09 お兄さまは心配性


 フォレノワール家の長兄、ラーガがサフィルス宮殿を訪ねてきたのはユーリスがエリーシャのもとを訪れた翌日のことだった。

 なにやら外が騒がしいと思って窓から見下ろせば、案の定、見知った顔が朗らかに手を振ってきたのでがくっと力が抜けた。


「いいところに住んでいるじゃないか。サエラが『お姉さまはきっといじめられているに違いない』って大騒ぎしてたからようすを見に来たんだ」


 がはは、と豪快に笑いながら力強くエリーシャの背中を叩いてくる。

 きょうだいの中で一番大柄で力も強く、さらに日ごろから鍛えている兄のスキンシップは若干どころかそれなりの痛みを伴うものだ。しかし本人に悪気はないので指摘するのはためらわれる。

 痣にでもならなければいいが――背中をさすりながら応接の間へと案内した。


「サエラは元気?」

「……うむ、あいつの『お姉様』への執着は酷いからなあ。俺たちの方がよほどマシなくらいだ、こないだも早くお姉さまを連れ戻して、と癇癪を起こして父上を困らせていたし。まだまだ手がかかるよ」

「うーん、甘えているだけじゃないかな? そろそろお手紙でも書きましょうか――届けてもらってもいい? ラーガ兄さま」

「いいぞいいぞっ、何か思い出したものがあればフォレノワール邸から持って来てやるからいつでも教えてくれ!」

 

 高い天井の部屋だから、大柄なラーガでもゆったりと落ち着いていられるだろう。最初はそう思ったのだが、兄が座ると二人掛けのソファも何故だか窮屈そうに見えた。


 手足も長く、がっしりと筋肉がついたラーガの体格は、線が細い者が多いフォレノワール家では珍しい。そのくせ加速能力【速度スピード】を持ち合わせているので、軍事演習では向かうところ敵なしだろう。

 それでも実際に戦争などに赴くことがないように、妹としては願うばかりだ。


 そんな兄がきょろきょろとぶしつけに室内を見回していた。


「どうしたの」

「……いや、せっかくだからおまえの婚約者殿――ユーリス殿下にご挨拶をと思ったんだが、ひょっとしてあの壺の中にでも隠れているのか?」

「そんなわけないでしょう。ユーリス様は公務で審議会に出ているの……確か、ジェスタ殿下も出席されているはずだけど」


 ジェスタ皇子は皇室師団の長であり、ラーガはその下のグレイスローズ第二騎兵隊で少佐を務めている。年齢が近いこともあり、二人は仲が良いと聞いていた。


「ああ、そういえばそうだったか! ははは、うっかりだ! 宮殿の主が不在の時に尋ねてしまって申し訳ないっ」

「そんなこと言って……兄さま、本当はユーリス様がいないときを見計らって来たのではないですか?」


 エリーシャが指摘すると、わざとらしく噎せたり茶菓子をむやみやたらに口に放り込んだりしながら「そんなわけないだろう」とごまかした。わかりやすい。ラーガは背を丸めて巨体をわずかに縮めた。


「婚約者殿に不満はない。エリーが大切にしてもらえるなら相手は誰だっていいとも考えているんだ……確かにユーリス殿下はいかにもひ弱そうだし病弱で、取り巻きの女どもがうるさくてかなわんし、何を考えているやらわからないところがあるが」

「成程、それがラーガ兄さまの本音というわけですね……」

「いやいや、違うぞっ、おまえの選んだ相手に口出しする気はない。俺はそれほどに狭量な兄ではないぞ」


 どうだか――とは思ったが、必死で釈明する兄の姿を見て少し気が晴れた。近頃はユーリスにエリーシャが一方的に言いくるめられることが多く、ガス抜きにもなる兄の冗談が有難かった。


 皇子の婚約者にふさわしい女性になっていただくために、と始まった礼法や皇室の作法などの講義にも辟易していたので、久しぶりというほどでもないが身内の顔を見られてほっとする。


「エリーに会いに来たかったというのも本当なのだが、実は、おまえに相談があってだな……」

「なあに、改まって」


 ふっと真面目な表情になったラーガを見て、思わずエリーシャも姿勢を正した。


「ジェスタ殿下のことだ」

「第一皇子殿下の? ……わたし、兄さまから話を聞いていたぐらいで、ジェスタ様のことはよく存じ上げないのですけれど」


 ヴィーダ帝国の皇位継承権第一位、ジェスタ・ダヴィド・ヴィーダ。御年、26歳でユーリスの6歳年上だ。日に焼けた精悍な顔にそばかすが散り、赤みがかった金髪の皇子はユーリスとは容姿においてはあまり似ていない。


