第三章 秘密の逢瀬
15 お茶会の報告をさせていただきます。
いかにも恋人――否、婚約者にふさわしいふれあいを試みていたところで、メイドが戻って来た。慌てて距離を取ったエリーシャが、手当てを受けているあいだユーリスはさりげなく席を外していた。
冷やした手巾で、直接かかったわけでもないお茶の痕跡を拭い、衣服を整えた頃にユーリスがエリーシャのもとを訪ね、入れ替わりにメイドが部屋を出て行った。
「本当に怪我はなかったんだろうね。君は少し鈍感なところがあるから」
「さすがに痛みに気付かないほど鈍くはないです」
からかうように言ったユーリスが、ソファに長い脚を組んで座った。エリーシャはその向かいに腰かける。咳払いをしてからエリーシャが茶会の件について報告すると、ユーリスは興味深そうに相槌を打っていた。
「ええっと、追加情報としては……そうですねえ、いかにも令嬢にふさわしい関心事、好みの男性のタイプ、流行りの仕立屋、お菓子とお茶……について、はご興味がないですよね」
「そういった話題は、いかにも僕が退屈しているときにでも教えてくれるかな?」
「え、えへ。ですよね。他に大きな関心事としては、そうですね……皇位継承権について触れる方が多かったようです」
「……そう」
ユーリスは黙ったまま、手を組み直す。反応を見ながらエリーシャは続けた。
「ヴェンダー男爵家、グリスター伯爵家の令嬢は第二皇子殿下を支持している、と。友人たちにも第二皇子派に回るように声をかけていました」
「ちなみにどこの家門かわかる?」
「アリエリー子爵家、スローム伯爵家、ミレッティ侯爵家です。アリエリー家は皇宮警護官を務めておられますね……スローム家は財務部、ミレッティ家は人事に関して顔が利きます」
すらすらエリーシャが口にするとユーリスは呆気にとられた表情をしていた。
「……驚いた。一介の伯爵令嬢がよくそこまで帝国の人間関係を頭に入れているね」
「お茶会の参加者の名簿は事前に頂いていましたので――過去の記憶を少し振り返ったのと、兄経由で少し調べておいたんです」
ケネス侯爵家の茶会に招待された、失礼がないようにしたいから――と言ってよく有力貴族のサロンに出入りしていて顔が広い次兄のウィルバーから、世間話が出来る程度には事前情報として仕入れていた。
「上出来だよ。エリーシャは偉いね、いい子いい子♪」
「もしかして……馬鹿にしているんですか?」
とんでもない、とユーリスは肩をすくめた。
「……そういえば君の能力って、ひたすら地味になること、でよかったのかな?」
「言い方に悪意を感じるのですが……まあ、そういうことです、ね。可能な限り存在感を消して、他者に認識されにくくするというもの、という感じでしょうか」
ものすごく接近されれば気づかれるし、茶会のときのように物音を立ててしまえば存在を意識されてしまう――それにエリーシャより上位の能力者、たとえばフォレノワール家の面々などには効果がない。
発動していてもエリーシャがそこに「いる」とわかってしまうのだ。
「ふうん、そういうものか。仕組みはなんとなく理解したよ」
「偵察とかするにはそこそこ便利なので、情報収集役は大体わたしです……税の着服が疑われる家門に潜り込んだり……あ」
ユーリスがにっこりと微笑んでいる。最近気が付いたが、こういう笑い方をするときは何か、怒っているときだ。いちはやく失点を取り戻さなければならないが、エリーシャは自分の発言のどこがユーリスの気に障ったのかわからなかった。
「――危険なことをしていた、と?」
「き、危険というほどでは! あの、影から……こう、帝国の秩序を守るのがフォレノワール家の使命というか、代々行ってきたことで」
私刑を行うわけでもない。不正を行っているような気配があれば、その調査をして証拠を掴み、匿名でしかるべき機関に提出しているだけだ。
他者にはない力を持って生まれた家系としての社会貢献であり、ただの信仰のための行為でしかない。こうした積み重ねによりフォレノワール家は、
「
なんだか嫌味っぽい言い方だ。むう、と唇をくっつけて失言をしないようにエリーシャは我慢した。そんなようすに気付いているのか、いないのかわからないがユーリスは「アナベル・ウィンダミア嬢が気になるな」とぽつりと呟いた。
