幽霊のレイヤー

@rona_615

第1話

 “学校というのはおかしなところだ”

 こんな一文を目にしたのは、どの本だっただろう?

 確かに、同じような年頃の人間を一つの部屋に押し込めて、大人たちが教卓からものを言う構図は、それが“学校”という場でなければ、成立しないような気がする。

 同じ学校でも、大学では、その奇妙さがぐっと薄らぐ。成年年齢が十八になったから、構内にいるのは大人ばかり。博士課程ともなれば、四捨五入したら三十だ。学生と教員という立場の違いはあれど、例えば、大学院生が学部生を教えることなんかもあり、その差は随分と小さいように思える。

 一つの教室を、複数の学科・学年で共有して利用する形式も、一役買っているのだろうか?

 小中高では、箱の中に、似たような集団が順に送り込まれ、同じスケジュールで一年を過ごす。生徒たちが乗るたった一枚のレイヤーが、毎年毎年、新たなものに置き換えられるみたいに。

 一方、大学という場は、様々な学生のレイヤーが、幾つも重なって成り立っている。サークルも学部も違う人間同士は、どれだけすれ違おうとも、決して交わることはない。

 高校までと比べて、いわゆる“幽霊が出た”なんて話が少ないのは、きっと、この構造のせいだ。クラスという一枚のレイヤーに混じる異分子は目立つが、自分とは関わりないレイヤーが多少増えたところで、人は気になどしない。

 だからだろうか。僕がその女の子に気づいたのは、六月も半分が過ぎた頃だった。

 二百人以上が入る大きな講義室。窓側の前から三列目の席に、彼女は座っていた。斜め後ろの席から見える範囲でも、とても美しい顔をしていることがわかる。肩にかかるくらいで真っ直ぐに切られた黒髪を揺らすことなく、前に視線を固定していた。机の上にはノートが広げられているが、筆記用具はバッグに仕舞われたままのようだ。暗赤色のブラウスも相まって、日本人形のようなイメージを僕は彼女に抱く。

 教養科目の講義だから、色んな学科の人たちが履修している。入学して二ヶ月ばかりじゃ、六十人近くいる自分の学科の同級生すら、満足に覚えていない。だから、こんな美人の存在に、今まで気がつかなかったのか、と。

 一度認識してしまえば、学内のあちこちで彼女を見つけるようになった。今どき珍しいおかっぱ(ボブ、というよりこの方が彼女の雰囲気に合っていると思う)で、いつも赤い服を着ている。周囲より少しだけ早足で歩く彼女は、常に一人で、誰かと話している様子すら見たことがない。

 声をかけてみようと決めたのは、彼女の顔面に惹かれたからではなくって、黒板を見つめるときの、背筋がピンと伸びた姿勢が綺麗だと思ったからだった。決心して、後ろの席に座ったのは、前期の授業が終わる直前。壇上に立った先生が教科書を閉じると同時に、彼女の肩を叩く。

 が、その手は空を切った。思いがけない出来事に勢いは止まらず、僕の右手は、そのまま、机を、椅子を、通過していく。

 あぁ、そうか。

 幽霊同士でも、レイヤーが違えば、交わることはできないのか。

 床へと倒れ込む僕の視界を、真っ赤なワンピースの裾が横切っていった。

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