04 異能令嬢、求婚される(婚約は契約的に)
「……うん、成程。理解した」
「な」
ユーリスの美しい顔が遠ざかるのを待ってからエリーシャは叫んだ。
「な、何が『成程』なんですかっ」
年頃の令嬢の唇を奪っておいて「成程」ってなんだ。しかもキスまでの流れがあまりにも雑というか唐突すぎる。
「エリーシャ、君はキスするの初めて?」
「は、はあ……初めて、ですが」
「そう。初めては甘い方がいい思い出になるだろう? キスへの嫌悪感も薄れるだろうしね」
ユーリスがキスの直前に茶菓子を口内に押し込んだことの説明のようだが、エリーシャが気にしているのはそこではない。
「き、キスしないでください⁉」
「ああ……ごめんね? 君があまりにも愛らしいものだから、つい」
つい、じゃない。しかもその理由がどうにも嘘くさい。恋愛感情以外で口づけする意味がエリーシャには理解不能だった。
もしや何か目的があり、自分を誑かして何かを引き出そうとしている、とか……いやいや、そんな、ユーリスの狙いがなんだとしてもいまは何も考えられない。
「そうだね。名残惜しいなら、もう一度しようか」
「しませんっ」
必死に意外とたくましい胸板を押し返すと、ユーリスはくすくすと笑った。
「心外だな。キスの誘いを嫌がられることは稀なのだけれど」
「それは貴方が第二皇子殿下だからなのでは⁉」
「ふふ、そんなふうに言われると僕が権力を使って、女の子を意のままにしているみたいに聞こえるじゃないか――それに、君も僕の容姿は気に入っているものだと思っていたのに」
まさか妖精のよう、などと考えたことが見透かされていたのか。エリーシャは青ざめた。ユーリスは、頭に浮かんだこっ恥ずかしいイメージを掻き消そうと首をぶんぶん振っていたエリーシャの手を取った。
「君は月の女神の『物語』の続きを知っているかい?」
「え、ええ。月影の民の指導者が、我がフォレノワール家の祖先だと言われていますので」
――月の女神は、帝国に統治されるようになってからも自らへの信仰を失わなかった月影の民たちに加護を与えた。その力で以て、この美しい大地を慈しみ、見守るよう愛する民たちに「役目」を与えたのだ。
そんなふうにあいまいな言葉で、締めくくられる。役目ってなあに。そう子供が尋ねたとしても、その答えを知る者は、ヴィーダ帝国の中でもほとんどいない。
エリーシャが語り終えると、ユーリスは満足げに目を細めて言った。
「エリーシャ・フォレノワール嬢――僕と、結婚していただけますか」
「……は?」
「拒否することが出来ないとは理解しているね? ――よろしい。正式な求婚書は後日、フォレノワール伯爵家あてに送るから君も目を通しておいて」
一方的な宣言の後に、ユーリスは席を立った。
君のために用意した茶菓子だ、存分に味わっていくと良い――そんなふうに言い残して四阿から立ち去ろうとしたのを、はっと我に返ったエリーシャが引き留めた。
「え、あ、待ってください、ちょっと――あの何をおっしゃっているのですか?」
「はあ……頭が悪い子は嫌いなんだよね……君はもう少し物分かりがいい子だと思っていたのだけれど、僕の見込み違いだったかな」
冷え切った声音が、矢のようにエリーシャに突き刺さる。
振り返ったユーリスの眸は笑ってはいなかった。口元は刻んでいるというのに、凍てついた色の双眸が孕んだ苛立ちに肌が粟立つ。
「――フォレノワールの血族は、不思議な能力を持っている。長男のラーガは一瞬で長距離を移動できる『風の脚』、次男のウィルバーは見つめた者を虜にする『魅了の眸』」
すらすらとユーリスが口にした言葉をすぐには受け容れることが出来ず、茫然としていたエリーシャを彼は嗤った。
「そして君は、そうだな……限りなく自分の存在感を消して誰の目にも留まらないように行動することが出来る。いうなれば周囲との『同化』だ。確かにそこにいるのにいない。まるで透明にでもなったかのように。違うかな?」
「……っ、あ」
どうして。
エリーシャが言葉に詰まったことこそが答えだ、とでも言いたげにユーリスは笑みを深くした。どうしてだろうね、と言いながら前髪を搔き上げる。金髪が月光を弾いて、たったふたりきりの庭園にきらきらと星を降らせた。
「君たちがそんな能力を持つ理由は……ああ、そうだね。もう少し、君の身体に訊いてみないと確認は出来なさそうだけれど、その反応を見る限り、僕の推測は概ね当たっているらしい。だけど顔に出やすいのは困りものだね――僕たちはこれから、助け合わなくてはならないのだから」
「助け合う……?」
早口に語られるユーリスの言葉をすぐに呑み込み、理解できるほどエリーシャは冷静ではなかった。早鐘のように打ち続ける激しい鼓動と困惑で完全に思考が停止している。
そんなエリーシャのようすに焦れたようにユーリスは目を細めた。
「まずは婚約から始めよう。段階を踏んで、少しずつ……君のすべてを僕のものにする」
青い月明りを背に、ユーリスは両手を広げる。ひんやりとした夜の空気を深く吸い込んで、瞑目する姿は夜を統べる王のような貫禄があった。
「君には僕の味方になって欲しいんだ」
「殿下には……敵がおられるのですか」
深く考えずに口にしたエリーシャに、ユーリスは面白がるような素振りを見せた。
「敵か。ふふ、そういうことになるのかな……障害、とでも言うのかな。僕の目的の邪魔をする者。うん、そうだね、やっぱり敵かな。敵はやっつけないとね」
子供じみたあどけない口調だった。やっつける、という言い方も……障害を排除するということさえ、遊戯盤の上の一手に過ぎないとでも言いたげな軽さがある。
深く虚ろな洞を覗き込んだような恐ろしさをおぼえて、エリーシャは両腕を搔き抱いた。
「協力してくれるね、エリーシャ。僕の目的が果たされたあとには離縁してもかまわない。君の求めに応じよう。それから望むものはなんでもあげる。富も名誉も地位も、必要でさえあるなら『愛情』も」
ユーリスは自らの美貌に自覚的だ。蠱惑的な表情で、いままで何人の女性を虜にし、愛を囁いてきたのだろう。
君だけだよ。君が必要なんだ、そんな甘くてねっとりとした蜜のような毒で彼が信じ込ませようとしているように、この条件が自分のためだけに与えられた特権なのだとはエリーシャには到底思えなかった。
底の知れない男の考えを、そのまま受け入れるのはあまりに危険すぎる――それなのに、惹きつけられてしまう。
ユーリス・モレットという青年は、不思議な引力を有していた。
「悪くない条件ではないと思うから、じっくり考えてみて。エリーシャ」
胡散臭いとしか思えない笑顔さえも、美しいと思えてしまうほどに。
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