三品目「プリン」那月side

 花音ちゃん家に来てから数か月が経った。私はいままで通り、都内の大学に通っている。学部は文学部で、だから就活は難しかった。出版業界やマスコミの道に進む人が多い中、教員などの公務員を目指す友達もいた。そして肝心な私は、まだ決めかねている状態だった。

 なんとなく授業に出席してから、帰ってきて料理をして、花音ちゃんと食べる。それだけの毎日が楽しくて、将来のことなんて考えられなかった。私はおもむろに、豆乳を耐熱ボウルに入れて、電子レンジで温めた。私は悩んだとき、よくお菓子を作る。今日はたまごプリンを作ることにした。


 私は昔から小説家になりたかった。中学生のときに読んだライトノベルに魅せられて、憧れたのがきっかけだった。すぐに自分でも小説を書き始めた。

 同級生に笑われながらも、小説投稿サイトに作品を投稿し続けて、高校生のとき高校生対象の文学コンテストで奨励賞を受賞した。あのときは、努力をすれば報われると、田舎道を歩きながらしみじみ思った。


 目の前のたまごをかき混ぜていく。あの頃の青春を忘れられるように。温めた豆乳を加えて、過去の自分を否定しながら上白糖を溶かす。そして今さらになって、ふと才能がなかったことに気づくのだ。


 大学生になってからは、結果を残せなかった。得意な短編に的を絞って、何十作と応募したが、受賞はならなかった。実際に小説を書いているときは、砂の塔を建てている気分なのに、できあがるとそれは、いつもゴミの山だった。駄作がネットに積み重ねられるのを、私はひたすらに眺めてきた。


 溶かしてできたプリン液を、茶こしでこしながらココットに注いでいく。泡ができないように、希望を持たないように。もう諦める方がずっと楽だって自分に言い聞かせた。


 いつからか、小説を書くことが楽しくなくなった。はじめの頃はもっと、下手なりに好きなものを自由に書いてたはずだった。それがいつからか「受賞したい」とか「評価されないといけない」とか。そういうことばかりを考えてしまっている。


 アルミホイルでココットと心に蓋をして、それを布巾を敷いたフライパンに並べていく。自分のしたいこと、課題、才能、卒論、将来。いろんなものをひとつひとつ丁寧に置いていく気分だった。


 そんな風に整理して出てくる答えは「好きな小説を逃げずに書こう」なんて単純なものだった。つまり、私は怖かったのだ。自分の好きなものを書いて、それが否定されることが。だから評価されるものばかりを書いてきたのだ。


 フライパンの底にお湯を注いでから、蓋をして弱火にかける。ガスコンロのかちっという火の付く音が、私の奥の方からも聞こえた。


 じゃあ、私の好きな小説ってなんだろう。長い間、好きな小説を書いてこなかったから、わからなくなってしまった。自分の手のひらに残るのは「冒頭の書き方」やら「伏線の張り方」やら、小手先の技術ばかりだった。


 15分加熱したら、火を消してそのままの状態で10分置く。プリンに余熱で火を通している間にカラメルを作ろう。


 中学のときに読んでいたライトノベルは、学園青春ラブコメだった。部活や文化祭などのイベントを通じて発展するラブストーリーに「私も高校生になったらこんな風になるのかな」とドキドキした。

 高校に入っても、本屋で立ち寄るのはラブコメコーナーだった。web発の同居ラブコメを何周も読んでいた。そしてあの頃は、私もラブコメを書いていたんだ。


 小鍋に入れた上白糖に火をかけると、それは瞬く間に薄く色づく。それは愛情みたいだった。私が目を向けてこなかった愛が、ほんのりと焦がれていった。


 他にも好きなことっていっぱいある。例えば、いまも作ってるプリンだって好きだし、いつも寝る前にやるスマホゲームとか、実家に眠ってる漫画雑誌とか、いっぱい。元カレだって嫌いじゃないし、そしてなにより、私は花音ちゃんが好きだった。


 がちゃって玄関で音がした。噂をすればって思った。いつも通り、火を止めてからエプロン姿のままで迎える。今日は水曜だから疲れてるに違いない。


「花音ちゃん、おかえりなさ……え?」


 そこに立ってるのは、花音ちゃんじゃなかった。知らない男の人。配達員にしては私服すぎるし、空き巣にしては逃げない。じゃあ、だれ?

「あれ、花音さんいないの?」

「え、」

「きみはなに、花音さんとどういう関係?」

「えっと……」

 いざ聞かれると、私は花音ちゃんにとってなんなんだろうと考えさせられる。友達でもないし、恋人ではもっとないし。強いていうなら、居候と家主かな。そんな風に考えているうちに、まあいいや、ひとまずお邪魔するねって男を家にあげてしまった。

「きみ、名前はなんていうの」

「……五十嵐です」

「へえ、大学生?」

「はい」

 男は実家のように花音ちゃんのベッドでくつろいでいる。ストーカーの過去を想起させる出来事に、声も出せない私は、プリン作りに戻った。


 火から下ろした上白糖に、水を加えてカラメルにする。それを最後プリンにかけて完成。

 横から見るとそれは、思い出の地層だった。きっと花音ちゃんにとって、彼との思い出はプリンのように深くて。それに比べると私は、上澄みのカラメルのようなものなんだって思った。

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