1-4 ドロシー、魔王に助けられる



「クソっ! 何なんだあのおっさん!」


「何でバレたんだぁ?」


 戸惑いの声を口にしながらも、男たちはぞろぞろと木陰から姿を見せた。


 見るからにまともな風体ではない男が四人。


「おい、その赤毛ちゃんとペンダントは俺たちが最初に見つけたんだ! 俺たちの獲物だぞ!」


 それぞれがそれぞれ、抜き身の剣を手に握っている。


「野盗っ……!」


「主が学び舎を出、狭い路地を通ったあたりから、こやつらは主を付け狙っていたぞ」


「そんな、全然気が付かなかった」


 ドロシーはとっさに懐を弄り、そして絶望した。


 バーンリー教授がくれた短剣は今まさに、この自称魔王が投げつけたではないか。


 ドロシーは慌てて杖を握ると、下卑た笑みを貼り付ける野盗たちを眼鏡越しに睨んだ。


「わ、わたしは魔法使いですよ。小さいからって甘く見たら、丸焦げになるんですから」


「可愛いねえ。子ウサギに睨まれたって何にも怖かねえよ」


 野盗の内の一人が嘲れば、下品な笑声が次から次へと上がっていった。


 駄目だ、ドロシーの精一杯の威嚇も野盗たちにはまるで効いていない。


 さらに別の野盗が、剣を見せつけるように振り回してはがなり立てた。


「おっさん、アンタ出来る魔法使いみたいだけどよぅ! どんな軍人でも刺されちまったら死ぬんだぜ!」


「確かにそなたらの言うとおりだろうな。人は刺されれば死ぬだろう」


「は! 分かったらさっさとそこのウサギちゃんを俺たちに寄越しな。おっさんもこんな辺鄙な場所で死にたかねえだろう!」


 彼らの装備を見るに、野盗たちは魔法使いではなさそうだ。


 ましてやその身を神に捧げる聖職者ではないだろう。


 だというのに、いやに威勢がいい。


 魔法使いに強気に出られるのは魔法使いか、もしくは法力を扱える聖職者ぐらいだ。


 魔法の力に抗える無能力者など聞いた事がない。


 何か裏があるのでは、と不安が過るドロシーであったが、「主、少し下がったほうが良い」と自称魔王が前に出る。


「せっかくの装備が血で汚れてしまうからな」


 夜空色の双眸がほんの一瞬ドロシーを見たかと思えば――「ぎゃああ!」と野盗の一人が悲鳴を上げた。


 ドロシーがはっとして悲鳴の方へと目を向ければ、いつの間に移動したのか、魔王を名乗る男が野盗の腕を捻り上げていた。


 そして野盗の一人から剣を奪うと、眉一つ動かさない冷静な面持ちで、彼は野盗の右腕を外した。


 ごり、と鈍い音が上がると同時に、聞くに堪えない悲鳴が野盗の口唇から吐き出された。


 野盗らが騒然とする。


 それもそうだ。


 ボロボロの外套を纏う浮浪者然とした男が、まさかこうも俊敏に動けるなど誰が想像出来ただろう。


「てめ、うっそだろっ!? ――ぎゃあ」


 驚愕に目を見張る野盗の顔面に、自称魔王は流れるような動きで拳をたたき込むと、そのまま腕を振り抜いた。


 その後、剣の柄で別の野盗の腹を殴りつけた。


 二人の野盗はきりもみ回転で野盗の体は吹き飛び、一人は吐瀉物を、一人は鼻から迸る赤い血の軌跡を描きながら道の傍らに転がった。


 うめき声を上げて蹲る者、ぴくりとも動かない者。

 どちらもすぐに立ち上がることは出来ないだろう。


「てめえええええええ!」


 残された四人目の野盗が、雄叫びを上げて自称魔王の頭目がけて剣を振り落とす。


 しかしその刃を自称魔王は奪った剣で軽々と受け止めた。


 ぎりぎり、そんな金属の擦れ合う甲高い声が反響する。


「なまくらだな。そなたの腕もこの剣も」


「ふざけんなよっ! このクソジジイっ!」


「そこまで老いたつもりはないがな。さて、足元がお留守だぞ」


「うわっ……!」


 自称魔王がその長い足で野盗の腹を蹴り上げると、怯んだ男の顎にさらに蹴りを一発。怒濤の二連撃。


 前歯を二本ほど失った野盗は、剣を取り落とすとそのまま地面に突っ伏し動かなくなった。


「す、凄いっ……!」


 ドロシーは感嘆の声を上げた。


 野盗が姿を見せてから、ほんの数分しか経っていない。


 だというのに、剣を持った荒くれ者たちを、この男はあっという間に制圧してしまったのだ。


 しかし、自称魔王はこの自分の動きになにやら納得がいっていない様子。


 不満げに鼻を鳴らしては、首を捻っている。


「久方ぶりゆえに動きが鈍いな。やはりあれだけの魔力では……」


