第5話

しばらく待ってみるけれど、返答はない。

静かな教室内で、4人分の息遣いだけが聞こえてくる。


やっぱり、ダメか……。

これじゃいつまで経ってもなにもすればいいのかわからないままだ。


そう思って落胆しかけたときだった。

カッ。


小さな音が聞こえてきて4人はハッと息を飲んだ。

音が聞こえてきた黒板へ視線を向けると、折れたチョークが再び勝手に動き始めていたのだ。


珠美が青ざめて身を引く。

けれどその目は黒板に釘付けになって離れなかった。


チョークはカッカッと音を立てて一文字すつ言葉を書いていく。



「私への態度」



奈穂が書かれた文字を読み上げると、チョークはまた突然力をなくしたように落下した。

4人は絶句して黒板を見つめる。


天野千秋。

私への態度。



そう書かれていた文字がまるでの呪いのように4人の体に絡みついてきた。

でも、千秋はヒントをくれたのだ。


これを無駄にしてはいけない。

奈穂はどうにか恐怖心を押し殺してゴクリと唾を飲み込んだ。



「千秋への態度」



奈穂の声が震える。

全身に嫌な汗をかいて心臓が早鐘を打っている。


でも、ここで止まるわけにはいかなくて、全員の顔を見回した。

その中でただ1人、一浩が動揺を見せた。


顔を伏せて体を小さく震わせている。

この中では一番派手で負けん気の強い一浩では考えられない態度だった。



「一浩、どうしたの?」



奈穂が冷静な声で質問する。

しかし一浩は顔を上げずに「なんでも……」と、左右に首を振っただけだった。


だけどもうわかっていた。

この4人の中で一浩だけは千秋に復讐される存在だと、みんながわかっていた。


今更ごまかしたって遅い。



「一浩は千秋をイジメてた」



そう発言したのは珠美だった。

珠美はまだ青い顔をしているけれど、しっかりと一浩を見ていた。


その目は鋭く釣り上がり、まるで憎んでいるかのようだ。



「違う、俺は……!」



咄嗟に言い訳をしようとするけれど、続かない。

一浩が千秋をイジメていたことは事実だから、なにも言えないのだ。



「私も一浩が千秋をイジメているのは見たことがあるよ。だけどわからないことがあったの」



奈穂が一浩へ近づく。



「どうして千秋のことをイジメはじめたの?」



それは何度か目撃したイジメの中で最も疑問に感じていたことだった。

千秋は1年生の頃に学級委員を務めるような真面目な生徒で、クラス会や体育祭のときにクラスを束ねたりもしていた。


千秋の真面目すぎる面を疎ましく感じている生徒もいるようだったけれど、一浩が千秋をそんな風に疎ましく感じているようには見えなかった。


だから、一浩が千秋をイジメているのを目撃したときは、みんなが驚いたのだ。



「……確かに俺は、千秋をイジメてた」


☆☆☆


2年B組の教室内、朝のホームルームが始まるにはまだ早い時間でクラスメートたちは誰も登校してきていなかった。

そんな中、一浩が教室に一番乗りしていた。


朝の部活をしているわけでもなく、早朝から1人で勉強に励んでいるわけでもない。

そもそも一浩は勉強なんて大嫌いだった。


小学校の頃はある程度ついていけていた授業も、今はもう先生がなにを説明しているのかわからない。

それでも努力は裏切らないからと言われて頑張った時期もある。


そこで一旦成績が回復しても、サボるとすぐに元通りだ。

ずっと努力し続けることなんてできない。


息抜きの時間すら与えてくれない勉強を、どんどん嫌いになって行った。

今では成績は学年でも下から数えた方が早いし、先生からも両親からも何も期待されなくなっていた。


一浩にとってはそれが楽でもあり、少しばかり憂鬱なことでもあった。

そんな一浩が朝早くに来て一番に行ったのはカバンの中からマジックを取り出すことだった。


片手にマジックを握りしめて千秋の席へ向かう。



机はまっさらで少しの汚れもない。

几帳面で真面目な千秋のことだから、毎日掃除のときに丁寧に拭き上げているのが想像できた。


一浩はそのキレイな机にマジックでラクガキを始めた。

それも汚い、攻撃的な言葉を並べる。


とても言葉に出すことができないような言葉も、そこに書きつけた。

そして何食わぬ顔をして机に突っ伏して、千秋が来るのを待ったのだった。


登校してきた千秋の反応はそれほど大きなものじゃなかった。

自分の机を見た千秋はつらそうな表情を一瞬浮かべて、次には自分で雑巾を取りに行っていたのだ。


誰かに泣きついたり相談したりすることはなかった。

まるでこれは自分の仕事だと言わんばかりに無言で机を拭いていく。


その様子を見て一浩はますます腹が立った。

なんで泣かないんだ。


なんで誰かに相談しなんだ。



これで千秋が泣き崩れたりしていれば、まだ一浩の心はスカッとしていたはずだった。

でも千秋はそんなことはしなかった。


もしかしたら、誰かに相談することで今度はその相談相手がイジメられるかもしれないと、懸念していたのかもしれない。

そんな千秋にさらなるいらだちを覚えた一浩の行動はどんどんエスカレートしていく。


千秋がトイレに立ったすきに教室後方の千秋のロッカーを勝手に開けて体操着を切り裂いた。

体育館シューズは踏みつけてゴミ箱に捨てた。


その様子を何人かのクラスメートたちが見ていたけれど、誰もなにも言わなかった。

苛立っている一浩が怖かったし、なにより千秋に助けを求められていないことが大きかった。


千秋は強い人だという認識が、クラスメートたちの感情を麻痺させてしまっていた。

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