32 影のようにひそやかに

 「次は私とダンスを」と興味本位で第二皇子の婚約者へ声を掛けてきた青年たちをなんとか振り切って、ホールの隅まで避難した。こういった場では常に壁際が定位置だったエリーシャは、本来の場所に戻ったような心地でほっとする。


 ダンスホールのあちこちに、帝国が勝利した国の数を模した白銀の星飾りが掛けられていた。そのなかのひとつにはフォレノワールのものがあるのだろう。

 月影の民は争いを好まず、占領されたときも抵抗することなく帝国の支配を受け入れたという。それが真実であるかはわからないが、いまのエリーシャはヴィーダ帝国の民のひとりだ。

 婚約式や【祝勝祭グレイス・ヴィクトリア】で行われた儀式に代表されるような帝国式の信仰は持たずとも、この国が――ヴィーダに暮らす人々が幸せに暮らせたらいい。


 そのためにも、エリーシャが出来ることをやらなくては。

 ただの直感で、根拠などないけれど――彼を支えたいという気持ちを強引に理由付けしているのだとしても。ユーリスの目的は、間違っていないように思えるのだ。


 第二皇子の婚約者ということで、いつもにも増してじろじろと見られているので非常にやりにくいのだが、ひとまず【同調シンク】を発動した。しばらく動かないままでいるうちにエリーシャの印象が薄れ、周囲の風景の一部として馴染む。

 その間も、エリーシャはジェスタ第一皇子とパートナーのアナベルから目を離さないでようすを窺っていた。


 笑顔はなくただじっと見つめ合っている。親が決めた結婚相手に初めて会ったときでももう少し華やいだ空気が流れるものだが、両者の硬い表情がロマンスの気配を微塵も感じさせなかった。

 浮いた話ひとつ聞かなかった第一皇子が選んだパートナーに噂に目がない貴族たちも興味津々のようで、誰もがじろじろと無遠慮な視線をふたりに向けていた。


「あの方、アナベル様はウィンダミア卿夫人の一人娘だそうですわね。夫人は亡き子爵の財産を食いつぶしてパーティーを開いてばかりで。大変よねえ」

「でもあのドレスはいただけませんわ。【祝勝祭グレイス・ヴィクトリア】にしては派手すぎますわね……お母様のご提案かしら」

「ジェスタ様のパートナーということは、やがて皇后になられるのでしょうか? ……まだ気が早いですわね」

「お二人は親密な仲なのかしら。それにしてはぎこちない雰囲気だけれど」

 

 声を低め、扇で口元を隠しながら囁き合う淑女たちの背後を渡り歩きながらじわじわとジェスタとの距離を詰めていく。グラスを持ち、何か話していたところで軍関係の重鎮が第一皇子に挨拶に訪れた。

 断りを入れ、ジェスタが場を離れるのをアナベルが見送った。

 やがて人々の興味は徐々にぽつんとひとり残された彼女から離れ、中央でダンスを踊るユーリスに注がれていた。パートナーの座を勝ち取ったのはミレッティ侯爵令嬢のようだ。ミッドナイトブルー・ティーパーティーにも参加していた、亜麻色の髪が美しい少女だった。

 茶会では声を掛けてくることはなかったが、じっと観察するように見られていたことにはエリーシャも気づいていた。


「お似合いだわ……ミレッティ家は何度かユーリス様にイライザ嬢を、と皇室に申し入れていたようだものね」

「エリーシャ嬢はほら、異教徒ですもの。幾ら美人でも皇子の婚約者にはふさわしくないのではないかしら。フォレノワール伯爵も、ラーガ様もウィルバー様もお美しいのにもったいないわね……うちの娘もウィルバー様の信奉者だけど、結婚相手にはちょっとね。あんな、不気味な目の子が生まれてきたら嫌だもの」

「観賞用としては極上の品だけれどね。あの方たち、まるでお人形みたいだもの」


 くすくすと笑いあい、フォレノワールの一族をけなし貶める意地の悪い言葉に憤りを感じながらも、何も言い返すことは出来ない。ぎゅっと唇を噛みしめかぶりを振った。ちがう、何もわかっていないくせに――気にせずにやるべきことに集中しなければ。


 でも、自分でもそのとおりかもしれないと一瞬、思ってしまった。


 自らの容姿を疎んだことはない。白銀の髪も赤眼も他のひととは違っても、家族の証だと感じられたから。

 でも、本来ならばユーリスは――エリーシャを選ばない。ただ使いみちがあるから傍に置きたいだけなのだから。


『君が望むなら、婚約解消してもいい――甘い言葉だってかけてあげる。僕のものでいるうちはね』


 頭では理解していても石を飲み込んだように腹の奥が鈍く痛むのだった。

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