1-5 ドロシー、魔王を使い魔にする



 町の役場は騒然としていた。


 それもそうだ、営業時間が終わろうという夕刻に、五人の野党が運び込まれたのだから。


 ロープで雁字搦めにされた男たちは、それぞれ猿ぐつわをされて板張りの床の上に転がされている。


 うぅ、うぅ、とうなり声が上がっているが、誰も彼らを助けようとはしなかった。


 彼らは最近、近隣を荒らして回っていた野盗集団なのである。


 元魔法軍所属の野良魔法使いが、職にあぶれた荒くれ共を率い、荷馬車や旅人を襲っては金品を奪っていたとか。


 ここ最近特に活動が活発になっていたため、町の人々も頭を悩ませていたようである。


「しかし、まさか、軍の施設がある町の側に潜伏してるなんてな。灯台もと暗しってか?」


 恰幅の良い男が、床に転がる野盗たちを見下ろしながらそう言った。


 ドロシーはこの赤毛のこともあって、あまり寮から町に出ることはなかった。


 だから、その噂が耳に入ることがほとんどなかったのだ。


 ただ、学校内に張り出された荒くれ共の人相書きは覚えていたので。


「なあ、赤毛のお嬢ちゃん、アンタ一人でコイツらを伸しちまったのか? いったいどんな魔法を使ったんだ? 可愛い顔して、お嬢ちゃん中々やるねえ。流れの傭兵かい? それとも賞金稼ぎ?」


「いえ、彼が……あれ?」


「彼? 誰のことだ?」


(……いない)


 ドロシーは周囲を見渡した。


 辺りには、五人の野盗をコテンパンに伸した魔法使いの存在に目を丸くさせる役場の職員の姿がちらほらと見えるだけで、あの夜空の瞳をした男の姿は見られない。


 役場に運ぶ途中までは確かに一緒にいたはずなのに。


 先に外へと出てしまったのだろうか。


「まあそう謙遜すなって。ほれ、お嬢ちゃん。治安維持のために頑張ってくれたご褒美だよ。ありがとね」


 受付のカウンターに並べられた硬貨の小山に、ドロシーは眼鏡がずり下がってくるのを感じた。


(あ、あれは一万レラ硬貨! は、初めて見た!)


 硬貨の中でももっとも価値の高い、白銀のコインが目に眩しい。


 その一万レラ硬貨がざっと五〇枚はあるだろうか。


「わ、こ、こんなにいただけるんですか……!」


「ああ、この軍人崩れの野良魔法使いにゃ、五〇万レラかけられてたんだ。丁度五〇万レラ分の金があるよ。ちゃんと数えるといい。一枚でもかけてりゃ、一万レラの大損だからな」


 だはは、と町役場の男は笑いながら言った。


 ドロシーは壊れ物に触れるような手つきで、五〇万レラを数え終えると、教授からもらい受けた財布代わりの革袋にそれらを全てねじ込んだ。


 それから、役場の男に深々と頭を下げると、役場を後にした。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 ――きょ、きょ、きょ。


 夜鷹の鳴き声が聞こえる。


 役場に着いた時は夕焼けに呑まれていた町も、太陽がすっかり落ちきった今は夜の闇に包まれている。


 ぽつぽつと灯る魔石灯と人家の明かりが、空に輝く四等星のように輝いている。


 ドロシーは役場の外に出ると、ぐるりと周囲を見渡した。


 人気はない。


(魔王さん、どこに行っちゃったんだろう……)


