1-3 ドロシー、魔王にストーキングされる
天気は快晴。
魔法学校と町を隔てる門の前、ドロシーは空を見上げて強く頷いた。
小さなころは、屋根裏の寒くて狭い部屋から見上げるだけだったが、今は違う。
ドロシーは自由になった。
魔女にはなれなかったし、頼みの綱の魔力も枯渇してしまったけれども。
不安がこみ上げてくるので、ドロシーは頬を強く叩いた。
「さ、落ち込んでなんていられないよ。わたしも一六歳。働こうと思えば、いくらでも働けるんだから。大丈夫。足腰も丈夫だし、私は大丈夫。大丈夫。世界情勢だって安定してるし、治安だって、良くなって行ってるって聞いたし」
ルクグ王国とロバージナ帝国の二国間による魔法大戦は、一六年前、赤子のドロシーが孤児院に預けられたその年に終結した。
以降、両国間や、西方諸国の間でちょっとした小競り合いが起きることはあっても、情勢はゆっくりと安定していっている。
国内の治安も、落ち着き始めたと聞くし、傾いていた経済も立ち直りつつあると聞いた。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
ドロシーは何度も繰り返した。
不安な気持ちでいっぱいの自分自身に言い聞かせるように。
「大丈夫。孤児院で虐められても大丈夫だったし、きっと大丈夫。あの爆発で死ななかったんだし、きっと神様はわたしに自由になれるチャンスをくださったんだ」
そう言ってドロシーは歩き始めた。
とにかく海だ。
海を目指そう。
ルクグ王国は大陸の東側に位置する国で、東の果ては海に面している。
とにかく東に進路をとって行けば、いずれは海に行き着くはずだ。
魔法学校の生徒が遊びに出ているかもしれない町中を抜けるのは避けて、路地裏を抜けて町を出ることにした。
町を出たら、南東に針路を取る。
南東にはこの町ほどではないがそこそこ賑わっている町がある。
今日はそこまで移動して、宿で一晩明かす計画だ。
そこで旅に必要な必需品を揃えよう。
地図やコンパス、他にも日持ちのする食料品などなど。
一式揃えるころには、傭兵を雇うお金はなくなっていることだろう。
ずんずん。道を進んでいく。
魔法学校から続く、舗装された通りの姿はなくなり、代わりに姿を見せるのは踏み固められたあぜ道だ。
どうやら町を出たようだ。
周囲には森林が広がっている。
まっすぐ進む。
帰る場所のない孤独なみなしごドロシーの、一人旅。
第一の目的地は、海。
ちょいと漠然としているが、しかし、これぐらい豪快な方がきっと旅も楽しいはず。
多分。
おそらく。
きっと。
――きょ、きょ、きょ。
例の鳥の鳴き声が森に反響する。
(リーナは、夜鷹だって言ってたっけ)
――きょ、きょ、きょ。
(ずっと聞こえるなぁ。この辺りに巣があるのかな?)
夜鷹に気を取られながらも、大分進んだろうか。
道に残されていた人里の気配も薄れ、荷馬車が通ったであろう轍の道に切り替わる。
日が落ちるころまでには、隣町に着いていることだろう。
王立第三三魔法学校が建つ町と違って人気は、ない。
この辺りは、スミルタルと呼ばれる田舎である。
大都市とは異なり、町を出ればすぐに森林が広がるど田舎だ。
ざわざわと木々が揺らぎ、小動物が小枝を踏みしめる音がどこからか聞こえて来る。
心臓が忙しなく喚き始める。
「きっと、大丈夫」
そう口で言いながら、ドロシーが教授から貰った短剣を手にした、そんな時。
「ああ、安心しろ。我がいるぞ」
「そう、貴方がいるから大丈夫って――ええええええええ?! 誰? 誰ですかっ?!」
頭上より突如として降りかかるのは、冷たさを感じさせる低い男の声である。
驚きのあまり、ドロシーは飛び上がった。比喩ではなく、実際に。
三角帽子がぱさりと轍の上に落ちた。
帽子を拾い上げることもせず、着地すると同時にドロシーは短剣を引き抜いた。
それからその頼りない刃を声の方に向け、恐る恐る見上げた。
黒。
そこには黒が立っていた。上から下まで黒ずくめ。
髪も黒だし、纏うボロボロの外套も黒。
肌の色だけが突出して青白い、上背のある痩身の男である。
年は四〇ほどだろうか。
服装とボサボサの髪のせいで老けてみえるだけで、実際はもう少し若いかもしれない。
軍に所属する魔人であれば、服がぼろすぎる。魔法軍の制服は、それはそれは気高さと高潔さを感じさせる見事な仕立てのものだった。
どこにも属さない野良魔法使いだろうか。それとも傭兵?
いずれにせよ、不審者であることには変わりない。
「な、何者です!?」
短剣を突きつけられているにもかかわらず、黒ずくめの男はまるで玩具でも見るような目つきで短剣を見下ろしている。
彼は言った。
「我は王だ。闇を統べる夜の王――魔王と名乗った方が分かりやすいか? そなたが心細そうにしていたため、ここにはせ参じた」
「お、王? 魔王? ……え、っと、……おじさん頭大丈夫ですか?」
ドロシーの頭に巨大な疑問符が誕生した。
(王? 夜の王? 魔王? 訳が分からないよ!)
