界が施されている。我はあそこにはいられない。それに我がそなたの魔力を食い続ける限り、そなたの魔力は自由が利かないであろう」


「そっか。だったら結局、退学処分かぁ……」


 テーブルに肘を突き、ドロシーは溜息を吐いた。


 いずれにせよ、ドロシーの退学処分は免れなかったということか。


 ポテト焼きの最後の一欠片を口に放り込むと、ドロシーはパサつくそれを温いミルクで流し込んだ。


「しかし、主」


 夜鷹はじっと夜空色の目を細めて、小さな食堂の中を見渡した。


 一日の仕事を終えて酒で癒やしを得ている男たちの喧噪や、旅人たちの姿が散見される。


 男たちに野次を飛ばされ苦笑するウエイトレスの姿もあった。


「何故、あの者はそなたを快くない目で見るのだろうな。敵意を孕んだ視線が不愉快だ」


 夜鷹の言葉が指すのは、喧噪の中に紛れる一人の男のことである。


 彼が不愉快そうにちらちらとドロシーの方を見ているのは、ドロシー自身も気が付いていた。


 この赤毛が、彼の気分を害したに違いない。


「……赤毛だからですよ。お隣の、ロバージナ帝国の人たちと同じ赤い髪だから」


「帝国人とな」


 豆をついばみながら夜鷹は首を傾げた。


 聖女に封じられたのがいつのことか知らないが、少なくともこのルクグ王国が成立する以前のことだろう。


 そんな彼がルクグ王国とロバージナ帝国の争いの歴史を知るはずもない。


「ここ、ルクグ王国とロバージナ帝国はずっと……神話ほどじゃない程度に昔から、仲が悪くて。ほら、魔王さんも見たでしょ? この町の明かり。ここの食堂の明かりもそうですけど、魔石灯って言って、魔力を込めた石で光らせているんですよ」


 光らせたり、火をおこしたり、水を清めたり、魔力を込めて温存しておいたり、魔石は非常に汎用性の高い資源だった。


 日用品としても利用できたし、ドロシーのペンダントトップのようにアクセサリーや御守りとしても利用されている。


「魔石を用いたからくりであれば、我の時代にもあった。小さき町一帯を覆い尽くすほどの数はなかったがな」


「だったら話が早いです。その魔石が採掘出来る鉱山が、王国と帝国の国境沿いにありまして。それがとんでもない埋蔵量だって分かったのが、一〇〇年くらい前だったかな」


「なるほど、両国間で石を取り合っているのだな」


「そうです。それで度々戦争が起こって……最後の戦争は二五年前くらいかな、大きな魔法戦争があったんです。その大戦は本当に酷くて、沢山の人が亡くなりました。魔法兵も、一般市民も、貴族も……九年も殺し合って」


 大魔法大戦。


 そんな名が付くほどに、長い月日と、多大な犠牲が払われた大戦争。先に休戦協定を申し出たのは、ルクグ王国側だった。


 ロバージナ帝国もその申し出を受けて、すぐに協定を結ぶこととなった。


 お互い、あの鉱山には手を出さない。その約束で。


「お互い消耗して、国が危ういと思ったんでしょうね。一六年前、休戦協定が結ばれたんです。でもだからといってお互いの関係がすぐに良くなるわけでもなくて」


 九年も殺し合ったのだ。


 お互いがお互いの都市に、龍を率いて魔法弾を落として空爆し合い、やられたらやり返し、またやり返して、やり返して、どれだけの市民が犠牲になっただろう。


 赤い髪が落とす業火に焼かれて、どれだけの人が亡くなっただろう。


 両国人の関係が良好になるには、気の遠くなる月日が必要なようだった。


「だから一六年経った今でも、赤毛を嫌いな人は沢山います。仕方ないんです。こうやってじろじろ見られる位で済むなら、まだマシです。それに、皆が皆赤毛を嫌ってるってわけでもないですし。石を投げられないだけ、良い方です」