「あ、あの、助かりました。貴方の言ってること、正直あんまり理解出来ていませんけど……でも、おかげで、二回も……」


 うめき声を上げて転がる野盗たちを避けながら、ドロシーは自称魔王の元へと急いだ。


「いや、まだ礼を述べる時間ではないぞ、主」


「へ?」


「こっちだ」


 ぐいっとドロシーの肩を抱き寄せると、自称魔王はその外套でドロシーの体をすっぽりと覆い隠した。


 間もなく、ごう、と燃えさかる炎の声が耳朶を叩いていく。


 魔法だ。


 誰かが《火球》を使ったのだ。


「クソ、俺のことも分かってたってか? おっそろしいね。元魔人の傭兵だとかか? 軍人だとしたら、それはそれは相当な肩書きの持ち主なんだろうな」


 ぼろぼろの外套からそっと外を窺い見れば、一人の男の姿が目に留まる。


 ローブに杖といった、魔法装備に身を固めた一人の男である。


 魔法使いだ。


 どこかで見た顔だったが、ドロシーには思い出せない。


 ただ、この野盗の仲間であろうことは、その下品な表情からして明らかだ。


 先ほどの《火球》もこの魔法使いが生み出したものなのだろう。


「剣術も体術もお得意な魔法使いとは恐れ入ったぜ。俺の仲間がコテンパンに伸されちまうだなんてな」


「あ、兄貴ぃ! 兄貴の犬で、コイツやっちまってくださいよっ!」


 肩を外された野盗の一人が、唾を飛ばしながら叫んだ。


 どうやらこの魔法使いが野盗たちのリーダのようである。


「い、犬?」


 ドロシーの声に笑うと、魔法使いは左手を掲げた。


 間もなく男の左手の甲に光が灯り、虚空に輝く魔方陣が浮かび上がった。


「出てこい黒妖犬ブラックドッグ!」


 その呼び声に答えるように、魔方陣より姿を見せるのは通常の大型犬よりも一回り以上巨大な黒い犬。


 血のようにどす黒い赤の瞳でドロシーと自称魔王を睨み付けている。


 黒妖犬は死を知らせるとも呼ばれる不吉な魔獣。大陸全土に広く分布し、獰猛で、旅人がこの牙の餌食になることも多いと聞く。


 使い魔としての性能は高く、主と認めた相手にはとことん従順になるという話だ。


 魔法学校の生徒の中にもこの黒妖犬を使い魔として召喚した者も多い。


 うぅぅぅ……。


 黒妖犬のドスの利いたうなり声を、自称魔王は一笑に付す。


「その犬ころも、そなたも我の敵ではない」


「はん、言ってろ! おら行け、黒妖犬! ヤツは使い魔を持っちゃいねえ、食い殺せ!」


 魔法使いの指示に従い、黒妖犬が大地を蹴った。


 獰猛な牙を剥き出しにし、その大口で青白い首を切り裂こうと飛びかかる。


 しかし。


「――獣よ、我に刃向かうか?」


「きゃぅんっ!」


 自称魔王の一睨みで、あっけなく黒妖犬は逃げ出した。


 文字通り、尻尾を巻いて。


 今、まさに、邪魔者を焼く追撃を繰り出そうとしていた魔法使い。


 驚きのあまり集中力が途切れたのだろう。


 その手に産まれた《火球》がぶすぶすと煙となって消え失せる。


「な、嘘だろ! おい! お前、俺の使い魔だろうが! ちゃんと魔力分働けよっ! テメエを食わせてやってるのは俺だろうが!」


 主の罵声など届いていないのだろう。


 道を逸れて茂みに逃げ込んだ黒妖犬はひんひんと鼻を鳴らしながら、さらに森の奥地へと逃げ込んでいく。


 魔法使いの顔がみるみる内に青くなっていく。


 まさか、自身の使い魔に見捨てられるなどとは思いもしなかったのだろう。


 魔法使いは地面に転がる舎弟たちと、自称魔王とを交互に見やり――


「あ、兄貴ぃ! 見捨てねえでください!」


 逃げ出した。


「ふむ、決着は付いたようであるな。しかし、逃がすつもりはないぞ。主に牙を剥けた罪、その身で償ってもらおう」


 顔と同じく血色の悪い人差し指を立てると、自称魔王はくいっと指先を曲げた。


 ドロシーがその動きの意味が理解出来たのは、この戦いが始まる直前、自称魔王が投げた短剣が、彼の視線の先に突き刺さっていると分かった時だ。


 間もなく、木の幹に深々と突き刺さった短剣がわなわなと震え始め、ひとりでに動き始める。


 その刀身を幹から抜くと、水中を泳ぐ魚のごとき動きで虚空を駆けていき。


「ぎゃあ!」


 今、まさに茂みに飛び込もうという魔法使いの足に突き立った。


 彼が無様に倒れるのを確認すると「これでやっと静かになったな、主」と自称魔王は口元を歪ませて笑った。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「ひ、ひぃ!」