狂人、奇人、変人。
どの言葉もぴったり当てはまりそうな見た目の男は、小さく溜息を吐いて「主」とドロシーを呼んだ。
「その短剣をしまって貰えないか。我は主に危害を加えるつもりはない」
「あ、あるじ……?」
「久方ぶりの魔力行使ゆえ、加減が分からなかったが……無事なようでなによりだ。そなた、己の魔力に冒され虫の息であったぞ」
男は落ちた三角帽子を拾い上げると、広いつばに付いた埃を払って、優しくドロシーの頭に被せてくれた。
恐ろしくて、あまり男の目を見ていなかったが。
(もしかして……)
ドロシーは男の顔をじっと見つめることにした。
整った目鼻立ち。
憂鬱げな表情。
もう少し若ければ、魔女候補生たちが黄色い声を上げて群がってきそうなハンサムな顔立ちだ。
その綺麗な顔も目を見張るものがあったが、何より、ドロシーの目を釘付けにするのは、その黒い瞳。
まるで夜のように深い色と、星のような輝きを宿した双眸。
夜空の目だ。
「その綺麗な瞳……貴方、召喚の間にいた人ですか? わたしを治療してくれた人、ですよね?」
「さよう」
「あ、あの時はありがとうございました。貴方がどなたか存じませんが、助けてくださりありがとうございます。……声をかけてくれたのも、わたしを心配してのことなんですよね? お心遣い感謝します。それでは、わたしはこれから旅に出るので……! 不安でしたけど、もう大丈夫なので!」
短剣をしまうと、ドロシーは深々と頭をさげた。
それから踵を返し、道を進む。
気持ち、足が速くなる。黒ずくめの男が追ってきている気配はしない。足音も聞こえない。
ほっと一つ息を吐く。
命の恩人とはいえ、突然気配もなく姿を見せてきたら怖いものがある。
おまけに自分を王だの魔王だの、何だか神話の世界にトリップしているような口ぶりで語るではないか。
(きっと根っこはいい人なんだろうけど)
瀕死のドロシーを救ってくれた人だ、実際、いい人なのは違いないだろう。
(魔王って言ってるって事は、ヒトア教の敬虔な信者だったり?)
かつて世界を苦しめた魔王を封じたと言う、聖女ヒトア。
彼女の教えを経典として広めている宗教がヒトア教だ。
ルクグ王国も聖女ヒトアの加護を得ようと、王国内にヒトア教の教会をいくつも建てている。
信者の数もかなり多い。
(いや、敬虔な信者だったら、あえて魔王を名乗るなんてことするかな……?)
何となく気になって、ドロシーが振り返ると――数歩後ろを黒ずくめの男が立っていた。
「な、なんで、ついて来るんですか?!」
「それが我の使命だからであろう?」
「し、使命ぃ?」
(――この人、命の恩人だけど結構やばい人かもっ!)
ドロシーの頭の中で警鐘が激しくかき鳴らされている。
男はどうしてドロシーが驚き、怯えているのか分からないと言った体で首を傾げた。
「そなたの友人が契約せし白き龍より聞いたところによると、主の命を護るのが使い魔の定めであるそうだ。そなたが死ねば、我の命も危うい。そなたの魔力で我は命を繋いでいるのだからな。ゆえにそなたを護るべく我はここにいる」
「使い魔? お、おじさんがわたしの使い魔だって言いたいんです?」
「ああ」
「まるっきり人の形をした魔獣なんて聞いた事がありません! 神話の魔族だったら話は別ですけどっ! それにわたしの魔力は、あの事故ですっからかんになっちゃったんです! だから使い魔を養う余裕もわたしにはないはずで……」
魔女、もしくは魔導師と使い魔の間には、主従契約が結ばれる。
術者の魔力を糧として与え、その見返りとして付き従うというものだ。
仮に召喚魔法に成功し、使い魔と主従契約が完了していたとしても、魔力が枯渇したはずのドロシーが使い魔と契約を続行できるはずがないのである。
自称魔王兼、自称ドロシーの使い魔は困った様子で頬を掻いた。
「それに、ちゃんと契約をすれば、左の手の甲に召喚印が浮かぶはずです! ほら、わたしの手の甲、見てください。どこにも印なんてないでしょう。小娘をからかうのは止めにしてください!」
「それはそなたと正式な契約を結んでいないからであろう? 我はそなたの強き想いによって現世に呼び出された……しかし、ふむ、これだけでは信頼に足らぬようだ。ではこれでどうだろうか?」
「あ、ちょっと! それ、教授がくれた大切な短剣で」
ドロシーが握りしめる短剣をむしり取るようにして奪うと、男はそれを森に向かって投げやった。
白刃が虚空を突き進み、やがて一本の樹木の幹に突き立ち――「うわぁっ!」聞き覚えのない男の小さな悲鳴が上がった。
自称魔王がにたりと口角を歪めて笑う。夜空の目が睨むのは森が作る影である。
ドロシーは眼鏡のブリッジを押しやって影の方を見た。
慌てる人影が見える。それも、一人や二人ではない。
「出てくるが良い、主を狙う不届き者め。我が相手だ」
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