第2話

一浩はぶつぶと文句を口にしながらまた椅子を窓に叩きつける。

本来ならすでに割れていてもおかしくない。

でも、窓はやはりびくともしなかった。



「もしかして強化ガラスになってるんじゃないか?」



そう言ったのは豊だった。

しかし、一浩はすぐにそれを否定した。



「いや違う。外に面した窓ならともかく、廊下側に面した窓だぞ? 何度も割れたことだってあるはずだ」



確かに、入学してから窓が割れたことが1度だけあった気がする。

そのときは男子生徒が悪ふざけで遊んでいて窓にぶつかったことが原因だったと、先生は言っていた気がする。


たったそれだけで割れるのに、今みたいに何度も椅子を叩きつけても割れないなんて、ちょっと考えられないことだった。

少し考えてから奈穂は自分でも椅子を持って窓に打ち付けていた。


もしかしたら、事故があってから強化ガラスに交換されたのかもしれない。

ガンガンと力づくで何度も椅子を窓に叩きつけてみるけれど、びくともしない。



それを見ていた豊がベランダ側の窓を割ろうと試みるけれど、これも失敗だった。



「なんだよ、これじゃ外に出られねぇじゃんよ!」



一浩が地面を蹴りつけて怒鳴る。



「どこかから出られるはずなのに……」



奈穂が息を切らして呟く。

ここは見慣れた自分たちの教室なのに、今は異質な空間に見えて仕方がない。



「あ、これなに!?」



出口がなくて呆然と立ち尽くしてしまったとき、珠美がなにかに気がついて声を上げた。

珠美は早足で教卓へと向かって、その上に置かれているものを手に取る。


蛍光灯の光でキラリと光るそれは……ナイフだ。

カバーもなにもつけられていないナイフが、教卓の上にポツンと置かれていたのだ。



「なにそれ。なんでそんなものがあるの?」



学校内にあってはならないものに奈穂が混乱の声を上げた。

包丁やカッターナイフならまだわかる。


どれも授業で使うものだからだ。

だけど本格的なナイフなんて授業でも使うタイミングはないはずだ。



奈穂は無意識の内に一浩へ視線を向けていた。

この4人の中では一番目立つ、派手なタイプの一浩だ。


一番ナイフを持っていそうな雰囲気だった。



「違う、俺じゃない」



奈穂からの視線に気がついて一浩が左右に首を振る。



「そもそも俺たちは何も持たずにここで目が覚めただろうが」



そう言われればそのとおりだ。

みんな普段持ち歩いているものをなにも持っていなかった。


ハンカチすらなかったのだから、4人のうちの誰かが持ち込んだ可能性は少ない。



「気味が悪いね」



珠美はそう呟くとすぐにナイフを教卓の上に戻した。

普段持っているはずのものがなくて、ないはずのものがある。



これこそ夢の中なんじゃないかと思えてくる。

奈穂はそっと自分の頬をつねってみたけれど、それにはちゃんとした痛みがあって顔をしかめた。


どうやら夢じゃないみたいだ。

時計の針は3時30分を差している。


夜明けまでまだまだ時間がありそうだ。

外に連絡をとることはできないし、自力で脱出することもできそうにない。


後は朝になって誰かが来てくれるのを待つ以外に手はなかった。



「どうなってんだよ意味わかんねぇ」



一浩が悪態つきながら床に座り込み、壁を背もたれにして目を閉じた。

それを見ていると一気に疲労感が溢れてきて、私も普段の自分の席に座った。


机に突っ伏して目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだ。

このまま眠って目が覚めたときに自分のベッドの上に戻っていればいいのにと考える。


本当に眠気が襲ってきそうになったそのときだった。

かすかに音が聞こえてきて私の意識は覚醒していく。



それはカッカッという、聞き慣れた音だった。

確かに聞き慣れている。


だけどそれがなんの音だったのか、思い出すまでに少し時間が必要だった。

そして音の正体を思い出すと同時に奈穂は顔を上げてみた。


みると豊と珠美のふたりが棒立ちになって青ざめている。

その顔は同じ方向を向いていた。


奈穂も自然と同じ方向を向き……そこで音の正体を知った。

それは先生が黒板にチョークで文字を書いているときの音と同じものだったのだ。


そして今、チョークがひとりでに浮いて黒板に文字を刻んでいっている。



「ひっ!」



奈穂が小さく悲鳴を上げて一浩も目を開けた。

そして黒板にその視線が釘付けになる。


誰もなにも言えなかった。

ただ黒板に勝手にかかれていく文字から目を離すことができなかった。


天野千秋。

黒板にそう書き記した後、チョークは突然力を失ったようにその場に落ちて折れてしまった。


その名前が刻まれてもまだ誰もなにも言わなかった。



その名前はよく知っている。

聞き馴染みもあったし、本人のことも知っている。

それなのに、誰も言葉を発することができなかった。



「こ、これって……?」



初めに引きつった声を出したのは珠美だった。

珠美は真っ青になり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。



「わからない。どういうこと?」


「きっとマジックだ。手品だよ」



奈穂と豊が立て続けに言った。

手品。


でも、じゃあそれを誰がやったのか?

互いに目を見交わせては左右に首を振る。


誰もなにもしてないことは、明確だった。

この部屋からは出ることもできないし、みんな黒板から遠い場所にいたからチョークを操ることだってできない。



「天野千秋って、千秋のことだよね?」



奈穂の声が震えている。

この非現実的な状況でなぜ千秋の名前が出現したのか、考えないといけない。


それなのに、恐怖心が勝ってうまく思考回路が働いてくれない。



「せ、先生ホームルームで言ってたよね?」



奈穂はどうにか自分の記憶をたどり、昨日の朝のことを思い出したのだった。

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