アナベル――多くいた令嬢の中でも、彼女だけ異質な感じがした。ケネス侯爵令嬢の意に反してまでエリーシャを庇ってくれたということもそうだが、積極的に令嬢たちの話に混ざっていた印象もない。
ただ、何かを探すようにティーテーブルの上を見ていた。
それに薔薇園の中で話していた男は何者だったのだろうか。
「あ、あの……実はこれは言っていいのか悩むところなのですが、どうやら第一皇子殿下の想い人らしくて」
「へえ、兄上のねえ……ウィンダミア嬢は何回か見かけたことはあるけれど、あの手のタイプが好みとは少し意外かな。小動物みたいな、可愛らしい子が好きかと勝手に思っていた」
興味深そうに眼を細めたユーリスが悪戯っ子のようににやりとした。
「あの……ジェスタ第一皇子殿下とユーリス様は仲が良いのですか」
「仲が良いように見える?」
見えない。
何も言わずとも伝わってしまったらしい。ひどいなあ、と言いながらもユーリスはそれほど気分を害したようすがなかった。
「僕も兄上もどちらも皇后の子、異母兄弟だから継母に虐げられた、なんていう過去もない。兄弟仲が悪い理由がないと思わない?」
「質問したら質問を二倍重ねで返されてしまいました……」
「僕はエリーシャの考えを聞きたかっただけだよ。ねえ、僕たち兄弟は君の
ユーリスの双眸がエリーシャを捉える。答えるまで逃がさない、と強いまなざしが語っていた。
「……これは、わたしの話ですが――フォレノワール家の中で、わたしだけ能力がその、地味、で……父や、兄の能力は派手で、強力なので、一緒にいても引け目に感じていて。唯一、まだ力に目覚めていない妹と一緒にいるときは気楽でした」
ないがしろにされているわけではないし、大事に想ってくれているのはわかる。でも同じ場所にいたとしても置いてけぼりにされたような心地がしていた。
「きょうだいだから、家族だから。一緒にいるのが苦しいこともあるのではないかと思ったのです」
ユーリスはしばらくのあいだ黙って、エリーシャを見つめていた。
「ところでエリー。
家族、ということは。一瞬、エリーシャは思考が停止した。
「父上、つまりはヴィーダ帝国の皇帝陛下。そして話題の第一皇子――ジェスタ兄上だね。君も当然知っているだろうけれど、母が亡くなった後に父は新しく妻を迎えなかったから口うるさい姑はいない。安心するといい」
「皇帝陛下、皇太子殿下と食事会……」
考えただけで胃もたれが思想だったところに、ユーリスはさらに付け加えた。
「あとは叔父上の家族が招かれているはずだったかな」
「……モーヌ公爵、ですか。お子様が二人、でしたっけ」
モーヌ公爵家の嫡男は一年前まで他国に留学しており、ヴィーダ帝国に戻って来たばかりだ。帰国後は父の公爵の補佐役としてヴェルテット宮殿に出入りするようになり、頭角を現しているという。
「そう。今回参加するのは君も知っている兄、リアン・モーヌ公子ではなくて弟の方でね、あのクソガキ……失礼、生意気盛りの可愛い少年だよ」
「わたし、妹ではありますが姉でもあるので年下の子の扱い方は心得ております!」
「そうだね、期待しているよ……」
自信満々で請け負ったエリーシャからユーリスは目を逸らした。
「まあ、君との婚約には僕が強硬的に持ち込んだわけだけれど――そろそろ第二皇子の婚約者の品定めをしようという腹じゃないかな。老害はいつだって若者の決断にケチをつけたがるよね」
老害、には公爵だけではなく皇帝陛下も含まれているだろう。恐れ知らずというかなんというか、ただユーリスの口が悪いだけかもしれない。
「ねえ、エリーシャ。僕たちのこれからの計画のためにも、此処で君が『婚約者の資格なし』と追い出されるのは困るんだ」
組んでいた脚を下ろし、ユーリスは膝の上で頬杖をついた。
「そのためにも、すこし練習をしておこうか」
「……練習、ですか?」
ユーリスの意味ありげな微笑に、エリーシャは嫌な予感がしたのだった。
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