12 対決!侯爵令嬢マーガレット様!!
「いい気になっているんじゃないわよ!」
びしゃ、とティーカップのなかに入っていた青い液体をぶちまけられた。
茶会の会場を片付けたいの、そう言われて庭園を出て屋敷の裏手へと連れて来られたエリーシャだったが、どうやらようすがおかしいと気づいた瞬間には紅茶まみれになっていた。
やってしまった――。エリーシャは白いドレスに青い染みがじわじわ広がっていくのを眺めながら、途方に暮れた。
銀色のワゴンの上に残されていた飲みかけの紅茶が入ったティーカップをマーガレットがひっつかんだときに、避けるなり手で庇うなりすればこの惨状は免れたはずだ。油断していたせいで起きた失態である。
冷めていたから火傷はしていないのだが、いかにも上質で高価なドレスを台無しにしてしまったことがあまりにも痛い。冷ややかに怒るユーリスの顔を思い浮かべると、ぞっと背筋が寒くなるが目の前のマーガレットには関係のないことだ。
とりあえずこの場を取り繕わなければならない。
さて、どうしたものか。寡聞にして知らないが茶を掛け合うのが淑女のたしなみ、最近の社交界における流行であるのかもしれない。平静を保とうと意識しながら思いついたままを、エリーシャは口にした。
「――ええと、確かこちらはお湯を注ぐと青色が抽出できるハーブティーですよね。レモンを入れると紫色に変わるとか……マーガレット様が今回のお茶会のためにご用意なさったのですか?」
「っ、馬鹿にしないで頂戴! あなたと来たらまた偉そうに知ったかぶりを披露するおつもり⁉ よくもわたくしに恥をかかせたわね……!」
茶の品評をしたことで油を注いでしまった。まさか、とは思ったがティーカップを片手に茶を掛け合う文化は存在しないようだ。
どうやら自分はマーガレット・ケネス侯爵令嬢の不興を買ってしまったらしい。心当たりがあるとすればひとつしかなかった。
「あの……マーガレット嬢。もしかして、あなた方はユーリス様に好意を持たれておられるのでしょうか……?」
「な、なによ、それがなんだっていうのっ、この化物!」
「そうよ、悪魔のようですわ。その赤い眼も、白髪も! 薄気味悪い……」
取り巻きの令嬢がマーガレットに同調するように悪意を向けた言葉をぶつけてきた。銀髪と白髪の境目など個人の主観に過ぎないし、容姿についてただ言及しただけだというのに、嘲笑と蔑視が込められると途端に鋭い刃となる。
ふつ、と泡が沸くようにエリーシャの腹の中で何かの感情の種が兆した。
ぼうっとドレスの染みを見ていたエリーシャが顔を上げると、令嬢たちは顔を引きつらせて後退った。
「ところで皆様方、効率的な染み抜きの方法などご存じないでしょうか。わたし、子どもの頃からそそっかしくてすぐ汚して叱られて……ふだんから白は着ないようにしていたのですが、今回は久々にやらかしてしまったものですから」
「ひっ、近寄らないで!」
エリーシャが一歩前に出ると、怯え切った表情のマーガレットが後退する。じりじりと距離を詰めるうちに、ついには踵が侯爵邸の外壁にぶつかった。
「あのう」
「近寄らないでって言っているでしょ!」
大きく振り上げた腕が、エリーシャめがけて落ちてきたときだった。
「――ケネス侯爵家のお嬢様が暴力ですか。呆れますね」
突如として割り込んできた女性の声に、マーガレットははっと我に返ったようだった。腕を掴まれて、身動きができずにいる。エリーシャとのあいだにいきなり割り込んだ人物をきっと睨みつけた。
「あなた……確かウィンダミア家の、アナベル様でしたかしら? 手をお離しになって!」
「彼女に手荒な真似をしないというなら、離します」
「わ、わかりましたっ、わかりましたから!」
茶色の髪を黒のリボンでひとつに束ね、夜空の色のドレスをまとった令嬢がエリーシャの視界に飛び込んで来た。カラーコードを忠実に守ってはいるが控えめで悪く言えば地味である。
アナベル・ウィンダミア――そうか、彼女が第一皇子殿下の想い人の。思いもよらぬ形で、兄から話を聞いていた人物に遭遇してエリーシャは静かに驚いていた。
特別目立つ服装ではないに目を惹くのは、彼女自身の背が高く、均整の取れた身体つきをしているせいだろう。すらりとしなやかに伸びる長い手足にエリーシャは目を奪われた。
マーガレットたちが決まり悪そうにこの場から離れていくのを確かめてから、アナベルはエリーシャを一瞥した。
「貴女も……あまりこの手の場に不慣れなようですね。女主人よりも注目を集めれば反感を買うのは当たり前です。それくらい予想できたでしょうに」
「あっ……申し訳ありません、そうか、そうですよね。知識をひけらかして馬鹿にしているのかと思われた、と……なるほど、それは失礼なことをしてしまいました。教えてくださってありがとうございます」
エリーシャを眺め、アナベルは呆気にとられたような表情をしていた。
「貴女……おかしな方ですね」
「田舎者で、あまり人付き合いをしてこなかったものですから社交界に慣れていないのです……もう十八になるのにお恥ずかしい限りなのですが」
はあ、と息を吐いたアナベルがすぐに去って行こうとしたので「あの」と思わず呼び止めていた。べつに睨んでいるわけではないのだろうが、つり目ぎみの双眸のせいか視線の圧が強い。
「どうして、わたしを助けてくださったんですか」
「お気づきではないかもしれないですが、貴女、ひどい顔していたもので。ひとを殺しそうな眸をしています」
「……えっ?」
エリーシャが戸惑っていると「冗談ですよ」とアナベルは肩を竦めた。
「他に何か、私に御用がおありでしょうか、フォレノワール伯爵令嬢。ひどい茶番でを見せられたティーパーティーでしたが、これから一緒に侯爵家ご自慢のお庭を散策でもしますか?」
「いえ……あの、私は先に帰ります、ドレスも汚れてしまったので」
「そうですか」
淡々とした口調で応じていたアナベルが、興味を失ったようにエリーシャから離れていった。
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