 どちらかといえばエリーシャの兄ラーガのように筋肉質な身体つきで上背が高く、そして強面こわもてだ。婚約式で顔を合わせたし、いちおうユーリスから紹介はされていたのだが二言三言、言葉を交わしただけですぐに立ち去ってしまった。

 夜会で何度か見かけたときも、寡黙なうえ近寄りがたい雰囲気があるため、声をかける機会を逸した者たちが遠巻きに眺めていたのをエリーシャは見ていた。


「俺がお仕えするジェスタ第一皇子殿下は、本当に素晴らしいお方なんだ……もちろん弟君のユーリス殿下も見上げたものなのだが」

「いいの、気にしないで。ジェスタ殿下とお兄さまは親友なのでしょう? わたしに気を遣う必要はまったくないから」


 ユーリスをけなされようがエリーシャは実際なんとも思わないのだが、いちおう肩書としては婚約者なのでさも心が広いかのように装った。兄は単純なので「さすがエリー!」と大いに喜んでいた。

 ジェスタ第一皇子がいかに部下を思いやっているか、また孤児院に訪問したときに子供たちと過ごした心温まる逸話などを熱く語り始めたラーガをしばらく見守っていたのだが、さすがに長くなってきたので制止した。


「ごめんなさい、兄さま。そろそろ本題に入ってもらっていい?」

「すまないっ、熱が入ってしまってな! 俺がわかってもらいたかったのは、ジェスタ殿下の人柄が本当に素晴らしいということなんだ。とっつきにくく気難しそうに見えるかもしれないが、ただまっすぐで裏表がない方だ……心から尊敬している」

「ユーリス様とは大違いね」


 エリーシャがぼそりと呟いた言葉を中途半端に拾ったらしく「そうかっ」と手を叩いた。


「やはりおまえは婚約者であるユーリス殿下が気になるのだな。睦まじいようで何よりだ。兄弟だからな、周囲から比較されることも多いが、それぞれの良いところを合わせれば無敵! 帝国の未来も安泰だろう」

「そうだといいけど……」


 ユーリスがジェスタのことをどう思っているのか、エリーシャは聞いたことがない。あの腹黒のことだ、もしかすると兄を蹴落として自らが皇帝になろうと考えている可能性も十分あり得る。なんだかうすら寒いものがこみ上げてきて、両腕をさすった。そんなエリーシャには気づいてはいないようすで、ラーガが「ところで」とわざとらしく声を潜めた。


「完全無欠のジェスタ様だが、ひとつだけ欠点があってな」

「……あら、なにかしら。気になるわ」


 仕方がないので兄の茶番に付き合ってやることにした。


「女性が、苦手なのだ――」

「……それは、女性よりも男性の方が好き、とかそういう。で、お兄様と秘密のお付き合いをしていると報告に来たの?」

「そそそ、そんなわけないだろうが! 俺はひとりの男としてジェスタ様を敬愛しているだけだっ」


 顔が真っ赤である――本気でそう思ったわけではなくからかっただけなのだが、ラーガは次兄のウィルバーとは正反対で、女性と親密になったという話を聞いたことがない、いわゆる奥手だった。

 妹の特権で、好きな相手の目星くらいはついているので、夜会で彼女の姿を見た、とほのめかすだけで極端に慌てて挙動不審になる。


「じゃあお兄さまとおなじで、女性への接し方がわからないのかな……声をかけても顔が怖くて逃げられたとか、話がつまらないって言われたとか、そんな過去の辛い経験でもおありなのかもしれないわね」

「エリー! 第一皇子殿下に対して勝手な憶測をするんじゃないっ、不敬だぞ!」

「はいはい、で、殿下の弱点が女性だとわたしに話してどうするつもりなの?」


 手を組み合わせるとラーガは真剣な表情で、エリーシャに向き直った。


「どうやら……ジェスタ様は、想いを寄せる方がいるようなのだ……」

「へえ、そうなんだ。よかったね、お兄さま」

「ああっ、おまえならわかってくれると思っていたぞ、エリー。本当にめでたい! それに気づいた我らグレイスローズ第二騎兵隊の皆は涙を流して喜んだ」

「ええっと……ずいぶん、平和……仲が良い部隊なのね」


 帝国軍の精鋭部隊が皇子の色恋で一喜一憂しているようすを思い浮かべて、エリーシャは半笑いになった。この国は大丈夫なのだろうか、ここしばらく大きな戦争も起きていないからといって気が緩んでいやしないか。