「だが、主は帝国人ではないのだろう?」


「そうですよ。両親は分かりませんけどね」


 父か母が帝国人なのか、それとも帝国人の血を引いているのか。


 ドロシーが生まれ育った山間の小さな農村は、例の巨大魔石鉱山とは離れた位置にあったが、ルクグ王国とロバージナ帝国の国境付近にあった。


 だからだろう、あの村には赤毛を持つ王国人はドロシーの他にも何人かいた。


 両親が栗毛や金髪であっても赤毛の子供が生まれることもあったので、多分、先祖に、赤毛の血が混ざっているのだろう。


「……主」


 物思いに耽り始めたところで、夜鷹がぼそりとドロシーを呼んだ。


 気が付けばテーブルの上に大きな影が落ちている。


 面を上げれば、あのドロシーをちらちらと不機嫌そうに見ていた男が立っているでないか。


「嬢ちゃん、さっきからブツブツうるせえなあ。小鳥ちゃんとお喋りかあぁ?」


「……すみません。気に障ったなら謝ります」


 絡まれるのも慣れたものだ。


 魔法学校にいたときも、こういった絡みは普通にあった。


 赤毛を馬鹿にされて、もしくは怖がられて。


 だけれども、ドロシーはこの髪を疎ましく思ったことは一度としてなかった。


 この髪はドロシーの髪だ。


 この色を疎んでは、ドロシーの髪を褒めてくれたリーナに失礼だ。


 絡まれた時は小さく謝って、その場を早々に後にするのが一番だ。


 まだ少し、カップの中にミルクが残っているのが気がかりだったが、しかし、この場に長くいても良いことはなさそうだ。


 そう思って席を立ったドロシーだったが。


「け、店主もどうかしてるぜ、うすぎたねえ帝国人のガキを店に入れるなんてな――」


 席を離れようとしたドロシーの三つ編みお下げの片方を、男は無遠慮に引っ張ったのだ。


「きゃっ……!」


「こんな血見てえな髪、目障りだし邪魔なだけだろう? 俺が切ってやろうかっ?」


「ちょっと! さっき役場で見たけどその娘は……」


 騒ぎを聞きつけたウエイトレスが駆け寄って、ドロシーと男の間に割って入ったその時だ。


 三人の中に割り込むのは、夜空色の瞳の男である。ボロボロの外套に覆われた右腕で、酔っ払いの首を掴む。


「うぉっ!? テメエ、どこからっ……!」


「ああ、悪いが主は五人の野盗を捕まえた手練れの魔法使いでね。赤き業火で焼かれたくなければ、早々にその汚らしい手を即刻退けよ」


 ぎ、と黒妖犬を撃退した悍ましい睨みを利かせ、男の首を絞める力に手を込める。


 酔っ払いの赤ら顔からさあっと血の気が引き、次の瞬間にはトマトのように赤く染まり始めた。


 首を圧迫されて血が滞り始めているのだ。


「そうよ、アンタ、この子、町の治安のために戦ってくれた子なのよ! だっていうのに、何て失礼なこと!」


「お、おう、……わ、わかった、わかったからっ……」


 ウエイトレスの剣幕と、魔王による頸部の圧迫により、男はすぐに白旗を振った。ドロシーの三つ編みから手を離し、「わかった、わかった」と繰り返す。


 流石に降参状態の男に追い打ちをかけるつもりはないらしく、魔王はすぐに男の首から手を離した。


「可哀想に。綺麗に伸ばした髪なのに、あんな脂ぎった汚い手で触られて! もう可哀想! 出て行くのはアンタよ! ほら、さっさと出て行って!」


「……、な、なんだってんだよ、畜生!」


 ウエイトレスに追い立てられて、男はげほげほと咳き込みながら宿屋の食堂を後にする。


「ごめんなさいね、お嬢ちゃん。昔の考え方から抜け出せないヤツが多いのよ。田舎だからかしら」


「すみません、ありがとうございます。お店の皆さん、せっかくのディナーの時間を台無しにしてすみません。もう部屋に戻ります」


