第22話
それは千秋の母親の声だった。
必死に呼びかけているその声に思わず足が止まる。
今は中に入るべきじゃないと4人は団子状態になって廊下に立ち止まってしまった。
中から聞こえてくる泣き声に嫌な予感が胸を支配する。
嘘でしょ。
まさか、そんな……。
奈穂は胸の前でギュッと手を組む。
お祈りをするようなポーズになって室内の様子をうかがった。
先生は千秋が事故に遭ったとしか説明してくれなかった。
どれくらいの怪我なのか、無事なのかはなにもわからない。
もしかしたら生徒には聞かせられなくて伏せていたのかもしれない。
「あぁ……千秋! 目が覚めたのね!」
その声に4人同時に顔を見合わせていた。
千秋が目を覚ました。
事故に遭ってから今まで眠っていたらしいと、初めてわかった。
しばらく待っていると病室から白衣を来た主治医が出てきて、奈穂たちは病室に近づくことができた。
開け放たれた戸から中を覗いてみると、千秋の母親がベッド横で泣いているのが見えた。
千秋の細い手をギュッと握りしめている。
「よかった。本当によかった。今お父さんも来てくれるからね」
泣きながら話しかけているのを見ていると、なかなか声をかけるタイミングがつかめない。
「あの、千秋のお母さん」
しどろもどろになってしまった奈穂の後ろから豊が声をかけてくれた。
声に気がついた千秋の母親が顔を上げる。
そして制服姿の4人を認めると驚いたように立ち上がった。
「ごめんなさい気が付かなくて。こんな時間にお見舞いにきてくれたの?」
手の甲で涙を拭って近づいてくる。
その様子に胸が傷んだ。
自分たちはこの人の大切な千秋を傷つけてきたんだ。
宝物を壊してしまおうとした。
「これを……」
豊が震える手でフルーツを手渡す。
千秋の母親はそれを大切そうに両手で受け取った。
「ありがとう。千秋はまだ目覚めたばかりなの、ちょっと話はできそうにないんだけど、顔だけ見ていく?」
その申し出に4人は黙り込んでしまった。
千秋が目覚めた時、この4人が近くにいるとわかったらどう感じるだろう?
またイジメられるかもしれないという不安、そしてすでに味わっている恐怖を思い出してしまうかもしれない。
そう思うと、勢いだけでここに来てしまったことを後悔し始めていた。
あのときはすぐにでも千秋に謝るべきだと思ったけれど、まさかまだ目覚めていなかったなんて、想像もしていなかった。
「いえ、俺たちはこれで帰ります。また落ち着いたら来ますから」
豊が丁寧な言葉を述べて、4人は病室を後にしたのだった。
謝罪
「奈穂、食欲ないの?」
夕飯の席についても食べる気分になれなくて奈穂はうつむいたままだった。
テーブルには奈穂の大好物のロールキャベツとコンソメスープが並んでいるけれど、なかなか手を伸ばすことができない。
千秋のお見舞いから戻った後ちゃんと学校へ行ったものの、授業もろくに頭に入ってこなかった。
ジッと机に座って教科書を見ていると、どうしても千秋の姿を思い出してしまう。
頭に包帯を巻いて、あちこちに小さなガーゼがはられていてとても痛々しかった。
千秋がそんな状態になってしまったのは自分たちのせいなのに、こうして授業を受けていていいのかという気持ちになってしまう。
本当なら千秋だって今ごろ一緒に授業を受けていたはずなのに……。
そう思うと胸が苦しくて仕方なかった。
そして家に戻ってきた今も、その苦しみは消えてはいなかった。
自分だけ家族と食卓を囲んでいることに違和感を抱いてしまう。
「大丈夫……。ちょっと、体調が悪いだけ」
ご飯はなかなか喉を通って行かなかった。
無理やり飲み込んでもなんの味もしない。
せっかくお母さんが作ってくれたのに。
そう思うと涙が出そうになった。
千秋のお母さんだってきっと同じ気持ちで毎日ご飯を作っていたんだろう。
千秋の喜ぶ顔が見たくて、家族団らんを楽しみたくて。
それを奪ったのだって、自分たちだ。
堪えきれずに涙が頬をこぼれ落ちた。
それはテーブルに落ちて丸くなる。
「奈穂、どうしたんだ?」
父親が気がついて心配そうに声をかけてきたけれど、奈穂は返事ができなかった。
両手で顔を覆い、子供みたいにしゃくりあげて涙を流す。
千秋にだって大切な人はいた。
千秋を大切に思っている人だって、きっと沢山いる。
それなのに、その人たちの気持ちまで踏みにじってしまったのだ。
謝罪してもしきれない。
許されないことをしてしまったのだと、今更ながら理解した。
「奈穂、大丈夫?」
「奈穂?」
両親からかけられる心配の声が、今の奈穂にはとても痛かったのだった。
☆☆☆
翌日のホームルームで担任の先生が奈穂の目が覚めたことをみんなに伝えた。
2年B組の中にさざめきが沸き起こる。
そんなにひどい事故だとは思っていなかった生徒たちも多いみたいで、動揺している子も多かった。
「もうしばらくは入院することになるけれど、退院すればすぐに学校に戻ってくることになる。みんな、見守ってやってくれ」
それは居つ頃のことになるのか、先生もまだ聞いていないようだった。
「千秋は学校に戻ってくるんだね」
ホームルームが終わった教室内で、珠美がそう声をかけてきた。
「そうだね」
頷いたあと、力なくうつむく。
千秋が学校へ戻って来ることへの気まずさもあるけれど、自分が千秋だったらどうだろうと考えたのだ。
散々自分をイジメていたクラスに戻りたいと思うだろうか。
事故が遭ったことをきっかけにして、転校してしまってもおかしくないかもしれない。
それでも千秋はこの学校へ戻ってくることを決めたみたいだ。
そこにはどれくらいの決断が必要だったろうか。
「このまま千秋が戻ってきても、気まずくなるだけだ」
そう声をかけたきたのは豊だった。
後ろには一浩の姿もある。
ふたりとも、ホームルームでの話を聞いて、考えることがあったんだろう。
「やっぱり、千秋には1度ちゃんと謝らないといけないと思う」
奈穂は勇気を出して4人に自分の気持を伝えた。
昨日は千秋が目を覚ましたりなんなりしてそんな暇はなかったけれど、もう少し時間を於けばきっと会いに行ける。
「だけど千秋が受け入れてくれるかどうかわからない」
珠美が自信なさそうな声で言った。
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