14 きみはぼくのもの

 説明してもらおうか、とユーリスは寒気がするほどに冷ややかな微笑を顔に張りつける。サフィルス宮殿のエリーシャの部屋で、帰宅直後の婚約者の頭のてっぺんからつま先までひととおり眺めたユーリスは、いかにも不機嫌そうに見えた。


「あ、その……ええっと」

「まずそのドレスの惨状から頼むとしようか。想像するに難くはないのだけれど、いちおう君の口から聞かせてもらいたいな」


 お茶会【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】に合わせて準備された白のドレスは、前身頃から裾にかけて青い染みが派手に広がっている。茶会の趣旨には合う色合いだが、繊細なドレスの生地に沁み込んだ色素のインパクトが強すぎた。率直に言えば台無しである。


「ちょっとした事故が……」

「事故、ねえ。たとえば、君に嫉妬したどこかの令嬢が色水でも浴びせた、とか?」

「いえ、ただの変わった色のお茶なので危険な薬品ではなくて……」


 苦笑いしながらエリーシャが言うと、ユーリスはぎょっとしたように目を見開いた。


「……何だって?」

「ですから、ただのお茶……」

「脱ぎなさい」

「えっ」

「早く。これは命令だよ」


 焦ったようにユーリスがエリーシャのドレスの襟を掴んだ、ぐずぐずしていたので自分で脱がせようと思ったのかもしれない。よほど怒っているらしく、いつだってたやすことのない笑顔が崩れていた。


「ちょっ、やめ……ユーリス様っ、お待ちください……! 自分で着替えるのですこし部屋を出ていただけますか⁉」


 ようやく頭に血を上りすぎていたことに気付いたのだろう、ドレスを引っ張っていた手をユーリスは慌てて離した。


「ちっ――わかった、僕は後ろを向いているから。メアリ、エリーシャが脱ぐのを手伝いなさい」


 部屋の隅に控えていたメイドがすっと歩み出て、エリーシャのドレスに手を掛けた。きつく締めあげていた背中の編み上げ部分を緩め、肩から腕にかけての袖部分を引き抜く。ふわり、とドレスが足もとに落ちた。


「火傷は? 痛むところはない? まさかとは思うけれど、すぐに冷やしたんだろうね?」

「あ……あの、冷めていたので、それは大丈夫、です……」

「メアリ。エリーシャに怪我はないかな?」


 メイドが下着姿になったエリーシャの身体を丁寧に検分する。優しく触れられ、くすぐったかった。


「はい、ユーリス様。問題ございません、念のため濡れた手巾で冷やされた方がよろしいかと」

「そうしてくれ。準備を頼む」


 エリーシャを普段から着ているシンプルなグリーンのアフタヌーンドレスに着せ替えると、準備をするためにメイドは退室した。


「で、僕はもう振り向いてもいいのかな?」

「は、はいっ……大丈夫、です」


 見慣れた姿のエリーシャに安堵したかのように、ユリウスは息を吐いた。相変わらずご機嫌はあまりよくなさそうだった。腕組みしながら、エリーシャをじっと見つめている。


「まったく君は……肝が冷えたよ」

「も、申し訳ありません、大事なドレスを台無しに……」

「ドレス? ああ――そうだったね。仕立てた職人は残念がるだろう、君に良く似合っていたから」

「え?」

「ん?」


 微妙に話が噛み合っていないような気がするのだが、ユーリスはいらいらしたようにエリーシャのベッドに勢いよく腰かけた。


「――さて、誰なのかな? エリーシャに真っ青なお茶を振る舞ってくれたのは」

「あの……ユーリス様、今回のことはただの事故で、大ごとになさらなくても良いのでは」


 マーガレットを気遣うことが出来なかったエリーシャ自身が招いた種だ。ことさら話を大きくしてはケネス侯爵家との関係も悪化してしまうかもしれない。犯人を明かそうとしないエリーシャにユーリスは焦れたように追及してきた。


「ねえ、君は何を言っているの? 僕の婚約者を辱めたのだから、それ相応の報いは受けるべきだよね?」

「辱めたって、お茶が零れただけですし、そこまでのことではっ、ひあっ!」


 正面に立たされていたエリーシャの手を、ユーリスは思いっきり引っ張ってきた。派手に躓いてベッドの上に倒れ込むとすぐ隣に、ひどく美しい顔がある。金色の睫一本一本まで、はっきりと見えた。


「……エリーシャ、君は理解していないだろう?」


 手を繋いだまま少しかすれた声音で囁かれ、かあっと頬のあたりが発火しそうなほどに熱を帯びた。心臓が壊れそうなほどに騒いでいる。

 勘違いするな、ユーリスはエリーシャを目的のために利用しているだけだ。心まで操って、思いのままに動かそうとしている、だけ……のはず、で。切なげに伏せた眸のあおが、揺れていたように思ったのはエリーシャの気のせいだろうか。

 

「な、な何を、でしょう、か」

「……いいかい? 自覚しなさい。君は僕の所有物、僕のものを傷つけたのなら僕自身を傷つけたに等しいってことだ」


 所有――そうだ、突きつけられた冷ややかな言葉に、心臓の鼓動がだんだん収まっていくのを感じた。ユーリスは自分を侮り、さげすんだ相手に対して激しく憤っているだけでエリーシャのためにどうこう、というつもりがないのだ。

 これは、彼を愛する数多の淑女たちが夢見るような甘い寵愛ではない。エリーシャは彼のための道具であり、共犯者――秘密を守るために繋がっただけの関係に過ぎないのだから。


「エリー」


 優しく愛称で呼ばれたとしても、動揺なんかしない――はずだった。


「キスしようか」

「え?」

「日常的に……すこしは婚約者らしいこともしないと、君は自分の立場を忘れてしまうようだしね」


 断る暇も与えられず、性急に唇が重なって来た。そもそも顔が間近にあったのだから予備動作も何もなかった。すっと押し付けられるようにして触れた体温が、一瞬で離れていく。


「――なるほどね。そういうことか、はは、まったく面白いな、きみは」

「キスをした直後に笑われる、というのもなにやら……複雑な心境なのですが」


 そもそも合意した覚えもないのだが、ユーリスが口づけてくるときはいつも突然だ。エリーシャの許しなど不要だと言うかのように――ただ、こうした親密さを装うための接触にも慣れつつあるの事実だ。ユーリスなら仕方がない、ユーリスならいいか、と考えてしまう。


「ふふ。僕の婚約者が愛らしくてかなわないな、と思っただけのことだよ」


 ごろりとベッドに横たわりながら、楽しそうに笑うユーリスを見ているとなんだかエリーシャも自然と口元が緩んでいた。


「心にもないことを言わないでください」

「そう? 僕の真意を確かめてみたいのなら、協力するのはやぶさかじゃないよ」


 いたずらっぽく瞬いた碧い眼に促されるままに、エリーシャはを閉じた。

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