 ドロシーは深々と頭を下げると、椅子に乗せてあった三角帽子を被り、荷物を抱えた。


 それから一階の食堂から階段を上った先にある部屋を目指した。その後ろを魔王が続く。


 ぎしぎしと古い階段を上り終えたところで、微かに聞こえるのはウエイトレスの困惑した声。


「あれ? あの子、一人部屋取ってたわよね?」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 宿の狭い一人部屋。


 床に荷物と三角帽子を置いて、ベッドに横になる。


 硬い寝具だったが、野宿よりはずっと良い。


「ありがとうございます」


 埃っぽい枕に頭を預けると、ドロシーは窓辺で休んで入る夜鷹を見た。


 魔王が人型を取っていたのは、酔っ払いを撃退するあの瞬間だけ。


 二階にあがるとすぐに彼は鳥の姿に戻ってしまった。


 窓から差し込む月明かりを見上げていた夜鷹は、ぐりんと首だけを回転させてドロシーを見る。


「なにゆえ、礼を?」


「わたし、三回も助けてもらっちゃって」


「気にするな。我がここにこうしていられるのも、そなたの魔力を食らっているからだ。すべてはそなたの命があってこそ。我がそなたを護るのは、そなたの命こそが我の命であるがゆえである」


 実際、彼の言うとおりなのだろう。


 ドロシーの身の危険は、彼の命の危機に繋がる。


 だから助ける。


 召喚の間でも、野盗に狙われた時も、食堂で絡まれた時も、彼は自分のためにドロシーを助けたのだろう。


 でも、嬉しかった。


「あの、ま、魔王さん」


 そう言って、ドロシーは何だかおかしくなった。


「主よ、何がおかしい」


「あはは、魔王さん、って、呼びにくいですね。正直、町中で魔王さんって呼ぶの、気が遅れちゃいますし」


 大陸全土で信仰されているヒトア教の悪しきものの名を連呼するのは、悪目立ちしてしまう。


 ああして、絡まれることもあるだろう。


 特にヒトア教の信者は、話の通じない頑固な人が多い。これはドロシーの経験則だ。


「魔王さんのお名前はなんて言うんです?」


「我のことは主が好きに呼んでくれれば良い」


「え?」


「我は夜の王。闇を統べる魔王である。それ以外に名はない」


 確かに、ヒトア教に伝わる神話には、魔王の名が出てこない。


 悪辣無情の王、夜の王、魔王。


 彼を形容する単語はそれぐらいしか出てこなかった覚えがある。


「……じゃあ、……えーっと」


 ドロシーは親友リーナのことを思い出していた。


 彼女が白龍に付けた名前を参考に、恐る恐る口を開く。


「よーちゃんとかどうですか。夜鷹のよーちゃん」


「却下する」


「えー、好きに呼べばいいって言ったじゃないですか」


「その名は我の品位に関わる」


(結局何でも良くないじゃないですか)


 ドロシーは心の中で愚痴ると、頭をフル回転させて彼にふさわしい名前を考えることにした。


 目を瞑り、彼の夜空のような双眸を瞼の裏に再現する。


 夜。

 夜の王。

 綺麗な瞳。


「じゃあ……エトアルとかどうですか。古い異国の言葉で、夜という意味です」


「主がそれで良ければ、それでよい」


「ではエトアルさん」


 そう言ってドロシーは小さく欠伸をした。

 酷く眠い。疲れている。


「おやすみなさい」


 もう一度欠伸をして、ドロシーは体を丸めた。さながら胎児のように。


 薄れ行く意識の中で、ドロシーは彼の声を聞いていた。


「礼を言わねばならぬのは我の方だ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る