 黒髪も、不健康そうな青白い肌も、ボロボロの外套も、夜空色の瞳も見たらない。


 周囲をぐるぐると探して回ったが、一向に見つかる気配がない。


 ドロシーは町役場の近場にあった、小さな噴水の縁に腰掛けた。


 町のシンボル的な場所だろうが、流石に夜も更けると人気はない。


「本当にどこに行っちゃったの?」


 溜息を一つ落としたところで「我をお捜しか?」と低い声が頭上より降りかかる。


「ひゃあっ?!」


「そなたは面白いほど驚くな」


「きゅ、急に出てこないでくださいよ……って」


 きっとあの夜空色の瞳がドロシーを出迎えるだろうと視線を上げた先、そこには魔石灯がぽつんと立っているだけだ。


 あの自称魔王の姿が見えない。


「ここだ」


 恐る恐る声の方を見上げれば、魔石灯のてっぺんに止まる一羽の鳥がいるではないか。


 くすんだ樹皮色の羽を持つ、一羽の鳥。


 ドロシーの両手で包めてしまいそうなほどの大きさで、くちばしは短く、ぎょろりとした目の縁は鮮やかなイエローをしている。


 そして何より、その大きな瞳は――あの男と同じ夜空を写し取ったように神秘的な色を宿していた。


「この鳥、……まさか……」


「さよう。我であるぞ。魔力消費を抑えるべく、この姿に変えた」


 翼をはためかせて魔石灯から飛び立つと、鳥となった自称魔王は噴水の縁に腰掛けるドロシーの側に降り立った。


「じゃあ、もしかして、あの時聞こえてた鳴き声って……いや、さっきも……」


「我のものであるな」


「……じゃあ、ずっと見てたってことですか? えっと、医務室でわたしが目覚めた時から……」


「さよう」


 鳥のような仕草で、毛繕いしながら彼は答えた。


「本当に人間じゃないんですね。あの動きもそうですし。それも、黒妖犬を一睨みで撃退するなんて……普通の人間じゃありません」


「では、我の言葉を信頼してくれるか?」


「魔王だってことをですか? しかもわたしが貴方を召喚したってことを」


「ああ」


「……わたしが貴方を召喚したこととか、あなたが神話時代の魔王だとか、まだ少し、半信半疑ですが、あなたが二度もわたしを助けてくれたことは紛れもない事実です」


 ドロシーは噴水の縁から腰を上げた。


 下がった眼鏡のブリッジを押して元の位置に戻すと、杖を両腕で握りしめる。バーンリー教授のお下がり。


 使い古されて、すっかり飴色になった杖を構えて、じっと、鳥の姿を取る魔王を見下ろした。


「貴方がただの人間でないかどうかは、契約を完了すれば分かるはずです。わたしの枯渇した魔力で、そもそも、契約出来るかどうかなんてわからないけど」


 主従の契約は、魔方陣より召喚されし魔獣としか結べない。


 魔獣自体は世界中のあらゆるところに生息しているが、その野良魔獣と主従契約を結ぶことは出来ないのである。


 その理由は、魔法使いの願いにその魔獣が応えたかどうかにある。


 光の門を越えて、時空を超えて、術者の願いに応えようという心がなくてはならない。


 主従契約は心と心の契約なのだ。


「――我、ドロシー・ローズはここに誓う――」


 教授に教わった、主従契約の呪文をドロシーは唱えた。


 枯渇したと聞かされた魔力の流れをイメージし、その流れが指先に方向を変え、杖へと流れ込む様を想像していく。


 杖から放出される魔力が大気に馴染み、大気に溶け込んだ精霊たちが魔力に呼応する様を想像する。


 体が火照ってくる。


 あの爆発が起きた日と同じだ。


 ドロシーの頭の中に、満天の星空が浮かぶ。美しい夜空。


 そのイメージ。


 あの夜空を護りたいと願う心が、何故か今沸き起こる。


 穏やかな噴水広場の中に、僅かな風が生まれた。風は星の光を宿し、流れ、一羽の夜鷹を取り巻いていく。


 もし、この自称魔王がただの変人魔法使いであったとしたら、この先、最後の呪文を唱えたとしても、主従契約が結ばれるはずがない。


「――我の呼び声に応えし者に、我が身の半分を差し出すと――」


 我が身の半分とは、血と肉に宿るとされる魔力のことを指す。


 術者は使い魔に従属の対価として、我が身の魔力を差し出すのである。


 この魔力を使い魔は食らい、糧とする。こうして魔力と心で魔法使いと使い魔は固く結ばれるのである。


 夜鷹を取り巻いていた光の風が、今度はドロシーを包み込み始める。


 爪先から、赤い三つ編みお下げの先から、頭のてっぺんまでを包み込み、そして弾ける。


 弾けた光は小さな流星となって、ドロシーの左手の甲に落ちていった。


 ぽとんと、雨粒の一滴が落ちるように。


「……本当に、契約、出来ちゃった」


 そうして左手の甲に浮かぶのは、召喚印。


 その複雑で小さな魔方陣には仄かに光が宿っている。


 それは、この自称魔王の自称がまったく正しいものであることの証明でもあり、ドロシーが魔王を召喚したという動かぬ証拠でもあった。


(魔王? 魔王? 本当に魔王だって言うの? あの強いおじさんがわたしの使い魔……)


 魔王。神話時代に封印されたという、ヒトア教に伝わる伝説。


 その魔王をドロシーが、あろうことか復活させ、使い魔にしてしまった。


 スケールが大きすぎて、気が遠くなってくる。


(魔王の使い魔……使い魔王……? いや、何考えているんだろう、わたし)


 頭が何だかふわふわしている。


 契約したばかりだからだろうか。


 左手の甲も、むずむずと痒いような熱いような違和感がある。


「ふむ、これで本当の主となったようだな、主よ。あの白き龍の言うとおりだ。しかし、顔色が優れないようだが?」


「……、何だか、少し疲れちゃったみたいです」


「では、早く宿を見つけなくてはならないな」


「あ、そうだ。そうだった。早く宿を取りに行かなくちゃっ。随分遅くなっちゃったし、……大丈夫かな」


 早く宿に向かわなくては。


 せっかく五〇万レラの資金を手に入れたというのに、野宿する羽目になる。

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