第12話
店はどんどん遠ざかっているのだから、帰る気に決まっている。
「なんでそんなことするの? それって女性ものなのに、どうして必要なの?」
答えないのに質問ばかりが飛んできてイラつく。
豊は1度振り向いて千秋を睨みつけた。
それでひるんで帰るかと思ったが、千秋はするどい視線をこちらへ向けたままで更に追いかけてきたのだ。
「女性ものの香水をつけるのがおかしいとか、そういうことを言ってるんじゃないよ? ううん、むしろそういう楽しめる趣味がるのはいいことだと思う。でも……盗んだよね?」
『盗んだ』と言われた瞬間足を止めてしまいそうになり、逆に早足になった。
家まではあと少しだ。
家に入ってしまえばさすがの千秋だって諦めてくれるだろう。
「今ならまだきっと間に合うよ。売り場に戻した方がいいよ」
すぐそばに家が見え始めてホッと息を吐き出した。
千秋はいつまででも豊の後ろをついてきて、豊はチッと舌打ちをした。
玄関の鍵をポケットから取り出すと、千秋も足を止めた。
大きな一軒家の前で足を止めた豊を、怪訝そうな表情で見つめている。
そう、豊の家は決して貧乏ではなかった。
一般家庭と比べてみれば裕福な方だと思う。
そんな豊が万引をしたことが不思議だったんだろう。
家がどれだけ裕福だって、中学生の豊がなんでもかんでも手に入れられるわけじゃない。
一月のお小遣いは決められていて、その中でやりくりをしている。
それに、香水に興味なんてない豊が両親に香水をねだるのは不自然だった。
絶対になにか聞かれるに決まっている。
だから豊は高級な香水を盗むことにしたのだ。
「なんで……」
千秋が最後まで言う前に豊は鍵を開けて玄関に入っていた。
そのままバンッとわざと大きな音を立ててドアを閉め、鍵も閉めた。
そこまでしてようやく千秋は静かになった。
それでも豊はすぐには部屋に向かわなかった。
玄関ドアに耳をピッタリをくっつけて千秋の様子を伺う。
千秋はしばらくその場にいたようだけれど、数分後ようやく諦めて帰っていく足音が聞こえてきたのだった。
☆☆☆
その翌日から豊は千秋のことが気になって仕方がなかった。
万引しているところを目撃されたのだから、当然だった。
「千秋、昨日さぁ」
「千秋ってさぁ」
そんな声が教室で聞こえてくるたびにビクリと体を震わせて耳をそばだててしまう。
いつ千秋が万引についてクラスメートに話すかもしれないと思うと、気が気ではなかった。
だけど学校内で千秋が豊になにかを言ってくることはなかった。
廊下で偶然すれ違うときに視線がぶつかると、なにかいいたそうな表情になる。
けれどなにも言ってくることはなかった。
普段どおりの生活を送っている千秋を見ていると、豊はだんだん怖くなってきた。
千秋はいつか万引のことを誰かにバラすんじゃないか。
先生、友だち、両親。
もしかしたらもっと大変な人たちにバラされてしまうかもしれない。
そう考えると豊の中で自分の人生が破滅へ向かっていく様子がいとも簡単に想像できた。
そしてだんだん、千秋のことが恐ろしく見え初めてしまったんだ。
だから……。
「千秋は成績がいいけど、カンニングしてるらしい。もうずっと前から」
同じクラスの一浩へそう伝えたんだ。
豊は一浩がいくら勉強してもいい点数が取れず、それを気にしていることを知っていた。
更にクラス内でも乱暴者で通っている一浩が、勉強ができる千秋を心の中で尊敬していることも知っていた。
「カンニング?」
一浩は豊の言葉にすぐに反応を見せた。
まるで苦くてまずいものを口の中に入れたときみたいな顔をしている。
「あぁ。どう思う?」
「どうって……」
一浩は教室にいる千秋へ視線を向けた。
千秋は友人らとの会話に夢中で、豊と一浩のふたりがこんな会話をしているとは思っていないみたいだ。
「カンニングして、ずっといい点数を維持してたらしい」
豊はまた言葉を続ける。
でもこれは嘘だった。
千秋のことが怖くてついた嘘。
「最低だな
」
一浩がぼそりと呟く。
その目は千秋を睨みつけていた。
「そういうの、最低だろ。俺みたいに一生懸命勉強してもいい点数が取れねぇやつだって沢山いるのに」
一浩の反応は想像通りのものだった。
それからだ。
一浩が千秋をイジメはじめたのは。
すべての話を聞こ終えた後、奈穂は震える両手で自分の顔を覆った。
まさかそんなことがあったなんて、自分はなにも知らずにのうのうと過ごしてきたのだと思うと、過去の自分を殴りたい気分だった。
もしも過去の自分がなにか少しでも知っていれば、そして行動していれば違った未来が来たかも知れないのに。
「一浩のイジメを誘発させたんだね」
奈穂は青い顔で横になっている豊へ向けて聞いた。
豊は小さく頷く。
首の傷はたいしたことなさそうに見えるけれど、苦しそうだ。
「どうしてちそんなことしたの?」
「千秋のことが怖くて……イジメることで黙らせようと思った」
最低だ。
なにもかもが最低だった。
自分が万引をして、それをバラされないようにするためにイジメを誘発させた。
「それって最低だよ」
奈穂の声が震える。
悲しみとか、憎しみとか、いろいろな感情が混ざりああって今の気持ちを表すことも難しい。
「俺だって……今までずっと真面目にやってきた。それが崩れるのが……嫌だったんだ」
豊は切れ切れの声で呟く。
そう、豊は真面目な生徒だった。
生活態度も成績も悪くない。
友だちだってたくさんいる。
「じゃあどうして万引なんてしたの?」
奈穂が質問したとき、豊の体がパッと消えるように灰になった。
そこにいたはずの豊の姿は消えて、珠美のスカートのかけらだけが取り残される。
「外に出たんだ!」
珠美が叫んだのとほぼ同時にチョークがひとりでに動き出した。
『望月豊は外へ出ました』
この文字が本当かどうかわからない。
奈穂は視線を黒板の上にある時計へやった。
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