「助けてくれ!」


「助けてください!」


「お願いします!」


 男たちの悲鳴が木霊する。


 彼らの四肢は、彼らの荷物の中にあったロープで雁字搦めに拘束されていた。


 獲物も取り上げられ、彼らはもはやどうすることもできない状況だ。


 これ以上仲間がドロシーたちを襲うようにも思えなかったし、自称魔王も「気配は感じられない」と周囲の安全を確認していた。


「助けてくれ、とはまた笑わせる。主がそなたらに同じく命乞いをして、そなたらは見逃したのか? 愚かな人の子よ。知っているか? 人の子は首を裂かれると死ぬそうだぞ?」


 教授の短剣を魔法使いの首に宛がって、自称魔王はぞっとするくらいに冷たい笑みをその口元に浮かべた。


 がたがたと野盗たちは震えている。


「ひぃ、た、助けてください! お願いします! 貴方様が高名な魔法使いであられるとは思いもしませんでした! もう二度とこのようなことはいたしませんっ! どうかお許しをっ!」


 荒くれ魔法使いが目に涙を蓄えながら懇願するが、その声は彼の耳に届いていないようだった。


 ただ、脅威的な笑みだけを顔に貼り付けたまま「この世界に別れの口づけを済ませよ」と、魔法使いの顔を地面に押しつけた。


「口づけは済んだな? では、早速天国へ送ってやろう。天国とは楽園ような場所だとだと聞いたぞ? 喜ぶがよい」


 そう言って、もがく魔法使いの首に短剣の刃先を埋めようとしたところで「ま、待って!」ドロシーは自称魔王の腕にしがみついていた。


「こ、殺すのは駄目です。わたしの使い魔なんですよね? だったら、駄目です。やめてくださいっ」


 夜空色の双眸がすぅっと細められる。


「……良いのか? しかし、この者たち、主からペンダントや金品を奪った後、いかがわしいことでも考えていたのであろう。人買いに売るか、あるいは、もっと凄惨な目に遭っていたやもしれぬぞ」


 野盗の第一目的が、リーナの贈ってくれたペンダントであろうことは分かっていた。


 ではその次の段階で、法から逸脱した彼らがどのようなお楽しみを予想していたのかは想像に難くない。


 彼らの荷物にロープがあった。


 猿ぐつわもだ。明らかにそう言った目的のものだ。


「……う、でも、駄目なのは、駄目です」


「主のご命令とあらば、止めよう」


 ドロシーの腕を優しく解くと、自称魔王は魔法使いの首筋から短剣を離していった。


 それから赤い血の付いた剣を、別の野盗の服で拭って綺麗にしていく。


 ほっと胸をなで下ろすドロシー。


 せっかくの旅立ちの日に、人が死ぬところなど見たくなかったし、この夜空色の瞳が人の死に輝くところも見たくなかった。


 確かに彼らは悪党だ。だが、悪党に私刑を与えて良いという法律もない。


「た、助かりました、赤毛様っ……!」


 地面に突っ伏しながら魔法使いが感謝の言葉を述べる。


「主、そなたの剣だ。この薄汚い血は綺麗に拭った」


「あ、はい。どうも、ありがとうございます……」


 ドロシーに短剣を返却すると、自称魔王はロープで動けなくなった野盗たちの荷物を漁り始めた。


「な、何をしているんですか」


「主は海を目指すのであろう? その長旅には金が必要になってくる。この者たちから拝借するのはどうかと思ってな。この剣、なまくらではあるが、売ればある程度の足しにはなるだろう。この魔法使いのローブも足しに出来そうだな。ふむ、財布もあったぞ。中身は……寂しいがな」


「……う~ん」


「主よ、よもやこれも止めろとは言うまいな」


 海を目指そうという漠然とした目的から始まった旅。確かに旅を続けるには金が必要だ。


 この剣を売っても大した額にはならないだろうが、一レラでも多く金が欲しいという状況には変わりない。


 野盗を働くような悪い人たちだ。少しくらい拝借しても心は痛まないだろう。


 ドロシーが今、じっと悩ましげに野盗たちの顔を見ているのは、良心の呵責によるものではない。


「この人たち、どっかで見た顔……」


 既視感がドロシーを襲っていたのだ。

 この顔、どこかで見たはずだ。それも最近。


「……特にこの魔法使い……」


 じっと泥に塗れた魔法使いが、どこか気まずそうに苦笑したところで、ドロシーはあることを思い出す。


「あ!」


「どうした、主」


「……あの、えーっと、自称魔王さん、この人たち……五人も居ますけど隣町まで持って行けますか?」


「なにゆえ?」


「この人、賞金首です! 学校に新しく張り出された手配書に、この人の顔があったはずです」


 はあ、と魔法使いの諦めたような溜息が聞こえた。




……………………


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