第3話
6月2日。
この日奈穂はいつもどおり8時に家を出て歩いて安岡中学校へ向かっていた。
通学路を歩いていると同じ制服姿の男女が次々と通り越していく。
自転車に乗った女子生徒が「奈穂、そんなにのんびり歩いてたら遅刻するよ」と、声をかけていく。
だけど奈穂は朝の散歩気分で学校まで行くのが好きだった。
今年はまだ梅雨入りしていなくて、丁度いい気温が心地よかった。
もう少しすれば梅雨に入ってのんびり散歩なんてできないだろうし、梅雨が開ければ猛暑が始まる。
こうしてのんびり歩けるのはあと少しだった。
道の花々を見ながら学校へ向かっていると、本当に遅刻しそうになってしまって最後の方は小走りだった。
校門前で待機している先生に挨拶をして一気に校舎へ駆け込んだ。
校舎の中はムッとした空気が漂っていて、その中には香水の匂いや食べ物の匂いが混ざり合っている。
そんな中2階にある2年B組の教室へと急いだ。
教室に入ると窓が前回に開け放たれていて、ほぼ密室状態の廊下よりもずっと呼吸がしやすかった。
「奈穂、セーフ」
後ろの席の友人が笑いながら声をかけてくるので、奈穂は同じように笑っておいた。
明日からはもう少し早くこなきゃな。
そう思ってカバンを机の横にひっかけたタイミングで担任の男性教師が入ってきた。
その表情は普段よりも険しくて、自然と教室内に緊張感が走った。
なにかあったのだろうということは、その雰囲気ですぐに伝わってくる。
先生は朝の挨拶もそこそに、神妙な面持ちで教室内を見回した。
「もう連絡が言っている生徒もいると思うが、昨日の放課後天野が交通事故に遭った」
その説明に奈穂は目を見開いた。
今、初めて知った情報だった。
千秋と仲が良かった数人の生徒たちへ視線を向けると、彼女たちはうつむいたり目元にハンカチを当てたりしている。
「静かに」
突然の事故の報告にざわめく教室内を鎮めるために、先生が声を張る。
それで教室内はすぐに静かになった。
「天野は今入院中だ。みんなも、気をつけるように」
どこでどうやって事故に遭ったのか。
その詳細を聞きたかったけれど、ホームルーム終了を告げるチャイムが鳴り始めた。
それでもこの日1日は千秋の事故のことでB組の話題はもちきちだった。
「事故に遭ったのは大きな交差点だったらしいよ」
「なぜか上履きで歩いてたんだって。事故の後に残されてたのを見た子がいるんだって」
そんな、本当か嘘かもわからない噂が飛び交っている。
奈穂も千秋と仲が良かった子たちに話を聞いてみたかったが、さすがに彼女たちはそんな雰囲気ではなかった。
千秋の事故を噂のタネにしてほしくないと、しかめっ面を浮かべている。
奈穂も、自分の友だちが事故に遭ってそれを噂にされたらとても嫌な気持ちになる。
だから、なにも聞くことはできなかったのだった。
☆☆☆
そして、現在。
日付が代わって6月3日になっていた。
「千秋って交通事故に遭ってまだ入院中のはずだよね?」
奈穂の言葉に珠美が頷いた。
「そうだよね。昨日のホームルームで聞いてびっくりした」
「今のこの状況は千秋が犯人ってことか?」
一浩の言葉に奈穂と珠美が視線を向ける。
いつの間にか一浩は立ち上がり、腕を組んで黒板を睨みつけていた。
「今、千秋は入院中って言ったでしょう? 入院中の人がどうやってこんなことをするの?」
奈穂は呆れ顔だ。
入院中じゃなくても、こんな手の込んだことが簡単にできるとは思えない。
「じゃあなんであいつの名前が黒板に書かれたんだよ」
「それは……」
わからない。
奈穂は途中で言葉を切って首を傾げた。
一浩からの射るような視線を感じてうつむく。
「例えばさ」
奈穂に助け舟を出すように口を挟んだのは豊だった。
全員の視線が豊へ向かう。
「千秋はすでに死んでいて、その復讐でここに閉じ込められたとか」
『復讐』という言葉に奈穂は眉間にシワを寄せる。
千秋から復讐される覚えはないし、そんなことをした覚えもない。
「復讐ってなに?」
珠美の声が震えている。
もしかしてなにか心辺りでもあるんだろうかと奈穂が顔を向けるが、珠美はただ今の状況を怖がっているだけみたいだ。
「なにが復讐だよ。バカなこと言うなよ!」
一浩が豊へ向けて怒鳴る。
「可能性を考えただけだろ? なんでそんなに怒るんだよ」
「そもそも千秋はまだ死んでない。復讐でこんなことできるわけねぇだろ!」
男子同士の激しい言い争いに耳を塞いでしまいそうになる。
奈穂は勇気を振り絞ったふたりの間に割って入った。
「今喧嘩をしている場合じゃないでしょ!?」
こんな狭い教室内で言い争いなんてされてはたまらない。
雰囲気が悪くなる一方で、助けが来るまでに疲弊してしまいそうだ。
「そ、そうだよ。みんなで考えなきゃ」
珠美が奈穂の後ろに回り込んで二人を説得する。
すると豊が大きく深呼吸をして心を落ち着けた。
「そうだな。こんなところで喧嘩したって外に出られるわけじゃない」
ようやく落ち着いてくれたようで、二人共距離を置いた。
奈穂はホッと胸をなでおろす。
でも……と、視線を黒板へ向けた。
黒板に千秋の名前が書かれたことは事実だ。
千秋が今回のことになにか関係しているからだろう。
「もしかして、どこかで見てるのかも」
ふと、奈穂はそう呟いていた。
「見てるって?」
珠美が首を傾げて聞いてくる。
奈穂は昔みたことのある監禁系のホラー映画の内容を思い出していた。
その映画の中では主人公たち数人が狭い部屋に閉じ込められて殺し合いをさせられるという内容だったのだが、殺し合いの内容はすべて犯人に見られていたのだ。
この教室のどこかにもカメラがあって、誰かが……いや、千秋が見ているのかもしれない。
「千秋は死んでないけど、なにか目的があってここに私達を監禁したのかもしれない」
奈穂がホラー映画の内容を全員に伝えると、重苦しい空気がのしかかってきた。
その映画で選ばれた人たちは無作為だった。
だから今回の私たちもクラスメートというだけで選ばれたのかも知れない。
そうだとすれば、すべて納得がいく。
「どこかにカメラがって千秋が見ているなら、声をかければ助けてくれるかもしれない」
珠美が期待に満ちた目を輝かせる。
奈穂は大きく頷いた。
そのとおりだ。
これは現実で起こっていることで、映画の中のお話とは違う。
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