31 第二皇子とその婚約者のワルツ

 舞踏会が始まる前に社交界デビューデビュタントの少女たちが、皇帝への挨拶を行い、貴族社会の仲間入りを果たす。


 真っ白なドレスに身を包んだ年頃の令嬢たちが手を繋ぎ合い、輪になって踊るさまは雪の妖精のダンスのようで会場に集う紳士淑女はそろって相好を崩した。その後、選ばれたひとりの少女が聖句を唱える。


『帝国に繁栄を――終わることのない勝利を、我らが君に、我らが神に。紅き血を糧に、捧げられた銀の仔羊を平らげ帝国にとこしえの平和をお与えください』


 その役目を果たす今年の聖少女グレイスは、ケネス侯爵家の末娘――以前、エリーシャが参加した茶会の主催者、マーガレットの妹だった。兄のエスコートで入場した金髪の巻き毛が愛らしい少女を称え、大きな拍手が巻き起こる。


 この儀式を以て、【祝勝祭】グレイス・ヴィクトリアは開催された。 


 続いて管弦楽団による舞踏曲の演奏が、黒い燕尾服の指揮者の合図で始まった。静かな和音がホールの高いドーム状の天井を震わせ、伸びやかな弦楽器の音色が響き渡る。

 第一皇子と第二皇子、二人がそれぞれのパートナーと共にファーストダンスを披露するのが習わしだ。立ち位置は決まっていて、ホール中央でもジェスタ第一皇子が皇帝側に立ち、ユーリスは聖堂の大神官がいる側に立つ。

 ダンスが始まる直前から無数の視線が矢のように突き刺さった。皇子の評価は変わらずとも、パートナーに対しては値踏みの意味合いが強い。


「エリーシャ」


 視線でユーリスが促してくる。差し出された手を取って、くるりくるりと円舞が始まった。

 落ち葉が舞い散るように、氷の上を滑走するように滑らかな足取りで決まったステップを踏んでいく。淑女教育の基本の型となるダンスだから難しくはないはずだった。ワンツースリー、でターン。後ろに下がる動きがとても苦手だったことをエリーシャはいまさらながら思い出した。


「っ、と!」


 お約束のように躓いてしまった。もちろんわざとではないのだが、ユーリスにしがみつくような格好になってしまったところをさりげなくユーリスが体勢を変えたので、失敗したとは見えずに済んだ。何もかもが演出のようにすら感じさせる技術にエリーシャは舌を巻いた。


「もう少し集中してほしいな、僕の婚約者さん?」

「うぅ、ごめんなさい……」

「冗談だよ。いくらでも失敗したって構わない、全部僕がカバーするから――君には絶対に恥をかかせない」


 思いもよらなかった言葉をかけられて、一瞬反応が遅れてしまった。


「あ」


 ぎゅむ、と爪先がユーリスの足を踏んでいた。


「もしかして……わざとかな?」

「ちちち、違いますっ! ユーリス様がいきなり優しいことを言うのが、意外で……驚いてしまっただけで」

「ひどい言われ様だね」


 エリーシャとユーリスのいかにも親密そうなやりとりに気付き、微笑ましげに見守っている者もいれば、あまりにもどんくさい伯爵令嬢の姿を見て敵愾心を燃やす者もいた。こいつなら勝てそうだ、などと思う令嬢も少なくないのかもしれない。


 見栄えこそいいのだが、注目されることに慣れていないエリーシャはどうしても身体の動きがぎこちない。その緊張はユーリスにも伝わっているのだろうが、平然としていた。背後で響く激しいトリルに縺れそうになるエリーシャの足を、ユーリスが誘導して転ばせないように身体を預けさせる。


「きみと踊るのは、あの日以来だね」

「ええ……あの、ユーリス様がわたしに唐突すぎる求婚プロポーズをなさった」


 まだ一年も経過していないのに、まだダンスだって二回目だというのにキスは既に何回もしている。そんな奇妙な関係を自分が受け入れ始めていることが意外だった。嫌だ、早く逃げだしたい、そう思っていたのに。


「僕のことだけ考えなさい」

「……え?」


 また何か間違えてしまったのだろうか。むすっとした表情のユーリスがエリーシャの瞳をまっすぐに見つめて言った。


「余計なことを考えずに、僕を見て。僕のことを意識すればいい」

「それは……どういう意味、でしょうか」


 さあね、と言ったきりユーリスは口を噤んでしまった。

 変なひとだ――エリーシャは先ほどからずっと、ユーリスのことしか考えていないのに。


 きらめくシャンデリアの明かりを浴びながら、エリーシャはもう一組のダンスをちらっと見た。エリーシャのように慌てることなく、アナベルはジェスタの力強いリードに応えて完璧なステップを踏んでいた。焦って、基本の動きすら間違えてばかりのエリーシャとは大違いだ。ついついよそ見をしてしまっていたところ「集中しなさい」とパートナーから檄が飛んで来たので、おざなりに背筋をぴんと伸ばした。


「アナベル様はすごいですね……」

「エリーだってちゃんとやれているのに、隙が多すぎるんだ」

「そうでしょうか」


 そうだよ、とユーリスは淡々と応じる。

 足を踏まれても動きを間違えても怒ってはいないようでエリーシャは安堵した。奏でられた音色に合わせ、ぴたりと足を止めてお互いに礼をする――これでダンスは終了だ。

 わあと歓声と共に大きな拍手が巻き起こった。


「ユーリス様」


 小声で呼びかけると、正面を向いたまま「ああ、任せるよ」と意を汲んだ返答がある。ダンスホールに波のように起こったざわめきは、ダンスの誘いをするものだった。次からは【祝勝祭グレイス・ヴィクトリア】参加者全員が自由に踊ることが可能となる。見世物はこれにて終了、というわけだ――ここからがヴィーダ帝国の社交の本番となる。


 続いて、そのほかの参加者もダンスを始めるのだ。

 この舞踏会では、ルシャテリエ宮のダンスホールで次から次へとパートナーを変えながら夜通しダンスを踊ることになる。

 エリーシャがユーリスのそばを離れると、蜜に群がる蜂のように令嬢たちがわっと近づき、【帝国ヴィーダの薔薇】と距離を詰めた。

 ユーリスは本調子ではないし、何度もダンスを踊ることは出来ない。限られた機会を得ようとはしたない行為と呼ばれそうな大胆な行為に打って出る令嬢も、それを後押しする両親の姿も見受けられた。


「ユーリス様……」


 思わず振り返ってユーリスを見遣ると、唇だけを動かして言った。


 ――きみは、きみにしか出来ないことを頼む。


 向けられた微笑みの意味を理解し、大きく頷いた。エリーシャはそっとホールの中央から離れた。

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