第19話

どこからか視線を感じる。

ジッとこちらを見つめている。


奈穂の手が動いた。

ナイフの先端が首に当たる。


ヒヤリとした感触に鳥肌が立った。

思わずナイフを取り落してしまいそうになるけれど、もうナイフは奈穂の手から離れなかった。


泣いても叫んでもこれで終わり。

これで全部が、終わり……。


首にナイフが突き刺さる。



「キャアアア!」



痛みと恐怖で悲鳴がほとばしり、同時に急激な眠気が奈穂を襲った。

椅子から横倒しに倒れ込んで大きな音を立てる。


そして意識が遠のいて行く瞬間、ようやく千秋の声が聞こえてきた。



「それが私の痛み」



千秋は奈穂の目の前に立っていて、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

これが、千秋の痛み。


千秋の指先は奈穂の首元を差している。

こんなに痛くて、こんなに苦しい毎日を送っていたんだと思うと、涙が出た。



「ごめん……ごめんなさい。ごめんなさい千秋」



謝ってもどうにもならないほどの痛み。

全身に寒気がして強い孤独を感じる。


それは途絶えること無く奈穂を襲う。



「ごめんね千秋。ごめんなさい」



ボロボロと涙を流して何度も何度も謝罪を口にする。

それでも許されることじゃないということはわかっている。


でも言わずには居られなかった。



「ごめんなさい……」



ハッと息を飲んで目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋だった。



奈穂はしばらく呆然として天井を見上げていた。


ベッド横のサイドテーブルから目覚まし時計の音が聞こえてきてビクリと体を跳ねさせて飛び起きた。

慌てて時計を止めて時刻を確認すると朝7時だ。


いつも起きる時間になっていて、窓からは朝日が差し込んでいる。



「私、生きてる……?」



小さな声で呟いてベッドから降りると、少しふらついた。

その足でクローゼットの横にある姿見を見る。


青白い顔の自分が写っている。

全身汗だくで、だけど首に傷はなかった。


ナイフを差したはずの首に触れてみても痛みはない。

あれほど苦しくて痛かったのに、今は平気だ。


大きく息を吐き出してベッドに座り込む。

あれば全部夢だったんだろうか?



それにしてはリアルで、ナイフを握りしめていたときの手のひらはまだ汗で湿っている。

ふと視線を部屋の中へ向けてみると、昨日寝たときとかわっているところがあった。


勉強机の椅子に引っ掛けられた制服だ。

奈穂は毎日ハンガーに吊るしてクローゼットにいれているから、こんなところにあるはずがない。


そっと近づいて確認してみると、紺色のスカートがホコリまみれになっていることに気がついた。



「なにこれ」



呟き、慌ててホコリを手で払う。

そして気がついた。


教室内から脱出しようとしたときあれだけ動き回ったら、これくらいのホコリがついてもおかしくないと。

そう気がついた瞬間、奈穂の背筋は冷たくなったのだった。



合流


いつもは8時20分くらいに家を出る奈穂だったが、今日ばかりは8時なったらすぐに家を出て学校へ足を向けていた。

自然と早足になる。


行き交う人達を追い抜いて学校の門を抜けると、すでに登校してきている生徒たちの姿があった。

そのまま2年B組のクラスへ向かう。


誰かと約束をかわしたわけではないけれど、そこにみんなが来ているという予感があった。

そして奈穂が教室のドアを開けたとき、想像していた通りのメンバーがすでに揃っていたのだ。



「奈穂!」



すぐに近づいてきたのは珠美だ。

珠美は戸惑った様子で視線を泳がせている。


奈穂は頷き、他のふたりへ歩み寄る。

そこにいたのは一浩と豊だ。


なぜか、教室には昨日の4人だけがいて、他の生徒はまだ登校してきていなかった。



「なぁ、昨日……」



豊がそこまで言って口を閉じる。

言いよどんでいるので、奈穂はまた頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る