「それでな……ジェスタ様が関心を持たれたご令嬢がな、今度ケネス家で開かれる茶会に参加するらしいんだ」

「えっ、もしかしてケネス侯爵令嬢が主催する【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】のこと?」


 マーガレット・ケネス侯爵令嬢が主催したティーパーティーで、ドレスコードが深い青。この色をファッションのどこかに取り入れることになっているのが必須とされている。


 だからといって真に受けてドレスや髪飾り、靴などすべて全身「青」で参加すれば笑いものになるだろう。こうしたカラーコードを設定したパーティーをするのが近頃の帝都の流行らしい。ちょうど皇子の婚約者向けとして聴講を指示された講義でエリーシャは聞いたばかりだった。


 基本的には令嬢の近しい友人たちを招いての内輪の小さな茶会――のはずだが、お近づきになりたい相手や、つるし上げの標的に招待状を送りつけるのがこの手の茶会の目的だと相場が決まっている。


 実際、侯爵邸の庭園を会場として設営する大掛かりな会になると噂されていた。

 ちなみに何故エリーシャが【ミッドナイトブルー・ティーパーティー】について詳しいのかというと、ユーリスに招待状を手渡され、参加するよう指示を受けたからだ。こうした場が得意ではないエリーシャは正直気が進まないのだが、逆らうことは許されない。

 

「そうか、話が早いな! エリーなら招待されているのではと思ったが、勘が当たったらしい」

「もしかして……サフィルス宮殿で、心細い思いをしているだろう妹のようすを見に来てくれた、っていうのは口実なの?」

「そうじゃない! どちらも大事な用件だった、嘘じゃないぞっ」


 怪しい、と意地悪を言ってみたがラーガは馬鹿がつくほどに正直なのだ――友人を想い、妹を心配して訪問してくれたことには変わりないだろう。いじめるのはやめてエリーシャはひとまず話を聞いてみることにした。


「で、わたしはそのご令嬢と親しくなって、好みのタイプでも聞き出してこい……と」

「うんうん、そのとおりだ!」

「話はわかりました。無理よ」

「そうかそうか……って、エリー! そんなにあっさり断らなくてもいいじゃないかあっ、少しぐらい考えてみてもらいたい! 俺はグレイスローズ第二騎兵隊の皆の期待を背負っているんだ。ジェスタ様の恋愛成就に夢を掛けた俺たちの身にもなってくれ!」


 この部隊、精鋭ぞろいと聞いていたけれど、もしやよほど暇なのかもしれない。


「そんなの知りません……お兄さまもご存じの通り、わたし、同世代のお友達ひとりもいないんですよ? 家族ぐらいしかまともに話せる相手もいないのです」

「ユーリス殿下とはあれほど仲が良いのに……」

「あれはべつにいいとかそういうのじゃないです」


 一方的に弱みを握られて婚約することになってしまっただけなのだが、ラーガにいまさら相談するわけにもいかない。自分で解決しなくてはならないし、覚悟もしている。


「頼むっ! ジェスタ様のことなんだから、ユーリス殿下もお喜びになるはずだ。ひいては帝国の平和のためになる」

「……そうやって言えば、わたしの【同調シンク】も使いやすいですものね」


 能力を発動させるための条件として、自分のためではなく他人のため――さらに善行に繋がるような場合が推奨されている。それが女神の加護を受けたフォレノワール家の掟にもつながってくる。与えられた能力ギフトを私利私欲に使うことなかれ、行動は民の規範となるものを心がけ、ひとのためになるべし。


 友人になれなかったとしても、エリーシャの能力を使えば好きな食べ物や装飾品の好みぐらいは探ることができるだろう。それをあてにされているのはわかっていたが、エリーシャには何よりもまずであるユーリスの頼みを聞かなければならない。手伝うとしても余裕があれば、だ。


『僕の敵を、探って』


 この目的で能力を使うことは正しいことなのだろうか。迷いがあるものの、ユーリスはヴィーダ帝国の皇子だ。性格はねじ曲がっていようと、滅多なことはしないと信じている。兄には気づかれないように、すう、と息を吸い込んで吐き出した。


「……それで、ラーガ兄さま。いちおうそのご令嬢の名前を教えておいて……あまり期待はしないでもらえるとありがたいけど」


 ラーガの赤銅色の眸がきらりと瞬いた。単純だが心根のまっすぐな兄のことを、エリーシャは愛していた。


「アナベル・ウィンダミア――おまえがユーリス殿下と運命の出会いを果たしたパーティーの主催者、ウィンダミア卿夫人の娘だ」

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