13 アナベル・ウィンダミア嬢の密会

「た、助けていただいてしまった……アナベル様、優しい方なのですね。あっ、ぼんやりしてはいられません、お役目お役目……」


 すう、と息を吐いてエリーシャは【同調シンク】を発動させる。思いがけない事態が起きはしたが、ようやくひとりになれた。

 屋敷の裏手から令嬢たちが集う庭園の方へと戻ると、ちょうどエリーシャについての話をしているところに立ち会った。


「エリーシャ様、お帰りになってしまったそうね……残念だわ、もう少しお話してみたかったのに」

「ドレスも本当に美しかったですわね、愛されている証拠です! ユーリス様に見初められるなんて、本当に羨ましいですわ……」

「でも、さすがに淑女レディとしてあの態度はいただけません。女主人ホステスの立場がないですわよね。いくら第二皇子殿下の婚約者とはいえ、お茶会を主宰されたマーガレット様に恥をかかせるなんて……ふふ、あの顔といったら。私、笑いを堪えるのが大変でした」


 概ねエリーシャへの好意的な評価が多かったが、マーガレットを苛立たせたことへのマイナス評価も目立った。面と向かって注意することは憚れたのだろう。人付き合いを嫌がって、引きこもっていたツケが回って来たらしい。心の中で謝罪しながら気配を遮断し、令嬢たちのそばに近づいた。

 彼女たちはエリーシャの存在を認識こそしていても「エリーシャ・フォレノワール」そのひとだとは思わない。参加者のひとりが、話の輪に加わったぐらいにしか思わなかった。


「あれほど博識な方を婚約者にお迎えなら、第二皇子殿下はやはり、皇帝になるおつもりかしら」

「しっ、滅多なことをお言いにならないで。お言葉がすぎますわよ」

「でも、うちの父などはユーリス殿下こそが皇帝になられるべきだと常々……」


 他愛もない話から急に風向きが変わったのを感じ、エリーシャは緊張した。


「ユーリス様って本当に素晴らしい方ですものね、気持ちはわかります」

「そうなのです! あれほど美しくて博識でいらっしゃるなんて。たった数歳の差で皇帝となるかどうかが違うなんて間違っていますわ」


 エリーシャがさりげなく話を誘導すると、父が第二皇子殿下を支持していると話した令嬢の言葉に熱が入った。


「第一皇子殿下も立派なお方じゃない。不愛想ですけれど、軍務にもお付きになって勇ましいお方だわ」

「でも不愛想で冗談も言わないのよ? ひとりよがりで下の者のお話をお聞きにならないのではないかしら。その点、ユーリス殿下はほら……お身体が弱いから」

「そうよね。周囲の皆で、支えて差し上げればきっと名君におなりになるでしょうね」


 そのとき、先ほど屋敷の裏手で別れたアナベルが薔薇園の方に向かうのを見かけた。エリーシャはそっと令嬢たちの輪から離れ、彼女のあとを追いかける。


 生垣は几帳面に手入れされ、見ごろは過ぎたものの小さな紫の薔薇が花をほころばせていた。奥へと進むほどに甘い香りがふわりと漂ってくるが、花のものではない。先ほどアナベルの肌から感じた香水のにおいだ。


 迷路のようになった垣根を曲がった先にある広場で、アナベルの紺色のドレスの背中が見えた。ぴんと背筋が伸びて、姿勢がいい美しい立ち姿だから見間違えるはずがない。


「……です」

「いや、おまえには……してもらわねば……いるだろう」


 距離があるせいで何を話しているのか判別は出来ないが、相手は男のようだった。【ミッドナイト・ティーパーティー】は淑女のためのお茶会であり、男性を招いていないとマーガレットは最初に説明していた。


 参加者に義務付けられている青のアイテムを着用していないことから間違いないだろう。使用人たちも、青いリボンタイを制服の中に取り入れていた。アナベルとはどういう関係なのだろう。仕立ての良いジャケットと帽子姿を見ても、やはり使用人でもなさそうだ。


「もう……でき……どうか、お願いします」


 もう少し近寄れば、話している内容がわかるかもしれない。そっと足音を消して歩いていくと「アナベル様」と彼女を呼ぶ令嬢の声が聞こえた。そろそろお茶会が終了する時刻のようだ。


「もう行かなきゃ」

「待て! 話はまだ……」


 踵を返したアナベルがエリーシャの方に歩いてきた。【同調シンク】を使ってはいるが、これ以上接近するとのぞき見していたことが発覚し――エリーシャだとわかってしまうかもしれない。


「誰だ!」


 急いで背を向けて走り出すと、立ち聞きに気付いたふたりが追いかけてくるのがわかった。


 息切れしながら角を曲がり、エリーシャは薔薇の迷路をひた走った。


 侯爵家自慢の庭園なだけあって、あまりにも広大だ。足音が迫って来るような気がして無我夢中で走ったがいつまで経ってもこの薔薇の生垣が続いている。無茶苦茶に走りすぎて来た道を辿れなかったらしい。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう――!


「っ、ひゃあ……!」


 そのとき、足元の小石に勢いよく躓いてしまった。下は泥道でぬかるんでいて踏ん張りがきかない。


「無理無理無理無理っ!」


 このまま倒れてしまっては追い付かれる、それに――ドレスがもう取り返しのつかないことになってしまう。なんとか踏みとどまろうと、生垣を掴もうとした手を誰かが背後から捕まえた。


 おそらくアナベルと一緒にいた男なのだろう。


 いま此処でエリーシャが捕まって騒ぎになれば、ユーリスの評判まで落ちてしまうことになりかねない。帰ったといって居座って何をしていたのかと問いただされてしまう。後ろからエリーシャの身体を抱きとめる男から、必死で手足をばたつかせて逃れようとする。


 そのとき、うなじ近くに、はあ、とため息が降り注いだ。


「おっと……まったく僕の婚約者は、無茶をするね」

「ゆ、ユーリス様……?」


 振り返れば、呆れた表情の婚約者が立っていた。どこだ、と男の声がする。迷路のように入り組んでいることが幸いしたのか、まだ気配は遠い。


「さて、と。追いつかれないうちに僕らはおさらばするとしようか」


 エリーシャを抱え上げると、迷うことなく正しい道を選んで颯爽と迷路を抜け出した。突如として現れたエリーシャとユーリスの姿を目にし、茶会に参加していた令嬢たちはそろって黄色い悲鳴を上げた。


「失礼、僕の婚約者が体調を崩したと聞いてね。ケネス侯爵令嬢、僕が迎えに来るまで休ませてくれてありがとう。この御礼はいつか必ず」


 まったく身に覚えのないことを言われたのだが、ユーリスの圧にあっさりと敗北したマーガレットが「いえ、こちらこそ」ともごもご返事をする。

 担がれたまま侯爵邸に乗りつけてきたユーリスの馬車にエリーシャを押し込み、【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】の会場を後にしたのだった。

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