二品目「タマゴサンド」花音side
公務員へのいいイメージは、偏見だったりする。特に私が配属されている社会福祉課は、毎日と生活保護申請で忙しく、ブラック企業と変わらない日々を過ごしていた。
「あら、かのんさん。難しい顔してるわね」
そう言って、ビニール袋から缶コーヒーふたつを取り出すのは百瀬さん。私のことをいつも気にかけてくれる優しい先輩だ。失恋したときもお世話になった。
「はい、これどうぞ」
百瀬さんは缶コーヒーひとつを私のデスクに置く。
「あ、ありがとうございます」
それで、なにがあったのって百瀬さんは間髪を入れずに聞いてきた。なにがあった、とは何のことだろうか。
「いえ、最近は特にこれといってないですけど」
「またまた、そんなこと言ってー」
「え?」
「かのんちゃん、うそは身体に毒だよ」
ビニール袋から今度は、海老グラタンを取り出した百瀬さんは、それを電子レンジにかけてから、私のとなりに座った。そして、教室に差し込む夕陽のような声で、ゆっくりと聞くのだった。
「また、好きな人できたんでしょ」
静かなオフィスに時計の秒針だけが音を落とす。それは、あまりにも唐突な言葉すぎた。
「なんでですか?」
「え、違うの?」
「違いますよ!」
どうやら百瀬さんは、私が新しい恋をしたと勘違いしたらしい。その理由も、急に元気に出勤するようになったとか、見た目が失恋時よりもきれいになったとか、そんな笑ってしまうものだった。
「じゃあ、そのタマゴサンドはなんなのよ」
「これですか?」
私の手元には、朝になつきちゃんが作ってくれたタマゴサンド。確かに自炊をしない私が、お弁当やサンドイッチを持ってくるのは、不自然なことだった。
「あ、これは……」
「これは?」
しかし、考えろ。ここで女子大生を自宅に住まわせてるなんて言ったら、誤解を生みかねない。未成年ではないにせよ、犯罪の香りがする。だから私は、誤魔化すことにした。
「最近、料理してるんですよー。その方がモテるかなと思ったりして」
百瀬さんは、ほんとかなーって笑って、グラタンを食べた。私はタマゴサンドを隠すように頬張った。おいしかった。
いつか早起きして、このタマゴサンドを一緒に作ったことがあった。お湯にたまごを落として、7分間。砂時計を逆さにして待つ。
「この間に冷水を用意するよ!」
「なんで?」
「ゆでたまごは剥く前に冷水につけると、きれいに剥けるの。気持ちいいんだよー」
彼女は料理をしているときが、いちばん楽しそうだった。今もほら、つるつるのゆでたまごを嬉しそうに見せてくる。
「なつきちゃんってさ、まじで料理好きなんだね」
「うん、好き!」
そうやってはにかむ彼女の笑顔は、お菓子を買ってもらった子どもみたいで、どれだけ私の救いになったか。
彼女は、学生の頃ギャルだった私とは、全く違うタイプの女の子。私が夏子なら、彼女は冬子といった感じだ。そんな対照的なふたりが、いま同じ部屋で生活してるのが、面白かった。
「かのんちゃん、たまごは全部潰さないで少しは輪切りで取っておいてね」
「りょー」
綺麗な輪切りをよけて、それ以外をマヨネーズと和えて、潰していった。ぐちゃぐちゃにしていると、高校の美術を思い出す。ほこりっぽい教室で絵の具を混ぜるように、黄色がやわらくなって、優しい気持ちになった。そのあと、胡椒もいれた。
すべてが混ざったとき、彼女も食パンにマーガリンを塗り終えるころだった。彼女の食パンに、私のたまごを置いて伸ばしていく。こんな些細な幸せがずっと続けばいいのにって、そんな風に考えた。
「最後に、輪切りのたまごを並べて、挟んだら、かんせい!」
できあがったタマゴサンドは、野菜などが入ってない純粋なもので、それが彼女のこだわりなのだという。彼女はそれを丁寧にひとつひとつラップに巻いて、お弁当に持たせてくれた。
チャイムが鳴って、昼休憩が終わった。百瀬さんも切り替えて、すぐに家庭訪問に向けて、ケース記録を開いていた。私たち、市役所の福祉事務所で働く人を、ケースワーカーという。決して楽な仕事ではなかったが、家でなつきちゃんが待っていると思うと、がんばろうって思えた。
「かのんさん、午後は一緒に訪問に行きましょう」
「はい!」
「私は遠藤さん宅に伺うから、かのんさんは加瀬さん宅から順にお願いね。何かあったら携帯に連絡ちょうだい。すぐに行くから」
舌に残るタマゴサンドのやさしい味が、これからも残ってくれることを願って、私は自転車に跨った。基本的に生活保護受給者宅は、駐車場がないため、訪問は自転車で行う。河川敷をペダルをこいで、髪の毛が風に靡いて、今日の夕飯はなんだろうって考えた。和食か中華か、それとも私の知らない外国料理か。どれにせよ、たまごは使われてると思うと楽しかった。
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