10 ミッドナイトブルー・ティーパーティー

 金葉月じゅういちがつの半ばともなれば一晩ごとに肌寒くなり、風は徐々に凍えるような冷たさを帯びていく。ただし今日は主催者の日ごろの行いゆえか、ぽかぽかと降り注ぐ日差しが暖かい穏やかな気候だった。

 【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】はまずまずの盛況ぶりだった。

 茶会が始まる前に、主催であるマーガレット・ケネス侯爵令嬢は「まずご挨拶を」と鼻高々に、庭園内を散策する令嬢たちに近づいては、カラーコードの確認もかねて出席者を品定めしている。

 嫌だわ、あのやたら大きなリボンを使った趣味の悪い髪飾りといったら……あのは今度から招待状を送るのをやめましょう。くすくすと取り巻きの令嬢と笑い合いながら侯爵邸自慢の庭園を悠々と歩いていたマーガレット嬢は、ある人物に目を留めた。


「まあ、ご覧になって」

「素敵なドレス……どこの店で仕立てたのかしら」


 広がるざわめきの中心にあったのは濃いブルーのリボンで編み上げになった美しい背中のライン。昼用のドレスにふさわしく露出が少なく首元まで詰まったデザインなのだが、華奢な肩や細い腰などが強調された立ち姿にはぱっと目を惹く華やかさがある。持ち上げられた裾からのぞく幾重にも重なったフリルはデコレーションケーキのように見事だ。

 丁寧に編み込んで結い上げた銀灰色の髪が、真珠色のドレスと合わさって、雪の精のように神秘的に見えた。


「あれでは白髪の老婆みたいだわ、みっともない」

「マーガレット様のドレスには及びません、なにしろ帝都一の仕立屋が半年もかけてデザインしたものですから!」

「どうせ、良く見えるのは後ろ姿だけですわ!」


 取り巻きの言葉に気分を持ち直し、鼻息荒くマーガレットは正面に回り込んだ。


「ごきげんよう、本日はようこそお越しくださいました」


 しとやかな淑女の挨拶をしたマーガレットに、真珠色のドレスの令嬢――エリーシャが、慌てて応じた。雪のように白い肌をかすかに上気させ、おさらいしたばかりの帝都風の礼法を再現する。口元には笑みを湛えて、わずかに首を傾ける。


「ごきげんよう。素敵なお茶会ですね。ご招待いただきありがとうございます。マーガレット様でいらっしゃいますね? わたくしは、エリーシャ・フォレノワールと申します」


 エリーシャが深紅の瞳を瞬きさせると長い睫がひらりと蝶の羽搏きのように揺れ動いた。しばらくぼうっとしていたマーガレットの代わりに、そばでようすを見ていた令嬢のひとりが「まあ、あの方がユーリス様の……」と呟いた。

 ヴィーダ帝国第二皇子、ユーリス・モレットが選んだ婚約者の噂は帝都の社交界において、噂の的だった。どのような女性があの【帝国ヴィーダの薔薇】を射止めたのかと話題になり、令嬢たちはハンカチを噛んで悔しがった。

 舞踏会に参加しても特定の相手をエスコートするわけではなく、公平にパートナーを選ぶようすから、まだ恋人はいないに違いないと令嬢たちはこぞってユーリスの隣に立つ権利を争っていた。だがそんな水面下の攻防もむなしく、たった一度きりのダンスをきっかけに彼は結婚相手を選んでしまったのである。

 新聞記者たちはこぞって「【帝国の薔薇】が見つけた真実の愛、流星のごとく現れた幻の女性」と人々の好奇心を大いに掻き立てた。

 その令嬢こそが、目の前にいるエリーシャ・フォレノワールそのひとであり、今回の茶会での主賓だった。マーガレット・ケネス侯爵令嬢がユーリス殿下にご執心であることは社交界では周知の事実であったため、これはエリーシャへの挑戦状に他ならなかった。

 婚約式への参加を許された限られたもののみが第二皇子の婚約者としてエリーシャの姿を目にしていたが、ほとんどの者にとっては、社交界デビューしている妙齢の婦人ではあるものの、不思議と極端に印象が薄い謎の婚約者である。

 結果として、今回の【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】にはいつになく多くの淑女たちが、野次馬的に顔を出すことになったのである。どうせよほど地味で目立たない、取るに足らない女だと中にはひどく中傷する者もいたがエリーシャを一目見て黙ってしまった。

 フォレノワール伯爵家は美貌の一族として有名だが、エリーシャ・フォレノワールの存在はほとんど誰も知らなかった。印象が薄く、誰もが記憶していない彼女の姿をようやくこの茶会の参加者は認識した。

 透明感のある肌が瑞々しくきめ細やかだとは、離れていても一目瞭然だった。エリーシャの銀髪は新雪のようにきらめき、紅茶色の双眸は角度によってはルビーのような輝きを放つ。

 ユーリス様は容姿で選ばれたのね、とひそひそと囁き合う声も、フォレノワール伯爵令嬢の可憐な美しさを認めたも同然だった。美貌の伯爵と評判のヴィオラ様の娘であるのだから当然だわ、と彼女の父親の信奉者は物知り顔で頷いていたし、彼女の兄ふたりに想いを寄せている淑女たちは、妹とお近づきになれさえすれば仲を取り持ってもらえるのでは、と淡い期待を抱いていた。


「あの方がエリーシャ様……お綺麗ね、ラーガ様が仰っていたとおりだわ」

「ウィルバー様はもうひとりごきょうだいがおられると言っていたけれど、その方もさぞお美しいのでしょうね。血筋かしら……羨ましいわ」


 さまざまな思惑が重なった熱視線を集めていた当の本人はと言えば、茶会が始まる前から目立ってしまったことに計画の破綻を予感していた。ここまで強く印象付けられてしまうと、【同調シンク】を使って参加者の中に紛れることが難しくなる。もっと控えめで地味なものにしてほしい、と頼んだのに譲らなかったユーリスのせいである。


『第二皇子の婚約者が、冴えないドレスを着ていたら僕の見る目が疑われるじゃないか』


 抜かりなく手配されていた皇室専属の仕立屋がサフィルス宮殿に泊まり込み、およそ一週間で完成に持ち込んだドレスは品がよく、エリーシャの肌や目の色、髪の色を引き立てる見事な仕上がりだった。カラーコードが青なのだから、ドレスもおそらく濃い青か何かだろうと思っていたのに、光を浴びるときらきらと輝く真珠のような、とろみのある生地は高級感があり、清楚な美しさを強調する。背中の編み上げリボンの深い青とがアクセントとなり、カラーコードを守っていた。

 白薔薇とたとえられることも多い、ユーリスの婚約者にふさわしい至高のドレスに袖を通したエリーシャを、サフィルス宮殿付きのメイドが鏡の前に座らせた。


『えっ、あの』

『殿下のご命令ですので。御髪おぐしを整えさせていただきますね』


 いつもより高く結い上げ、両サイドの髪を編み込んだ凝ったヘアスタイルに、ドレスと合わせて作った真珠と青い花をあしらった髪飾りを添える。済ませていた化粧を最後に調整してから、耳元を飾るラピスラズリのイヤリングをつけた。

 仕上がったエリーシャを見て「すごく綺麗だよ」とユーリスは微笑み、メイドたちもそろって拍手し、賛美した。



「お、お綺麗ですわ! さすが、第二皇子殿下の婚約者様なだけありますわねっ」

「お褒めに預かり光栄です」


 マーガレットの言葉に微笑を返す。いまの言い方、嫌味っぽくなかっただろうか、緊張のあまり言葉が浮かばないでいるエリーシャは余計なことを口走るよりも沈黙を選んだ。お付きのものを引き連れ、マーガレットが離れていくとほっと息を吐きだした。


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